主は天から目を注ぎ、人の子らを残らずご覧になる。
御住まいの所から地に住むすべての者に目を注がれる。
主は、彼らの心をそれぞれみな造り、彼らのわざのすべてを読み取る方。
王は軍勢の多いことによっては救われない。勇者は力の強いことによっては救い出されない。
軍馬も勝利の頼みにはならない。その大きな力も救いにならない。
見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に。
彼らのたましいを死から救い出し、ききんのときにも彼らを生きながらえさせるために。
私たちのたましいは主を待ち望む。主は、われらの助け、われらの盾。
まことに私たちの心は主を喜ぶ。私たちは、聖なる御名に信頼している。
主よ。あなたの恵みが私たちの上にありますように。私たちがあなたを待ち望んだときに。
ここを見て行こうと思います。
主は天から目を注ぎ、人の子らを残らずご覧になる。
残らずご覧になられる主 この事です。
そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。こうして夕があり、朝があった。第六日。
主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。
神が地をご覧になると、実に、それは、堕落していた。すべての肉なるものが、地上でその道を乱していたからである。
神の民のほうから「ご覧下さい」とのアクションがなく、神様御自らチェックする場合は、確認→その結果による神様のアクションがあるところが多いようです。
創世記でもそうですね たとえば
会社の創業者に連絡を取り、「これこれこの用件で会社をお尋ねください」という場合、その要件できます・・・が 連絡が無いのにいきなり会社に来ると・・・会社の様子、従業員の様子にチェックが入りませんか。
御住まいの所から地に住むすべての者に目を注がれる。
普通は壁の裏にいたりすれば見えませんが 主はそんなの問題ではありません なぜなら
主は、彼らの心をそれぞれみな造り、彼らのわざのすべてを読み取る方。
「主の御心がありますように、主のなさるようになりますように」などなど、お祈りしている人も大勢いると思いますが、主とは?
主は、彼らの心をそれぞれみな造り、彼らのわざのすべてを読み取る方。
そういうかたにお祈りを捧げているのです、忘れませんように。
33:16
王は軍勢の多いことによっては救われない。勇者は力の強いことによっては救い出されない。
王は信仰の義アブラハムの子孫 クリスチャンの事です。
わたしは彼女を祝福しよう。確かに、彼女によって、あなたにひとりの男の子を与えよう。わたしは彼女を祝福する。彼女は国々の母となり、国々の民の王たちが、彼女から出て来る。」
神はまた彼に仰せられた。「わたしは全能の神である。生めよ。ふえよ。一つの国民、諸国の民のつどいが、あなたから出て、王たちがあなたの腰から出る。
クリスチャンは数だ!教会数だ! 力の強いクリスチャンの勇士!完全に誤解です。
33:16
王は軍勢の多いことによっては救われない。勇者は力の強いことによっては救い出されない。
33:17
軍馬も勝利の頼みにはならない。その大きな力も救いにならない。
馬はヤコブ三章で「教会にたとえられています」今は何かと、「裁きのときにもこの教会ならば大丈夫だろう」「もし、さばきがあってもうちの教会は力があるから大丈夫だろう」と、頼みにしています・・・。
33:18
見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に。
ここをしっかり、抑えてくださいね。 ↑
クリスチャンの恵みを待ち望んだり、教会からの恵みを望んだり、聖書以外の本から、クリスチャン系の映画から恵みを待ち望んでいませんか?
聖霊のカリスマ運動?クリスチャンから霊を受け恵みを求めていますが、あるひとは「獣の印をつけろ」と言って人を霊で後ろに倒していますが(悪霊)・・・私はこうなりたいです。
33:18
見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に。
また
だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。
1:14
人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。
欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。
愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。
すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。
と、あるとおりです。死 も関連していますね。
33:18
見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に。
33:19
彼らのたましいを死から救い出し、ききんのときにも彼らを生きながらえさせるために。
ききんとあります パンみことば メッセージ 聖書 永遠の命の糧
肉的な飢饉の事に集中しないで、永遠の命系の食べ物の事を皆さんが理解してくれますように。
ききんのときにも彼らを生きながらえさせるために。
逆に考えると、 主を恐れる者 その恵みを待ち望む者
ではないと、ききんのとき生きながらえない ことがわかります。
主を恐れず、聖書があるのに、他の本を生きる糧にしてみたり、人間的な評価やお話に夢中になってみたり、偉人(と言われてる人)の本また、伝記 そういうものを生きる糧にしてみたりなどなど沢山あります。 主を恐れ 主の恵みを待ち望みましょう。
33:20
私たちのたましいは主を待ち望む。主は、われらの助け、われらの盾。
誰を待ち望むか ここにもポイントがあるように思います。
消防に電話をして待ち望む 来ます。警察も、救急車も部屋の探偵、宅急便も
皆さんは誰を待ち望んでいるのでしょうか。
33:21
まことに私たちの心は主を喜ぶ。私たちは、聖なる御名に信頼している。
誰の名に信頼しているでしょうか?ルター。マザーテレサ。ローマ法王、クリスチャンたちの名、ベニーヒン? 信頼するとその通りになりますよ
あの人の名前を信頼し、融資したけれどお金が返ってこない とか。
あの人の名前を信頼し、酷い目にあった 初めから信頼しなければいいのです
ですからこうなってください。
33:21
まことに私たちの心は主を喜ぶ。私たちは、聖なる御名に信頼している。
クリスチャンといわれてる人に恵みを求めると逆に悪霊をうけたりする時代です、なぜかというと主 意外に恵みを求めているのではないでしょうか?
33:22
主よ。あなたの恵みが私たちの上にありますように。私たちがあなたを待ち望んだときに。
恵みがあることと、主を待ち望む事が関連されています。
どうしようか・・・主を待ち望む事に神の御心があるのです。
逆に言うと恵みがない と感じてる人は主を待ち望んではいないのではないですか
勿論再臨のことです。
エレミヤの部屋では聖書からメッセージがあります、是非ご覧下さい。
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/6810/