九月も終わりの頃。この日は精神科の受診日だった夜子は草加病院に来ていた。
「次、雨田さん」
時間も遅く、待っていたのは夜子だけだったので浦島が直接呼びにきた。第一診察室に入る。
前回は母と二人だったが、今日は学校帰りに一人で来た。浦島と向かい合って椅子に座る。
「学校はどうだ」
「なんとかやってます」
浦島の心配は学校での生活のようだった。今の夜子にはとても荷が重いことは明らかだった。
「じゃあ次、二週間後な」
「はい」
15分ほどの診察が終わった。
夜子が診察室を出ていったあと、カルテを眺めている。統合失調症の症状などの記述と一緒に夜子の言った言葉が記されていた。そのうちのひとつにアンダーラインが引かれていた。
みどりのメーターが見える
それは浦島に対しての言葉のようだった。突拍子もなく言われたのだが、その言葉には切羽詰まった様子はなく、言っても言わなくてもどちらでもかまわないけれど一応言った、というような口振りが感じられた。
統合失調症の特徴的な症状でもある妄想だとする場合、自らをその世界の主人公として、「〇〇の秘密を知って命を狙われているんです」とか「〇〇ができるようになったんです」などのように非現実的なことを何の疑いもなく、全てのものが途切れてしまったけれど、自分だけがつなぎ止め、世界を維持しているというような勢いをもって語ってくる。
〇〇には例えば、宇宙には同じように生命をもつ星がたくさんあり、それぞれ世界は違えど、みんなが同じある景色に憧れを抱いている。そして、その具体的な描写などを交えながら説明したり、信号機が赤になる瞬間、周囲十数メートルの空間が紫色になるのが見え、そのとき事故の起きる可能性が上がるから自分が防いでいる、など。ふつうなら発想すらも及ばないようなことに自分の力の全てを傾けて言ってくる。
ところが、このときの夜子は話している内容には自分はたいして関心がなく、本当はべつの何かを気にしている、というような感じだった。
浦島はしばらく考え込んだ後で、メモをひとつだけ付け足した。そこには「――瞳線?」と書かれていた。
病院からの帰り道。夜子はあることに気がついた。
学生証がない。
どこかに忘れたか、落としてしまったようだ。仕方なく、病院に電話してみる。
「あ、はい、はい。……ありがとうございます」
受付には届け出もなく、もし見つかったら連絡すると言われたが、その間、終始手は震えていた。
もう、何もできないんだ
また悲しくなった。
来た道を戻ってみるが、見つからない。まだ緑色が目立つ銀杏並木の坂道を探しながら上る。やっぱり見つからない。
やがて追い討ちをかけるように雨が降り出す。傘は持っていない。雨やどりもできず、後ろを振り返ると緩やかな下り坂の先に、山線が霞んで見えた。情景だけが自分を理解しているような気がした。
あれから約一か月。なんとかなる、とそれを打ち砕く絶望感を何回繰り返したかわからない。通り過ぎていく車から投げかけられる視線が苦しい。立ち止まり、うつむいてしまった。
お父さん、お母さん、ごめんなさい
物心がついたときから苦しみの記憶しかない。もしそんな人生を全うしたら。
夜子は自分のことで初めて、涙がこぼれそうになった。