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久々の更新。
今回は刑法200条について書きます。
刑法200条「尊属殺」
まず、尊属とは、自己および配偶者(結婚相手)の両親・祖父母など目上の直系血族のことであり、尊属殺とはこれらを殺害することであります。
現在の刑法199条の「殺人」は、『人を殺した者は死刑または無期懲役または5年以上の懲役に処する』
というものであるのに対し、
刑法200条「尊属殺」は『尊属者を殺した者は死刑若しくは無期懲役に処する』
という内容で199条より厳しいものであります。
199条と200条について、差別だ!と思う人は無論、いることと思われます。
当然、今から60年以上前に、憲法14条「法の下の平等」に基づき刑法200条は違憲であるとして、裁判が開かれた。
当時の刑法199条「殺人」は『人を殺した者は死刑または無期懲役または3年以上の懲役に処する』という、現在と比べて非常に軽い刑罰であったがため、199条と200条の差別に対する異議が多かったことは言うまでもない。
しかし1950年、最高裁が下した判決は、「刑法200条は合憲である」というものであった。
この時に最高裁長官がこの判決の理由として「子の、親に対する倫理・道徳に基づく」と述べた。
ところが、その23年後、この判決が逆転することとなった。
「栃木県」「1968年」「近親姦」この3つのヒントで判ってしまう人もいるかと思います、「尊属殺法定刑違憲事件」で、のちに「尊属殺重罰規定違憲判決」とも呼ばれる事件がありました。
この事件は被告の女性(当時29歳)が実父(当時59歳)を絞殺したものである。
しかしこの事件の裏には、とてつもなく常軌を逸した陰惨な物語がある。
それは、
被告の女性は14歳の時、実父に性的関係を強要され、しかし常に暴行を加えられてきた実父に抗うことができず、日常的に姦淫され、合計6人もの子供を身ごもり出産することとなった。
その後、被告はこの生活に耐えかね各地を逃走したが、その都度付きまとわれては家に連れ戻された。
あるとき勤務先の青年と交際し、結婚することとなった被告は、結婚の旨を実父に伝えたところ実父は激昂し被告を10日間にも渡り監禁し、執拗に暴行を加えつづけた。
そして事件当日、泥酔状態で被告に暴行を加えようとしていたところ、被告は自分を縛っていた腰紐を使い、実父を絞殺した
というもの。
この事件の裁判は、
第1審は「刑法200条は違憲であり無効とし199条を適用の上、被告を過剰防衛の罪とし刑を免除する」
という判決が下された。
しかし、その後の第2審では
「刑法200条は合憲であり被告を無期懲役とするところだが、殺害に至る動機を鑑み、被告は心身耗弱であったがため懲役7年とし、さらに情状酌量をし懲役3年と6月に処する」という判決がくだされた。
この判決に対し、裁判官や弁護士を中心とした人たちから「かわいそうだ、執行猶予を付けるべきだ」との声が数多く挙がった。
だが、刑法25条により、執行猶予は懲役3年以下である場合にしか付けることはできない。
さらに刑の減刑も最大2回までしかすることができない。
そこで法曹たちは被告を守るために動きだした。
その結果、1973年に刑法200条は憲法14条に違憲で無効の判決が下され、被告は刑が免除された。
この、法律が違憲として削除されたのは日本で初めてであり、最高裁を大きく動かした歴史的事件である。
それにしても、なぜ、「尊属殺」というものが存在したのか。
そして、なぜ卑属(子)を殺害することに関しては特別な法律がなく、卑属の生殺与奪権は尊属にあるのか。
なんのために憲法14条があるのか。
卑属に対する尊属の生殺与奪概念は現代でも根強く生きている。
いま一度、考え直すべきである。
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