新しい朝ドラが始まりましたね。

 

時々ヒロインが口にする「これは米田家の呪いや」という言葉。

ドラマが始まってまだ2週間しか経ってないけれども、

今のところは「自らの危険を顧みずに人助けをしようとすること」?

くらいにしかわかりませんが、

ストーリーが進むにつれて、もっと深刻な内容が出てくるのかしらね。

 

ヒロインの橋本K奈さんが言うから可愛く聞こえるけども、

私はずっとずっと親からの目に見えない心の声に縛られていました。

 

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先週私は今まで私が書いてきたブログを読み返しました。

よくここまで頑張ってきたなあと思いました。


以下思ったことを書いてます。

適当にスルーされてください。

 

私の頭の中は毒親の「の○い」で沢山でした。

今でもまだ気づかないだけで沢山あるとは思います。

娘にも伝播させているのがあると思います。

 

最近やっと私は自分の将来のことまで考えが至るようになりました。

将来と言っても、アラ還だけどね。

ずっとずっと・・私は明日生きていけるだろうか来年も元気で生きていられるんだろうか、

心に救いはあるのだろうか・・そんなことばかり考えてました。

 

ずっとずっと私は私の将来のこと、

敢えて言えばお金を精査しながら人生計画を考えることができませんでした。

 

TVでガザ地区のイスラエルの女性が

「私は来年のことを考えることができない」と涙ながらに語っていました。

あれからもう1年が経過したなんて哀しいです。

 

私は戦争にはいなかったけど、

私の心の中はずっと毒親の呪いの声でがんじがらめでした。

 

将来のことって、せいぜい1週間分のお弁当のおかずを考えること。

集合時間(出勤時間)までの時間のやりくりを考えること。

お盆お正月のことを考えること。

 

それが最大限でした。

それくらい将来のことを考えるのは虚しく絶望でしかなかった。

今日一日、明日、一週間を生き延びるだけで精一杯でした。

 

先月は連休はすべて誰かとのお約束や趣味のセミナーに行って忙しくしていました。

先月は「自分一人の時間がほしい」とインチャイが言っていたので、

今月は比較的ゆっくり過ごしています。

 

体はへとへとだったけれども、どれも自分で選んで参加したことでした。

お金がかかった一日もありました。

友人と食事すると高級なものを食べなくても、

やはりお金がかかってしまいます。

でもその思い出は参加したから得られた自信となって帰ってきたと実感しています。

 

一方で亡くなった父は「お金を使ったらバチがあたる」とずっと言っていました。

父は母が新しい服や上着を買おうとすることを頑なに拒否していました。

 

父にとってはお金を使うことはすべてギャンブルや賭け事を同じくくりでした。

「必要なことの為にお金を使うことは害悪以外の何者でもない」が私の中に染みついていました。

「必要なことにお金を使って豊かになる」ことって、私の中でずっとNGだったんです。

 

私にとって、「必要なことのお金」「賭け事のお金」のバウンダリーが曖昧でした。

 

化粧品に関しては、父のそんな刷り込みの他に母の「お化粧が好きなんて水商売みたいだ」との

一言で、私はずっとずっと購入することに罪悪感を抱いていました。

 

またしつこく書きますが、私にとってピアノコンクールに出ることはある意味賭け事でした。

でも「賭け事」にしたくなかったから、私の中で「変化のきっかけ」と意味をつけました。

 

私がどんなに母のテリトリーから出ていこうとしても、

母は「あなたは無力だから私が世話をしなきゃ」と、私の世話を焼きたがりました。

私が失敗したらそれ見たことかと無邪気に笑っていました。

私が成功したときは面白くなさそうにしていました。

 

よく先生が

「お母さんはあなたがテスト頑張っていい成績をとったら喜ぶでしょ?」と言っていたけども、

私の中では「そんなのないない」でした。

 

でも先生は私から「はい」と返事が来るのを期待している空気もじわじわ伝わってきました。

なので事実は真反対だけど「ほめてくれました」と応えるしかありませんでした。

 

だって「ほめてなんかくれません」と返事すると、

「そんなはずはない!」と私が先生から嘘つき親不孝扱いされるから、

取り繕うしかなかった。。

先生まで敵に回したくありませんでした。

敵に回したら私はひとりぼっちになってしまう。。。

 

ほんと親にとっては、

「私の不幸は蜜の味だ」と私はずっとずっと思っていました。

誰にも言えませんでした。

今でもそう思っています。

 

私は、毒親から

「何が間違っているのか」

「何が違和感があるのか」の感覚を麻痺させられ、

理解できなくさせられたなあと実感しています。

 

 

彼らはシンプルな事象をこれでもかと複雑にしてくれたと憤りを覚えます。

私はよく先生や先輩から「そんなに難しく考えなくていいのに」と言われてきました。

そう!世の中の事象って実はシンプルなんだなと今になって気づきました。

(人の心は複雑ですが)

 

私は前のカウンセラーに対して違和感を感じながら不誠実さを感じながら通っていました。

 

カウンセリングなのに毎回嫌な気持ちでした。

「私は悪くなかった」と今頃理解しました。

 

「あなたは変。」

「時間かけてでも自分でどうしたらいいか考えなさい。皆自分で答えを出しています。」と言われました。

 

 

時間ないからカウンセラーに助けを求めているのに。。

「きっかけも与えず冷笑するだけでお金取るなんてぼったくりだ。」とずっと思ってました。

だらだらと続けさせることしか考えていませんでした。

 

前のカウンセラーは「あなたは刹那的に生きていて将来を考えてない」と言い放ちました。

 

私に寄り添って私の気持ちを穏やかにするのがあなたの仕事なのに

ずっとずっと不快でした。

なのに私はそれくらいの価値しかないと思いながら、この人の元に通い続けていました。

 

「自分の人生を生きたらいけない」という呪い

私は掌で転がされてる感が半端なかったです。

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普通大人なら我が身を省みるのに、客観的に反省しながら生きるのに

彼は決して反省しませんでした。

自らを省みませんでした。

他者に寄り添いませんでした。

「私はこんなに頑張っている」で全てを済まそうとしていました。

それを押し付けていました。

 

あまりにもしつこいので

周囲の大人達は諦めて毒親を遠巻きに見てました。

一方子供の私たちは「家庭内のこと」ということで放置されてました。

 

何か言いたいけど

大人自身も火の粉を被りたくないので黙ってる

誰も誰も私に寄り添ってくれる人なんていませんでした。

 

 

 

親の言葉を言葉として捉えたらいけないと思いながら生きていました。

毒親は「あなたのことが大事」と言いながらも自分自身のほうがかわいい人でした。

言行不一致なんだと思うしかありませんでした。

 

それでも日本語が通じるから、

本当に私のことをそのように思ってくれていたらと

ずっと切望していました。

 

 

昨晩習い事の帰りに運転しながらディズニーの「ラプンツェル」を観ました。

塔に閉じ込められたラプンツェルは「あなたは弱い子だから」という魔女の言葉を信じていましたが、

自分の中の力を実感して魔女に

「でも私を利用していたのはあなただった。あなたは”あなたは弱いから”と私を閉じ込めていたのね。」と

言いました。

その言葉をそっくり毒母に返してやりたい。

 

私には私にとって”フリン”はいません。

だから同性からのお誘いやコミュニティで私が変わるきっかけを探し続けます。