それは、御手が昼も夜も私の上に重くのしかかり、私の骨髄は、夏のひでりでかわききったからです。セラ
私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。私は申しました。「私のそむきの罪を主に告白しよう。」すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。セラ
それゆえ、聖徒は、みな、あなたに祈ります。あなたにお会いできる間に。まことに、大水の濁流も、彼の所に届きません。
あなたは私の隠れ場。あなたは苦しみから私を守り、救いの歓声で、私を取り囲まれます。セラ
わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。わたしはあなたがたに目を留めて、助言を与えよう。
あなたがたは、悟りのない馬や騾馬のようであってはならない。それらは、くつわや手綱の馬具で押えなければ、あなたに近づかない。
悪者には心の痛みが多い。しかし、主に信頼する者には、恵みが、その人を取り囲む。
正しい者たち。主にあって、喜び、楽しめ。すべて心の直ぐな人たちよ。喜びの声をあげよ。
今日もできる限りで見て行きますね(たとえで)
それは、御手が昼も夜も私の上に重くのしかかり、私の骨髄は、夏のひでりでかわききったからです。セラ
夏のひでりとは
列王記上17:1~エリヤの箇所の干ばつのことだと思います(終末の聖霊の干ばつ)
その水の上には、ひでりが下り、それはかれる。ここは刻んだ像の国で、彼らは偶像の神に狂っているからだ。
それゆえ、そこには荒野の獣が山犬とともに住み、だちょうがそこに住む。もう、いつまでも人は住まず、代々にわたって、住む人はない。
神がソドムと、ゴモラと、その近隣を滅ぼされたように、――主の御告げ。――そこには人が住まず、そこには人の子が宿らない。
50:39節に
そこには荒野の獣が山犬とともに住み、だちょうがそこに住む。 とあります。
山 羊のいる所や木々が生えている所で 教会のたとえ 犬はピリピ三章に書いてあります。
そのようなクリスチャンの型です。(教会山にいる犬にたとえられている型の クリスチャン)
新共同約では エレミヤ書 50:38 日照りがバビロンの水に臨み、水は干上がる。バビロンは偶像の国で/おぞましいものに狂っているからだ。 と、ありました。
ひでりの箇所がヨブ記24章にもあります 終末について解りやすいと思います ヨハネの福音書10:1~や
1テサロニケ5:2~ 2ペテロ3:10~ 黙示録3:3~ 16:15~ なども参照にしてくださいね。
ヨブ記24章に書かれている聖句を他の聖書箇所を参照(探すと)いいです。
ヨブ記は一人が話し、それに反論するような形で書かれていますが とても「たとえ」が隠されています。
聖書でかかれている「存在の定義や預言が」たくさんあります。ヨブ記24章もそうです。(たとえですけど) *今度書きたいとおもいます。
だちょうは
新生したクリスチャンを気にかけないクリスチャンの型だと思ってます
私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。私は申しました。「私のそむきの罪を主に告白しよう。」すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。セラ
この事、人にそむいたりする事はよくありますが。主にそむくことがあったら、主に告白してください。
詩篇 50:23 告白をいけにえとしてささげる人は/わたしを栄光に輝かすであろう。道を正す人に/わたしは神の救いを示そう。」 (新共同約)
1サムエル記2:25
人がもし、ほかの人に対して罪を犯すと、神がその仲裁をしてくださる。だが、人が主に対して罪を犯したら、だれが、その者のために仲裁に立とうか。」しかし、彼らは父の言うことを聞こうとしなかった。彼らを殺すことが主のみこころであったからである。
ということで、主を畏れましょう。
それゆえ、聖徒は、みな、あなたに祈ります。あなたにお会いできる間に。まことに、大水の濁流も、彼の所に届きません。
自分が地上に投げ落とされたのを知った竜は、男の子を産んだ女を追いかけた。
しかし、女は大わしの翼を二つ与えられた。自分の場所である荒野に飛んで行って、そこで一時と二時と半時の間、蛇の前をのがれて養われるためであった。
ところが、蛇はその口から水を川のように女のうしろへ吐き出し、彼女を大水で押し流そうとした。
しかし、地は女を助け、その口を開いて、竜が口から吐き出した川を飲み干した。
すると、竜は女に対して激しく怒り、女の子孫の残りの者、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを保っている者たちと戦おうとして出て行った。
そして、彼は海べの砂の上に立った。
ところが、蛇はその口から水を川のように女のうしろへ吐き出し、彼女を大水で押し流そうとした。
蛇が大水を吐き出してます 蛇とは
彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕え、これを千年の間縛って
サタンが水(聖霊)を使う? まさか!今行なわれている悪霊のリバイバルです
もういちど32:1~32:6をご覧ください その後に32:6節が書かれています。
32: 7
わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。わたしはあなたがたに目を留めて、助言を与えよう。
32: 8
あなたは私の隠れ場。あなたは苦しみから私を守り、救いの歓声で、私を取り囲まれます。セラ
悟り、行くべき道 主から与えられ、教えられます。
32: 9
あなたがたは、悟りのない馬や騾馬のようであってはならない。それらは、くつわや手綱の馬具で押えなければ、あなたに近づかない。
詩篇 32:9 分別のない馬やらばのようにふるまうな。それはくつわと手綱で動きを抑えねばならない。そのようなものをあなたに近づけるな。 (新共同約)
馬はヤコブ三章で「教会のたとえ」です 主に聞きつつお読みください。
騾馬(らば) 以下 歴代誌上で荷物を運ぶ一面があるようようです。
彼らに近い者たちも、イッサカル、ゼブルン、ナフタリに至るまで、ろば、らくだ、騾馬、牛に載せて食べ物を運んで来た。小麦粉の菓子、干しいちじく、干しぶどう、ぶどう酒、油、牛、羊などがたくさん運ばれた。イスラエルに喜びがあったからである。
せっかく運んできたのだから、(霊的に)食べたり飲んだりしようではないか もったいない
悟りの無い騾馬ですから、毒入りの糧や、病気になる糧、生きているとされているが死んでいるようになってしまう糧等 運んできます。悟りがないからです
詩篇 32:9 分別のない馬やらばのようにふるまうな。それはくつわと手綱で動きを抑えねばならない。そのようなものをあなたに近づけるな。 (新共同約)
とあります、近づけませんように。
彼らに言え。これらの門のうちにはいるユダの王たち、ユダ全体、エルサレムの全住民よ。主のことばを聞け。
主はこう仰せられる。『あなたがた自身、気をつけて、安息日に荷物を運ぶな。また、それをエルサレムの門のうちに持ち込むな。
また、安息日に荷物を家から出すな。何の仕事もするな。わたしがあなたがたの先祖に命じたとおりに安息日をきよく保て。
しかし、彼らは聞かず、耳も傾けず、うなじのこわい者となって聞こうとせず、懲らしめを受けなかった。
もし、あなたがたが、ほんとうにわたしに聞き従い、――主の御告げ。――安息日にこの町の門のうちに荷物を持ち込まず、安息日をきよく保ち、この日に何の仕事もしないなら、
ダビデの王座に着く王たちや、車や馬に乗る首長たち、すなわち王たちとその首長たち、ユダの人、エルサレムの住民は、この町の門のうちにはいり、この町はとこしえに人の住む所となる。
ユダの町々やエルサレムの周辺から、ベニヤミンの地や低地から、また山地やネゲブから、全焼のいけにえや、ほかのいけにえ、穀物のささげ物や乳香を携えて来る者、感謝のいけにえを携えて来る者が、主の宮に来る。
しかし、もし、わたしの言うことを聞き入れず、安息日をきよく保たずに、安息日に荷物を運んでエルサレムの門のうちにはいるなら、わたしはその門に火をつけ、火はエルサレムの宮殿をなめ尽くして、消えることがないであろう。』」
今我々はアダムから数えて 安息日に入っています 安息日に荷物を教会にいれ、その結果
しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。
しかし、もし、わたしの言うことを聞き入れず、安息日をきよく保たずに、安息日に荷物を運んでエルサレムの門のうちにはいるなら、わたしはその門に火をつけ、火はエルサレムの宮殿をなめ尽くして、消えることがないであろう。』」
悪霊に燃やされます。安息日に荷物を運んで教会の内側に迎え入れているからです。
(安息日にイエス様がなされた事を参照にしてください)
32:10 悪者には心の痛みが多い。しかし、主に信頼する者には、恵みが、その人を取り囲む。
32:11
正しい者たち。主にあって、喜び、楽しめ。すべて心の直ぐな人たちよ。喜びの声をあげよ。
以上私の考えてる事を主にあって書かせていただきました。
私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。私は申しました。「私のそむきの罪を主に告白しよう。」すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。セラ