
そんなワケでちゃんと生きています。
生きているってのは当たり前のことなんかじゃない。
すぐ隣にはそうじゃない可能性がある。
それがパラレルワールドなんだけど
それをストーリーに絡めると途端に話が陳腐になるような気がするのはどうしてだろう。
・・・いや、こっちの話。
ステレオグラム交差法。千葉城から。

2日前にちょっと書いた
「変なモノの見える人のお話」でも書くか。
えーとね。
世の中には、変なモノが見える人ってのが結構います。
見えるそうです。
少なくとも相談にはよく来られます。
私には、見えないんですが・・・。
フツーに考えると、それは幻覚だと思います。
私を含めて、世界の多数派の人にとっては幻覚です。
ただ、その「見える人」に対して
「それは幻覚だよ」と言うことに何の意味があるでしょうか。
その人には現実として見えているというのに。
私は、アホかと思われるくらいに、相談者やクライアントを信じます。
ここまで信じるんか!?と、同席者などは思うようです。
でも、信じて何が悪いというのだろう。
その人がウソをついていないと言うことを。
その人が真実と思うことを話しているということを。
その人の言う「内容」が「客観的な真実」だと信じているワケではない。
その人が「見た」という以上は
その人が見たことを、私は信じている。
その人はウソをついてなんていない。
その人は、見てもいないものを見たと言っているワケではない。
ウソをついていれば、分かると思う。
真実ではないのに真実であると自分を騙さずに語るウソは、流石に分かるんじゃないかな。
その上で敢えてウソに乗ることもある。
だって「それはウソだ」と言うことは誰でも出来る。
ウソを見抜けない人だって、言うことが出来る。
ウソをつく人は、ウソをついていることを見抜かれさえしなければ「ウソだ」と言われても怖くも何ともない。ウソを続けるだけ。
その人にウソをつかせたくないのなら
ウソを引きずり出すしかない。
だけどその人がウソをついていたとして
別にウソでもいいならば
ウソを引きずり出す必要もない。
一緒に空想の話をすればいい。
話は戻って
変なモノを見る人達が、その見ることで苦しんでいるのなら
その苦しみは本当なのだろう。ウソなどではない。
苦しみに、最大限の想像力を持って共感するしかない。
そしてその人の立場に立って、その苦しみから逃れる方法を模索するしかない。
細心の注意を払って、医者や精神科を勧めることもある。
デリカシーのない言い方はしないつもり。
その人の立場に立って、それを勧めることは出来ないことではない。
ただ、あまりそれを勧めることはない。
それは、精神科の行う投薬治療に対して、やはり全幅の信頼を置けないから。
「変なモノが見える人」と出会うことは多いのだけれど
やっぱりそれでも毎回、その人を信じる。
どこかで期待もしている。
本当に変なモノがいることを示す可能性に出会うこともあるのではないかと。
残念ながら、今までそれと言えるようなものに出会ったことはないけれど。
弁護士によっては、その手の話は
「それは法律問題じゃありませんから」
と言って、話を聞かずに帰してしまう人も大勢いるようですが
私に関してはそのタイプではない。
どんな荒唐無稽の話でも、しっかり聞く。
自分には決して見ることの出来ない、変なモノの話を。














