三連休も今日で終わり。
いよいよ、明日からはお仕事、学校ですね。。
僕はというと、水曜日から中国の大連に出張です。
中国にいくのは、実に5ヶ月ぶりで、
しかも大連は初めてです。
大連は、中国でも北の方に位置しており、
ほぼ北朝鮮に近いため、成田から3時間程のフライトです。
だから、移動自体は楽なのですが、
ちょっと、憂鬱なのが、パスポートの写真です。
前回は、4月に中国に行っていますが、
香港からシンセンに入る際に、パスポートの顔が違うと
入国に、かなり時間がかかってしまいました。
なんで今回も、ちょっと心配してるわけです。
それで、何時間もロスしたら、出張行程めちゃくちゃですからね。。
さて、大連というと、皆さん何を想像しますか?
大連は、遼寧省にある都市で
昔は「満州」と呼ばれていた場所です。
80年程前は「満州国」が建国され「日本」だった土地です。
当時の日本軍はこの大連も、台湾と同じように
今の都市の基礎となる社会インフラを整えた訳ですが、
そこに住む人々の対日感情はどのようなものなのでしょうか?
台湾には、年に数回出張で行っていますが、
非常に(特に年配の方から)親日の感情を感じます。
当社の台北支店の若いローカルスタッフと話しをしていても、同じです。
「何故、日本に対して、台湾人は好意的なの?」
そんな、質問を投げかけたことがあります。
答えはこうでした。
戦時中の日本軍は台湾の社会インフラを整えてくれ、
貧困の台湾を、豊かにし、秩序を作ってくれたと。
もちろん、彼らが、そんな戦時中のことなど知るわけありません。
彼らの祖父、祖母、両親が、子供達に話しを聞かせているんです。
これは台湾の教育の影響が非常に強いのだと思います。
そして、中国はどうでしょうか?
日本軍は確かに台湾と同様にインフラを整えました。
しかし、満州でしてきたことは、少し違います。
満州事変に始まる侵略の歴史は、中国国民にとっては
とても穏やかな史実ではないでしょう。
かくいう、僕も
この満州には、遠く関わっています。
僕の祖父は、戦時、満州に派兵されており、
第二次世界大戦の終戦直前に、ソ連に侵攻され、
満州国が崩壊すると、そのままシベリアに抑留されました。
祖父はこの満州で、しばらく生活をしていたのです。
祖父は文人であり、愛情に溢れた穏やかな人間であり
戦争を誰よりも憎んでいた人です。
その祖父は、この大連の地で、遠く離れた家族を想い、
何を感じたのでしょうか。
時は流れ、大日本帝国も、ソ連も
今はもう、存在しない世界に僕らは生きています。
そして、いつかは、そうした国や歴史が存在したという
事実だけが史書の一部に記され、
人の忘却の連鎖の中で、
その歴史の濁流の中で、懸命に生きた人達のことは、
もう誰も知らない。。。
そんな世の中が、やって来るのでしょうが、、
それは、ある意味幸せなことかもしれません。
記憶は、憎しみを呼び、
子孫への伝承は、憎しみまでも同時に伝えてしまうでしょう。
だから、戦争を、感情を
いつまでも引きずらないためにも
忘却、というのは、必要なのかもしれません。
しかし、歴史とは累々と確実に続いてきたものであり、
これからも繋がっていくものです。
そして、その歴史とは、人がつくり、繋いできたものです。
その「人」が自分の大切な人だったとしたら、どうでしょうか?
忘れるべきでないことは、きっとあります。
だから、その祖父が、遠い昔に過ごした
大連という街を、
せめて、孫である僕は
しっかりと、見てこようと思ってます。
祖父が、亡国の家族への愛だけを胸に生きた
満州の地を。
いよいよ、明日からはお仕事、学校ですね。。
僕はというと、水曜日から中国の大連に出張です。
中国にいくのは、実に5ヶ月ぶりで、
しかも大連は初めてです。
大連は、中国でも北の方に位置しており、
ほぼ北朝鮮に近いため、成田から3時間程のフライトです。
だから、移動自体は楽なのですが、
ちょっと、憂鬱なのが、パスポートの写真です。
前回は、4月に中国に行っていますが、
香港からシンセンに入る際に、パスポートの顔が違うと
入国に、かなり時間がかかってしまいました。
なんで今回も、ちょっと心配してるわけです。
それで、何時間もロスしたら、出張行程めちゃくちゃですからね。。
さて、大連というと、皆さん何を想像しますか?
大連は、遼寧省にある都市で
昔は「満州」と呼ばれていた場所です。
80年程前は「満州国」が建国され「日本」だった土地です。
当時の日本軍はこの大連も、台湾と同じように
今の都市の基礎となる社会インフラを整えた訳ですが、
そこに住む人々の対日感情はどのようなものなのでしょうか?
台湾には、年に数回出張で行っていますが、
非常に(特に年配の方から)親日の感情を感じます。
当社の台北支店の若いローカルスタッフと話しをしていても、同じです。
「何故、日本に対して、台湾人は好意的なの?」
そんな、質問を投げかけたことがあります。
答えはこうでした。
戦時中の日本軍は台湾の社会インフラを整えてくれ、
貧困の台湾を、豊かにし、秩序を作ってくれたと。
もちろん、彼らが、そんな戦時中のことなど知るわけありません。
彼らの祖父、祖母、両親が、子供達に話しを聞かせているんです。
これは台湾の教育の影響が非常に強いのだと思います。
そして、中国はどうでしょうか?
日本軍は確かに台湾と同様にインフラを整えました。
しかし、満州でしてきたことは、少し違います。
満州事変に始まる侵略の歴史は、中国国民にとっては
とても穏やかな史実ではないでしょう。
かくいう、僕も
この満州には、遠く関わっています。
僕の祖父は、戦時、満州に派兵されており、
第二次世界大戦の終戦直前に、ソ連に侵攻され、
満州国が崩壊すると、そのままシベリアに抑留されました。
祖父はこの満州で、しばらく生活をしていたのです。
祖父は文人であり、愛情に溢れた穏やかな人間であり
戦争を誰よりも憎んでいた人です。
その祖父は、この大連の地で、遠く離れた家族を想い、
何を感じたのでしょうか。
時は流れ、大日本帝国も、ソ連も
今はもう、存在しない世界に僕らは生きています。
そして、いつかは、そうした国や歴史が存在したという
事実だけが史書の一部に記され、
人の忘却の連鎖の中で、
その歴史の濁流の中で、懸命に生きた人達のことは、
もう誰も知らない。。。
そんな世の中が、やって来るのでしょうが、、
それは、ある意味幸せなことかもしれません。
記憶は、憎しみを呼び、
子孫への伝承は、憎しみまでも同時に伝えてしまうでしょう。
だから、戦争を、感情を
いつまでも引きずらないためにも
忘却、というのは、必要なのかもしれません。
しかし、歴史とは累々と確実に続いてきたものであり、
これからも繋がっていくものです。
そして、その歴史とは、人がつくり、繋いできたものです。
その「人」が自分の大切な人だったとしたら、どうでしょうか?
忘れるべきでないことは、きっとあります。
だから、その祖父が、遠い昔に過ごした
大連という街を、
せめて、孫である僕は
しっかりと、見てこようと思ってます。
祖父が、亡国の家族への愛だけを胸に生きた
満州の地を。