平成11年3月11日14時46分

あの日の事は今でも鮮明に覚えてます・・

始まりは聞きなれない携帯の音の地震速報からはじまり
その直後から経験もした事のない物凄い揺れに襲われ
動くことも立つことも出来ずベットにつかまりながら揺れがおさまるのを
必死に絶えたものです。

水道は止まり回復するまでに約3週間、その間は毎日給水所に通ったもの
ガスはプロパンだからかろうじて使えたのが幸いでした。

でも、もっと深刻な事態が14日の原発の水素爆発、これがテレビを見ていた人に
恐怖を作りいわき市は人口の殆どが県外に非難するという事態。

その2日後ぐらいから街から生活物資が次ぎから次と消えていって、原発のせいで
生活物資を運ぶトラックがいわきに放射能怖さに来なくなりましたw

毎日食料は探し回ったり、いつ来るかわからないガソリンを4時間以上まったり
苦労した思い出しかないけどまだ生きてるだけ良かったと思うしかないです。

最後に津波や原発関係で亡くなられた方の、ご冥福を心よりお祈りします。