今、事情があって新規の派遣先で仕事できるか保留になってるのですが、もし就業できるならこの日以降でお願いしたいということを派遣会社に伝えたんです、先日。

 

これね、実は私にとっては初めてでした。私ね、基本的に派遣会社や派遣先の意向を優先してたんです。自分の希望より相手の希望を優先するってこと、人生で当たり前のようにおこなってました。

 

それが前の職場で同い年くらいの派遣さんが結構いて、いろんな話聞けたんです。私、そもそもほかの人と話をするのもしんどくなるので(HSPあるあるかもしれませんが)お昼休みとかひとりで過ごしたいタイプで。ただそのときはほかの人とも話をしたくなってて同期さんたちとランチしてたんですね。

 

すると皆さん、仕事選びや条件などご自身の都合を結構優先させているし派遣会社に伝えてる!  私は仕事選びのときにできるだけ自分の条件に近いものを選んでエントリーしたら、そこに引っかかったときにご縁だと思ってできるだけ相手を優先させていたんですよ…

 

今考えると、どんだけおめでたいんだろうとビックリですけど我ながら。

 

そしてどうしてこういう考えに至っているんだろうと考えました。それでああここかと。やっぱりここかと。

 

母親、ですね。母親の考え方。

 

この頃はここにすべてがあるとも思います。私は私のようで私でない。私が思うこと・考えること・価値観etc.すべて母親のコピーでしかないのではと。

 

私には反抗期がなかったように思います。反抗期で「クソバ〇ア」とかひどいこと言われて傷つく親御さんもいると思いますが、そのときって子供としてはきっとお母さんの存在を否定しているのではないんです。

 

お母さんは大切。だけどお母さんと私は違う。私は私。

 

そんな自分軸を形成するには、お母さんを傷つけてでも“拒否”していく必要があるわけです。その過程なんだと思います。

 

母親は父親や父方の祖母を使って母親自身を守ることを優先させた。そのために私もその考えに洗脳されたのです、ずっとずっと。だからその過程が私にはなかった。

アレ?なんか母親の言ってることや考えっておかしいなと気づいたの40歳過ぎでしたよ。

 

今ね、これまた過程を経て母親を心から『クソバ〇ア』って言えるようになって(本人には言わなくても)初めて自分の人生を歩みだした気がします。だけど母親のコピー状態であることは確かで、自分の様々をひとつひとつ検証しながらでないと母親という沼にはまったままだなと。

 

もうオーバー50であきらめようかと思うときもあるけれど…でもこれ以上つらい想いってイヤだッ!って気持ちが強いから。