神殿(教会)の工事、補修すると見つかる神様からの宝 | 777のクリスチャンへの警告と聖書 蛇のように聡く、鳩のように無垢であれ

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終末におけるクリスチャンへの裁き、悔い改め、聖書の喩えをおもに書いています。
お勧めメッセージです。
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2列王記22: 1

ヨシヤは八歳で王となり、エルサレムで三十一年間、王であった。彼の母の名はエディダといい、ボツカテの出のアダヤの娘であった。

22: 2

彼は主の目にかなうことを行なって、先祖ダビデのすべての道に歩み、右にも左にもそれなかった。

22: 3

ヨシヤ王の第十八年に、王はメシュラムの子アツァルヤの子である書記シャファンを主の宮に遣わして言った。

22: 4

「大祭司ヒルキヤのもとに上って行き、主の宮に納められた金、すなわち、入口を守る者たちが民から集めたものを彼に計算させ、

22: 5

それを主の宮で工事している監督者たちの手に渡しなさい。それを主の宮で工事している者たちに渡し、宮の破損の修理をさせなさい。

22: 6

木工、建築師、石工に渡し、また宮の修理のための木材や切り石を買わせなさい。

22: 7

ただし、彼らの手に渡した金を彼らといっしょに勘定してはならない。彼らは忠実に働いているからである。」

22: 8

そのとき、大祭司ヒルキヤは書記シャファンに、「私は主の宮で律法の書を見つけました。」と言って、その書物をシャファンに渡したので、彼はそれを読んだ。


ここを見て行こうと思います。比喩(たとえ)で


2列王記22: 1

ヨシヤは八歳で王となり、エルサレムで三十一年間、王であった。彼の母の名はエディダといい、ボツカテの出のアダヤの娘であった。

22: 2

彼は主の目にかなうことを行なって、先祖ダビデのすべての道に歩み、右にも左にもそれなかった。


さて、主の宮で工事をするに当たって つまり霊的な工事、補修をするのに当たって まず


22: 2

彼は主の目にかなうことを行なって、先祖ダビデのすべての道に歩み、右にも左にもそれなかった。


これが必要と見てます。


1.主の目にかなう事を行なう 2.先祖ダビデの全ての道に歩み 3右にも左にもそれない


ダビデの型はキリストであるので神様の道イエスの道 つまり。


ヨハネによる福音書:14: 6  

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。


この道 を歩むのです、「こっちの道で行こう」「こっちにもあるよ」といわれるでしょうが この道でいきましょう。


22: 2

彼は主の目にかなうことを行なって、先祖ダビデのすべての道に歩み、右にも左にもそれなかった。


この後 宮の工事、補修を行うのですが、思うにこうでないと↑宮の補修をし神の御心の場所にするよう心が傾かないと思います、右にも左のもそれているクリスチャンの集会ですと、「どうでもいいじゃん、楽しければ」的なことになります、「何が教会にあってもいいじゃん」とか。


22: 3

ヨシヤ王の第十八年に、王はメシュラムの子アツァルヤの子である書記シャファンを主の宮に遣わして言った。

22: 4

「大祭司ヒルキヤのもとに上って行き、主の宮に納められた金、すなわち、入口を守る者たちが民から集めたものを彼に計算させ、

22: 5

それを主の宮で工事している監督者たちの手に渡しなさい。それを主の宮で工事している者たちに渡し、宮の破損の修理をさせなさい。


順番として


入り口を守る者たち→主の宮で工事をしている監督者→主の宮で工事をする者たち


霊的な意味合いで、入り口を守る者たち 主の宮で工事をしている監督者 主の宮で工事をする者たち そんなクリスチャン教会に居ますか?いないと工事、補修は出来ません。

22: 6

木工、建築師、石工に渡し、また宮の修理のための木材や切り石を買わせなさい。

22: 7

ただし、彼らの手に渡した金を彼らといっしょに勘定してはならない。彼らは忠実に働いているからである。」


忠実である事が大事です。(参照箇所)民数期12:7 2サムエル20:19 ルカ16:12 ルカ19:17 1コリント4:1 ヘブライ2:17 黙示録2:10 17:14


22: 8

そのとき、大祭司ヒルキヤは書記シャファンに、「私は主の宮で律法の書を見つけました。」と言って、その書物をシャファンに渡したので、彼はそれを読んだ。


さて、神殿、宮、家など教会にたとえられているのですが ここを霊的な意味合いで工事、補修すると 何があるのか、私もこの前とある教会の工事、補修をしに行きましたが(霊的な)いらないものが多すぎます、必要最低限であり全てを満たしてくださる、聖書、賛美歌、それ関連以外にも沢山沢山 人間の知恵のような、世的なものがごろごろしています、そんなのを仕分けていると

今回の聖書箇所のように、神様から大きなプレゼントをいただくのです、教会が建てられた何十年前に信仰の先輩が書いた戒めの書物?的なのを見つけたりします


そんなわけで、今回の聖書箇所 ただ神殿の工事、補修ではなく霊的な意味合いの工事補修、そしてそれに伴う神様からの大きなプレゼントが今回の聖書箇所と似ていたので書いて見ました、皆さんも教会を工事補修してくださり、本来あるべき主のみこころの場所としてしっかり補修してください、必ず報いはあります。