正直な所、
まだ心の整理がついていません・・・。
この話について書くか、
今でも悩みながらパソコンに向かっています。
自分でもどう表現していいか分からない所も多いので、
文章が分かりにくかったり、
読んでる方に不快感を与えてしまうかもしれません。
読むのが辛くなったら途中で止めて下さいね。
3月11日。
この日、
私と3才の息子は予防接種の為、
病院に来ていました。
注射を終えた息子は、
『ママ、スパペッピー(パスタ)食べたい!電車でお出掛けしたい!』と、
珍しくおねだり。
春服がちょっと肌寒かった私は家に帰りたかったのですが、
『ま~、手芸屋で買いたい物もあるし』と言うことで、
電車で4駅目の仙台駅前へ。
ご希望のパスタを食べ、
少し古いビルの7階で手芸品を見ていた時。
あの大地震が起きました。
この地震の以前にも、
2~3年前に宮城県で起きた大きな地震で、
地震という物がかなりのトラウマだった私は、
今回の大地震も、
揺れ初めから激しく動揺。
ひとまずベビーカーで熟睡している息子と、
物が倒れて来ない様な場所に移動したものの、
下から突き上げるような揺れや、
縦横斜め・・・、
とにかく好き勝手に揺れるビルで、
立っていることもままならず、
ガタガタ震えながら泣き叫んでいました。
その様子を見て、
近くにいた見知らぬ女性の方が、
私とベビーカーにガッチリ覆い被さって、
『大丈夫!大丈夫!すぐ終わるから!もうすぐ止まるから!!』と、
絶えず励ましてくれました。
この時程、
人の有り難みを感じた事は有りませんでした。
しかし、なかなか収まらない地震・・・。
どんどん棚や布、マネキンが倒れ、
防火扉は大きな音をたてバタンバタン鳴り響き、
壁や天井にはヒビが入りバラバラ崩れ出し・・・、
ついには私達が居るすぐ上、
『8階から火災発生』のサイレン・・・。
早く逃げ出したくても、
大きな揺れが続き、
まともに歩けない・・・。
私は腰を抜かしている様な状況でした。
そんな中、
『落ち着いて下さい。このビルは安全ですから!』
と言う店員。
安全?
火災報知器がなってるのに?
今居る階は布製品だらけなのに?
地震に加えて火災の恐怖。
なんとしてでも息子だけは救わなくては!
私は揺れが少し弱まったタイミングをみて、
寝ている息子を抱きかかえ階段を駆け下りました。
ビルを出るとスプリンクラーが作動したのか、
外壁からは水が流れ、
そこら中に砕けた外壁が散らばっている有様。
歩道や中央分離帯は多くの人で溢れていました。
外へ避難した人達は、
ラジオを聞いていたり、
ワンセグで状況を見ていたり、
中には水が流れ出すビルを笑いながら写真におさめている人もいました。
笑えない・・・、
なんでこの人達、楽しそうなの?
さすがに怒りすら覚えました。
その後も何度も激しい揺れが続く中、
古いビルに囲まれて一体どこが安全な場所なのか分からない不安は続き。
恐怖で震えが止まらず、
私は中央分離帯で気持ちを落ち着かせる事でいっぱいでした。
幸いにも息子は地震の最中は終始爆睡・・・。
(ほんと、スゴイ子です・・・)
泣くことも騒ぐこともなく、
ただただキョトンとしてました。
やっと我に返り、
携帯を開いてみると・・・、
充電切れ・・・。
連絡も誰とも取れず、
不安は増す一方・・・。
元々少なかったバッテリーも、
沢山の方からのメールや電話で、
あっという間にゼロになったみたいです。
本当なら心配して頂くって嬉しいことなのですが、
この時ばかりはさすがに困ってしまいました。
このままではマズイと思い、
以前働いていた職場へ急ぎました。
誰でもいいから、
誰かと一緒に居たくて・・・。
職場へ着くと、
昔の同僚達が建物のそばに集まっていました。
その姿を見て安堵した私は再び号泣。
そばにあるJR仙台駅は完全に閉鎖。
普段は溢れんばかりに停車しているタクシーも全部出払い、
タクシー待ちの長蛇の列。
街の中は信号も消え大渋滞。
今ではあまり見掛けなくなった数少ない公衆電話も長い列を作っていました。
職場の仲間と話していた時、
実家の様子を心配している子も中には数名いました。
でもこの時の私は、
自分と息子の事で精一杯。
実家はおろか、
その日仕事で静岡に行っていた旦那の事もすっかり頭から抜けていました。
『きっとみんな大丈夫だろう。』
携帯の充電も無く、
何一つ情報が無かった私は、
この地震は宮城県の事だとしか思っていませんでした。
地震は治まることも事も無く、
輪を掛けるように、
信じられないくらいの大雪が降っては止み、
降っては止み・・・。
そのうち、
ただ立ち止まっている寒さに耐えきれず、
取りあえず自宅を目指して歩き始めました。
どうせ自宅の中には入れないだろう・・・と覚悟はしていました。
以前起きた地震でも家財道具80%倒壊と保険屋さんに診断されたウチですから・・・。
避難所に行く事も考えていませんでした。
ウチの近所は世帯数も人口も、
他の地域とは比べものにならない位、
圧倒的に多かったので、
行った所で入れない事は覚悟していました。
今夜だけでも車で寝ればいい。
車で携帯も充電することが出来るし。
明日には旦那も帰ってきて、
それからゆっくり片付ければいいや。
そんな事を考えながら、
渋滞する車のライトだけを頼りに自宅へ進みました。
途中、
懐中電灯の頼りない明かりだけで営業している店を見付け、
食料の調達。
ライフラインなんて当てにならない状況で買える物と言ったら、
飲み物とお菓子位。
何とか自宅に着いた頃には辺りは真っ暗。
21時を過ぎていました。
マンションは明かりが無くても分かる位、
玄関先から暗闇の部屋の奥まで、
ぐっちゃぐちゃ。
本来、玄関にあるはずが無い物が、
玄関を埋め尽くしている始末。
必死で車の鍵だけ見つけ出し、
急いでエンジンをかけてみると・・・・。
最悪な事に、
エンプティランプ点滅中。
ガソリン切れ寸前でした・・・。
でも無事だけは伝えなくては!
と、旦那、旦那の実家、私の弟と連絡を取り、
エンジン停止。
たった数分の事でした。
ただその数分電話をするためにエンジンをかけたことで、
私達の存在に近所のママ友が気付いてくれたのです。
その友達も家の中は怖いので車の中に避難していたようで。
地震直後、
近所の人達は、
マンション近くの公園に避難してきたのに、
私達がマンションから出てこなかったので、
気にしてくれていたみたいです。
『ウチはそこまで被害は酷くないから、
布団持ってきてあげるね。
今夜だけお互い車で寝て、
朝になったら家にいってみよ?』
地震が起きてから、
ただ1人・・・息子を守ることで精一杯だっただけに、
その優しさに感謝しきれない気持ちでいっぱいでした。
相変わらず状況がさっぱり分からない息子。
どうして車の中でママと2人でいるのか?
車に乗っているのに、なぜエンジンをかけないのか?
どうして車で寝なきゃならないのか?
どうして停まっている車が、
こんなに大きくガタガタゆさゆさ揺れるのか・・・?
泣くことも無く、
いつもみたいにはしゃぐ事も無く・・・。
いつの間にか疲れて眠りについた息子をみて、
ほんの少しだけホッとしました。
でも結局、
寒さと揺れで眠れぬまま朝を迎えました。