朝、目が覚めると、窓の外はもうかなり明るかった。時計の時刻は八時を過ぎていた。
 気怠そうに教科書や筆記用具を手にする学生たちの姿が教室の風景とともに思い浮かんだ。
 体中が痛い。よく見ると床に寝てしまっていたようだ。しかも制服を着たままだ。カーペットの上に横になっており、毛布がかけられていた。
 状況がまだよくわからないみたいだ。体を起こすと、すぐとなりのベッドの上で誰かが寝ているのが見えた。自分と同じ制服を着ている。
 エアコンの暖房が自動運転になっていた。机の上にリモコンが置いてあった。窓のカーテンは閉まっていた。断片的に、少しずつ蘇ってきた記憶を、夜子はひとつずつ繋げようとした。

 目を閉じると、今でも思い出す。
 赤い灯火と、あの警報音が、夜の暗闇を少しずつ蝕んでいくみたいだった。


「近江ーーーーーッ!!」
 尾藤が叫んだ。
 押され気味の神経回路を使って絞り出せるそれが最大限の行動のように見えた。他の二人はそこに至ることすらできないようだった。夜子の手は震えていた。
 目の前の局面に対してではなく、慌ただしく状況が変化するときにはたいていは震えていたから、あの寝不足で電飾の狂った軽自動車が現れず、その後参拝に向かっていたとしても、男たちに車で送られたとしても結局はこの振戦と向き合う羽目になっていたはずだ。どちらにしても夜子に状況を覆せる何かを見いだせるはずなどなかった。
 自劣感情が心を満たしていった。
 うごけない
 声もでない
 なにもできない
 なにもできないんだやっぱり

 暗闇に雨と貨物列車と灯火の、光と音だけが動くことを独占しているみたいに見えた。
 それらはある一つの目的に照準を合わせて動いているようにしか見えなかった。
 灯火はそれを防ぐためではないのか。
 列車はそれを防ぐためにもあらゆる労力が払われているんじゃないのか。
 この世は結局、強いか弱いかなのだろうか。
 だとしたら、いま迫っているこの無法の圧力の正体はいったい何なのだろうか。
 抵抗の余地はなかった。抗うすべもなかった。
 何故ならこれは、私たち人間よりもさらに上の次元に設置されたものであり、ありきたりに言うならば運命、そしてさらに小難しく言うならば、これはある場所で「吽形有蓋」と呼ばれているものだったからだ。
 小さな人間の子どもたちに抗えるはずなどなかった。

 三人は譲歩した。
 運命に抗って命が尽きる道を、そこにあるもっと強い存在へと委ねたのだ。つまりそれは近江である。
 この世ですべての命は死を迎える。
 それを免れるものはひとつもない。
 いま、それが目の前にひとつやってきている。
 そう、受け入れた。
 それ以外にできることはなかった。


 なんでこんなことになったんだろう
 残惜と後悔は、力には変わらなかった。



 教室内。

 「何こいつダッセー!」
 「うわー、古代人だな、古代人」
 二、三年流行おくれの服で学校へ向かう。
 シャープペンをノックする音の中、鉛筆と鉛筆削りの入った古めかしい筆箱を取り出した。

 「なにあれ」
 「よくやるよね、何か訴えてんのかな」
 昼食の時間。机をくっつけてみんなの賑やかな声が響く。
 誰の机ともくっつかない私は、お弁当箱のふたを開けた。
 おそらく全部知っているであろうはずのお母さんの姿が目に浮かんだ。
 私には、それが一番寂しかった。
 

 それでも、私はここにいる

 笑って
 六角を描いた。
 

 

 

 静かな夜だった。

 雨風は止んでいた。

 音と光はすべての躍動する足場を潰されていた。
 暗闇も赤い灯火も、ヘッドライトも雨粒も、彼らが所有する色は遥か上空から見下ろされているかのように、ときどき紫色に捻じ曲げられていた。
 呼吸を合わせたみたいに、景色が一瞬だけ紫になることで、とても威圧的なその差配に従っているように見えた。
 二秒後に一瞬。次は七秒後に一瞬。機械的な等間隔では許されないと、怯えているようにも見えた。
 その二秒と七秒も、彼らには自由ではなかった。
 空間だけではなく、そこでは時間さえも支配されていたからだ。

 夜は、遥か遠い昔からずっとその姿を独自に崇めつづけてきた。
 太陽の光と秩序の及ばないところでずっと、密かにそれを行ってきた。
 夜の屋外に浮かぶ雑器たちもそれをようやく思い出したようだ。
 紫色が、その姿の紋だった。

 

 一番奥の台座に立って、歌を奏でた。
 光の道を空へと伸ばす姿を、彼らは静かに仰いだ。
 

 気がつくと私は、あの扉を開けていた。