こんばんは。 Red-ips です。
ふう、やれやれ・・・。
法律擬人化の方をkindle本にしようと企んでいる最中なんですが
なにせブログそのまんまじゃダメなんで、手直しをしています。
場合によっては専門家の手を借りようかと、ちょっぴり挫け気味。
いや、目的は達成させますよ?
ただ手段はフレキシブルにね。
ステレオグラム交差法。佐原。
昨日は中秋の名月だったようですね。
ちなみに今日も月がキレイでした。
月光はうっとりしますねぇ・・・。
月光に限らず、美しいモノは本当にいい・・・。
世の中には、あまりに美しいモノがあふれています。
自然は奇跡のように美しいモノを作り出す。
美しいと感じる心は一体何なんだろう。
痛みや、怒りや悲しみ、喜び、そういった感覚・感情は、人間の生存本能に起因すると考えるのが、私の考え方なのですが
美しさを感じる感性はどこに基づくんだろう。
快楽もまた、生存本能や種の維持のためにある感覚であることを考えると
美しいと感じる心もまた、生存本能に起因するのかも知れない。
しかし、なぜ・・・?
他の感覚のように論理的説明がつかない。
感覚というのは、その行動・行為を誰からも習わなくとも、求め、または忌避するように設定されている。
痛い → 逃げる → 生存可能性↑
怖い → 逃げる → 生存可能性↑
寂しい → 群れる → 生存可能性↑
嬉しい → 群れる → 生存可能性↑
快楽 → 行う → 繁殖
では、美しいと感じる心は、どういう意味があるのか。
美しいという気持ちは、本来は異性に対して持つ可能性が高い。
それは、繁殖のためだろう。
より生存可能性の高い子孫を作るために、美しい異性に惹かれる。
けれど人はときどき
人間ではない動物に対し、可愛いと思い
人間ではない月や花に対し、美しいと思う。
ひょっとするとこれは、美しいアイテムを使用することにより、異性を惹きつけることが出来るためなんだろうか。
価値観のある程度の共有から、贈り物を成立させるために。
更に言えば、贈り物とまで言わなくとも
同じモノに対して「美しい」という感覚を共有させることにより、人間同士のコミュニケーションを実現させ、その結果、生存可能性を上げるということなのだろうか。
私が何かを見て美しいと思うこの感情すら
本能にコントロールされているのだろうか。
それでは逆に
美しいモノを見て、胸が痛むようなこの感覚は何なのだろう。