この日、夏休みを取得して実家に帰った。

夕方ごろ到着し、10日ぶりに父に会った。
前回よりは顔色は良いように見える。

座って少し落ち着いたぐらいに
父は、涙ぐみながら
「遠いところすまないな」
「生きて帰ってこれたよ」
と擦れた声で言っていた。

あやまる必要なんかない。生きて帰ってこれたのは当たり前。
まだまだやることはたくさんあるんだ。

と、私は涙をこらえて何とか返答した。

退院してからは、私はネットでいろいろ調べて
父の生活改善を推奨してきた。
強制は絶対にしてないし、しない。

・食事の改善
 ⇒ 免疫力が上がるような食事をする
 ⇒ レシピも購入
 ⇒ 野菜中心の食事にする
 ⇒ でも、食べたいものは食べる

・半身浴
 ⇒ 体の毒素を少しでも出すため

・散歩
 ⇒ 朝の涼しい?時間帯に犬の散歩をする

・眠いときに寝る
 ⇒ 寝れない日々が続いているようだから
   寝なくてはいけないというのではなく
   眠たいときにきっちり寝る


お腹は苦しいが、食欲は戻ってきている。
この日もエビフライを食べていた。

父、母の力になりたい。
各検査を終え、担当医より外来治療にしてみないかと
打診があったよう。

父の希望としても実家に戻りたいとのことで
この日に退院することになった。

ただ。
呂律が回らない、数字を覚えられないなどの
症状は変わっていない。

食欲は戻りつつあるが、腹水は減っていない。
ただし、増えてもいない。

母によると
実家に戻った父は泣きながら
「生きて戻ってこれた」
「迷惑かけてすまない」
と言っていたそう。

少しずつ、数ミリでも数ミクロでもいいから
前に進んで欲しいし、進ませたい。

母の疲れも気になる。
父の今後の生活も気になる。

週末に実家に戻り、いつものように話をしよう。
大腸の検査結果は、異状なしであると母から連絡を受けた。
この点については、一安心。

ただし、物事を忘れやすくなっているとも連絡を受けた。

自分の部屋番号がわからなくなっている。
メールを書くが変換できておらず、文章もおかしい。
そして、顔の左側が動きにくく、
発する言葉が呂律が回らないことがある。

症状から見ると脳梗塞の疑いがある。

すぐに、担当に報告したが
抗癌剤の副作用では「絶対に」ないとのこと。

ただし、ストレス性で同じ症状になる患者もいる
とのこと。

専門外である分野については
こうも簡単にあしらうのかと少しばかり苛立った。

苛立つことに時間を費やしても
何も改善することはない。

相談および検査を少しでも早くしたほうがいいと
父含め家族に伝え
お世話になっている東京の医大の先生に相談すると
父は自ら言っていた。

数字や細かいことが覚えられなくなっている。

父本人は、自分の症状を自覚していた。

それでも父は
母を気遣い、前向きに生活することを望んでいた。



この日も病院へ見舞にいった。

当初の予定では、この次の日に退院予定となっており
母は、父が家に戻ってくることへの期待をしていた。

病室について目に飛び込んできたのが
「大腸検査のためxx時以降の絶食」

絶食といえども、父は食欲が全くなく
病院食もほとんど食べることができない日々を
繰り返し、栄養は点滴により接種していた。

そして、便秘であると。

進行性の膵臓癌の症状でもある
食欲不振と便秘。

このことが意味するのは
退院日の延期。

この状態に、母はかなり落胆していた。

帰り際、父は
「抗癌剤治療も始めたから、仕事休んでまで来なくていいぞ」
と声にならない声で私に言う。

その帰り。
妹の運転する車の中で、
母は感情を抑えきれずに泣いていた。
「本人は頑張っているのに、大腸癌があったらどうしよう」
「覚悟って何を覚悟すればいいの」
と。

それでも、母は気丈にも
私が実家から自宅に戻るとき
晩御飯を持たせてくれた。

ちっぽけな私にできることはいったい何か。
答えの出ない自問自答を繰り返しながら
帰宅することしかできなかった。

私がこの週末に実家へ戻った理由の1つに
担当医から家族へ話を聞くことがあった。

余命の宣告をされることは明らかだったけど
この辛い現実を受け止める必要がある。

私、母、妹、祖母(母方)、従妹で
話しを聞くことになった。

父のCT写真を見ながら症状の説明を受け
治療方法の説明を受ける。

膵臓に癌細胞があり
肝臓にもいくつか転移している。

腹水もある。
ただ、この腹水は必ずしも癌から来ているものとも
言えないため、強制的には抜かない。
利尿剤を使用して、体の負担がないようにしていく。
それで、減っていくか試す。

ここまでは、本人も知っている話だとも。

そして、担当医の経験を踏まえての
余命の話。

抗癌剤が聞けば8か月。
ただ、腹水があるので
これがなくなっていかないと
抗癌剤が聞かないことが多い。

私は担当医の言葉を
頭で理解することでいっぱい。

妹は気丈にも、いくつか質問していた。
心強い。


--8か月--

こんなこと
簡単に受け入れられるわけない。

父は戦うと決めている。
負けないと。