リブログしたのは娘っことのクリスマスプレゼントにまつわるオイラには最高の思い出です。
オイラが親になって訪れたハプニングかな。
で、ここから本題へ。
19日の月曜日から始まった雪害、やっと落ち着いたけど、仕事は更に繁忙期を向かえ、スマホ📱をいじくる時間も少なくなり、ブログの拝読も儘ならない、申し訳ない。
m(_ _)m
そんな中、以前拝読したブロ友さんの記事に『赤い公衆電話』はサンタさんへプレゼントのお願いをする電話だと、幼い頃に父親に教えられてわくわくしていたという記事を読み、自分はどうだったのだろうとふと思った。
クリスマス前後のラジオ番組でもサンタ話はいろいろだった。
中でも『うちには煙突がないけどサンタさんはどこから入ってくるの?』と子供がお母さんに尋ねたそうで、そのお母さんはとっさに『サンタさんは壁をすり抜けて入ってくるんだよ』と言ったそうです。
笑っちゃったけど、子供もお母さんも今後のことを考えると大問題だと思った。
で、熊本の実家にはガス湯沸し器の小さな煙突があったからオイラはそこから入ってくるのだろうと幼い頃は思ってました。
で、更にクリスマスプレゼント🎄🎁のことを考えてた。
プレゼントに貰って記憶しているのは『ラジコン』や『ゲームウォッチ』、妹にもそれなりのおもちゃを貰っていました。
子供の頃の当時の親父が言っていたのは『出入り業者さんが御歳暮代わりにと頂いた物を貰ったものだ』と言っていたような。
なので、ずっとその言葉を信じていました。
で、その頃は大人の事情も分からないままただおもちゃに喜んで遊んでいました。
ブロ友さんの『赤い公衆電話』がきっかけでいろいろと考えてみた。
子供の頃、なにげには我が家は貧乏だとは思っていました。
親父は車の免許持ってないし、母親も免許持っているけど、車は所持してないし、公共交通機関が主だったし、服とかもほぼみんな親戚の兄姉ちゃんたちの御下がりだし。
クリスマスプレゼントは業者さんが御歳暮代わりにくれた物、でもそんなことはお構い無しに遊んでいたのは事実。
でも、そういえば親父は小遣い制で、給料日後に母からいつも定額の金額を貰っていた。
親父の小遣いは、ほぼ缶コーヒーとタバコ代、通勤中に読む小説などが主な使い道だった。
プレゼントを買う余裕はないし、我が家の大蔵省は母親で実権を握っていたし、プレゼントを買うとなれば、母親を通してからでないと買わないよなぁ~とか思った。
でも、業者さんが御歳暮代わりにくれたというのが嘘だったとしたら、毎年、親父の小遣いの中から遣り繰りして、プレゼントを買っていたことになる。
耳の遠い認知症の親父にはもう直接聞くことは難しい。
でも、オカンならと思い電話してみた。
年末に送ったル・レクチェの味の感想を話のきっかけにして聞いてみた。
『子供の頃に貰ったクリスマスプレゼントは親父の勤め先の業者さんが御歳暮代わりにくれた物って言ってた記憶があるけど、本当?』
『いやぁ~出入り業者さんがくれたなんて記憶にないし、そんな業者さん、親父にはいないんじゃない、私もよく覚えてないし、クリスマスプレゼントは親父ひとりでやってたんじゃない』と母親は関与を否定した。
そうなると、やはり少ない小遣いから、無理してプレゼントを買っていたんだと、50年越しに気付く父親の優しさだった。
ラジコンはともかく、ゲームウォッチといえば、それなりに時代を沸かせたおもちゃ。
ゲームボーイなどの元になるおもちゃ。
そう思うと、親父なりに時代の流行りを捉えプレゼントを考えて買っていたのだと。
ガンダムのアムロ・レイではないけれど、親父にぶたれたのは小学6年生の時の一度だけ。
警察沙汰になる一歩手前で、いろいろと迷惑をかけた時だけ。
それ以外は寡黙で優しい父だった。
そんな父の優しさに気付くことなく、50回目のクリスマスを向かえたことに情けなさを覚える。
家庭の事情もあり、結婚式とかしなかったから、親への感謝を述べる機会もなく、ここまできてしまった。
認知症になって、今さらかもしれないけど、この恩返しをしたいと思ったクリスマスでした。