今日からブログを開始したいと思います。

 

社会人になってから、ずっと人生に息苦しさを感じていました。

 

 

 

 

 

 

先日、イプセン著「人形の家」を呼んだ時に理由が分かりました。

 

あぁ、私はいつも誰かの”人形”だったのだなぁ~と。

 

 

 

 

 

”人形”は、意思を持たない慰み者です。

 

 

「自分ではない誰か」を喜ばせるために存在する。

 

「自分ではない誰か」の価値観を「正」として、生きています。

 

誰かが「正しくない!」と言えば、恐れてそれに従います。

 

自分自身に基準がないから、常に「正しさ」を探し回ります。

 

自分軸ではなく他人軸で生きてしまう、私のいう”人形”です。

 

 

 

 

小学生から高校までは、母親の人形でした。

 

大学生になってから、とある宗教の人形でした。

 

社会人になったら、世間の目と、宗教の人形になりました。

 

 

長い間、「他人の正しさ」の間をぐるぐるしていました。

とある「正しさ」がしっくりこなければ、次の「正しさ」を探す…そんなことを繰り返していました。

 

 

 

 

けど、ようやく気付きました。

 

自分にとっての「正しさ」は、自分で決めるもの!

 

自分にとっての「正しさ」は、自分にしか分からない!

 

自分にとっての「正しさ」は、自分にしか感じられない!

 

と。

 

 

 

私は、私の人生にとっての「正解」を求めて生きていきたい。

 

まだまだ怖いけど、常識を疑いたい。

 

自分が違うと思えば、自分に合う方向を採用したい。

 

たとえそれが、この日本社会からズレていたとしても。

 

 

 

前述の「人形の家」に登場する主人公女性・ノラの言葉です。

世間でなんと言おうが、そんなことは問題ではありません。

そうすることが、あたしにとって必要だということを知っているばかりです。

 

世間の言う事や本に書いてある事では、 あたしはもう満足していられません。

あたしは自分一人でよく考えてみて、物事をはっきり弁えたいと思っています。

 

牧師さんのおっしゃった事が正しいかどうか、

すくなくとも あたしにとって正しいかどうか、考えてみたいと思うのです。

 

 

 

世界平和も、他人を幸せにするも何も、

まず私自身が幸せになることが先決です!ドキドキドキドキ