はるかな瞳でみつめていたい  〜遼とハートとweblogと〜 

はるかな瞳でみつめていたい  〜遼とハートとweblogと〜 

はるか未来をみつめる気持ちで日日を過ごしたい。

視点を高く、広く持つことを忘れないように。
すべてのことを「たいしたことないさ」と笑い飛ばせるように。

「何かがあったとしても、それがなんだっていうの?
いつだって可能性を目指そう! 幸せにいよう! 今を生きよう!」

そんなふうに、生まれたばかりの遼の心が伝わってきました。

……遼は無脾症候群という、先天性心疾患を持って生まれ、

    5度の手術と壮絶な闘病生活ののち、健闘虚しく4歳で逝きました。


遼の生き様の意味を創るため、そして心で感じることを大切にして生きていくためのweblogです。

Amebaでブログを始めよう!

束の9月からすでに1ヶ月が過ぎ、10月が始まりました。

 

この6ヶ月間、結構な時間を自然の中で過ごしたわけですが、自分らしさが戻ってきた気がします。

イワナやアマゴと戯れたいというのは、正直後付けの理由でもあり、本来の目的は山の中で時間を過ごすことを心底欲していたのです。

 

若い頃……インドを放浪したいという憧れを叶えられず、代わりにバイクでいろいろな場所を巡っていました。

海も好きでしたが、当時から山には何か惹き付けられるものがあり……穏やかな瀬戸内海にはなかった、畏怖もしくは畏敬の念のようなものを山に感じていた気がします。独りテントで過ごす夜の山は、楽しみ半分、恐怖半分でしたね。

 

多くの本を読みましたが、自分の人生に影響を与え、その後、長男遼を迎えて逝くまでの約10年間、自分の支えになった本が20の時に読んだダン・ミルマンの「ピースフル ウォリアー」でした。

物語の終盤で主人公と「ソクラテス」が山に入っていくシーンがあるのですが、いつか自分も山で時間を過ごしたいという気持ちをずっと持っていました。そのために、自分が書いたはじめの小説でも主人公である自分が山へ行き、ソクラテスを模写した人物を登場させ、渓流で釣ってきたイワナを食べるシーンを入れたのです。もう、17年前ですね。

 

なので、山で時間を過ごすことで自分自身を取り戻すことができるということは、自分にとってある意味、予言か儀式のようなものであって、それ故に恐怖も感じていたのかもしれません。もちろん、タイミングもあるのでしょう。

 

以前のエントリーでも少し触れましたが、自分の願いとは、二つの表現を統合すること。

いち社会人として過ごしてきた時間、構築してきた自分と、心と魂の旅を続けてきた岡ぴよとしての自分を一つの軸で表現すること。

 

楽しんでいた渓流釣りも禁漁期直前、今年のお盆が過ぎた頃、10年と少し前からの数年間お付き合いのあった仕事関係の方から、突然ご連絡を頂き、思いがけず、自分がずっとやりたかった仕事の話をくださいました。

どうなるかわかりませんが、この流れの先にはきっと、自分の願い――自分らしさを極めたひとつの表現が達成できるかもしれない!

そんな予感がするのです。

 

考えてみれば、どちらの自分も、元々ひとりの自分なので、当たり前なのかもしれませんが(笑)

 

こんな風に、このアメブロを閉めようと思います。

 

※このエントリーは残します。過去のエントリーは随時気分で整理して行きます。

 

* 岡ぴよの経歴 *

 

2002年

長男の遼誕生とともに、持って生まれた先天性心疾患との闘病生活開始。

以降、いくつかの先天性心疾患や仕事系のHPやブログ開設。

 

2004年

闘病生活の最中、次男誕生。

「はるかな瞳でみつめていたい」完成

 

2005年

ブログを通じた天然チャネラーKさんとの出会いから、楽天ブログにて「岡ぴよ」として「はるかな瞳でみつめていたい」というタイトルでブログ開設。

 

2006年

遼の死をもって闘病生活が終了。

 

2007年

遼とKさんの予言通りの日時、長女を授かる。

 

2010年

アメブロへ移行・自問自答部結成

 

2013年

「コードネームハル」完成

 

2021年

note


へ移行

 

+ 最終更新2021/10/05 +

流釣り……

せせらぎの中でイワナやアマゴと戯れる時間は

人生で望んでいたものだった

 

さて

本ブログの引越しですが、

友人のピース氏が使い始めたという理由だけで

今後はnoteに移行しようかと思います

特に凝りはなかったのですがこれもご縁でしょう

 

最近は天候に関わりなく

時間さえあれば渓流……主に源流域ですが

とにかく山にばかり行っており(汗)

しかも帰ってくるとばたんきゅーということで

アメブロを整理するのは恐らく禁漁期以降だと思います(汗)

 

世の中はまだまだいわゆるコロナ禍

仕事に関しても振り回されがちですが

生きる中心はすでにこれまでとは違った様相です

 

これからは社会や自身との関わり方も大きく変わるのでしょう

モットーの「現場主義」は相変わらずなので

日日問題は常にありますが

これまでの経験のおかげもあり

乗り越えられないほどの問題は存在しないという妙な安心感もあります

 

特に仕事や社会的な側面において

解決すべき問題は山のようですが

楽しみながらクリアしていくことが

自分にとっての創造的活動のひとつでもあるわけです

 

noteではそういった部分も含めて

日日が創造的であるための

気張らないリラックスした表現の場として

岡ぴよのnote

 

 

 

 

 

咲きの桜がポンポンと咲いております。

 

前回エントリーを書いたあと、この1ヶ月間ほどは自分の中で色々とこだわりが溶けたり、人生の新たな展開へのサインやアイディアで自分の内面に対して現実が追いつかない感覚でした。

 

ということで本ブログ「はるかな瞳でみつめていたい」を整理したいと思います。

 

「はるかな瞳でみつめていたい」というタイトルで見つめていた未来とは、すでに到来したのだと感じています。

書くことはやはり好きなので別ブログを立ち上げ、すでに始まっている新時代へ向けての日日を想像し、実感するために、もっと自由に書くことにしました。

 

「はるかな瞳でみつめていたい」はちょうど2000年頃から書き始めた短編小説のタイトルそのままで、本ブログでも途中までは掲載していますが、最後まで載せようと思います。

それと、「コードネームハル」はすでに完結させていますので、その二つのweb保存版として残すことを目的に、このブログを存続させようと思います。

コードネームハルはかつて、epubファイルとしてダウンロード可能な状態でしたが、諸事情で現在はepubファイルでは提供しておりません。

今後、どこかの段階で二つともをepubファイルでダウンロードできるようにしたいと思います。

※epub形式のファイルであれば電子図書として各種リーダーアプリで読むことが可能です。

 

「はるかな瞳でみつめていたい」というタイトルでブログを立ち上げたのは、2005年からでDion〜楽天〜アメブロ(現在)という経緯で16年が過ぎたわけです。

 

整理後、本ブログは基本的に小説のみのエントリーを残そうと思います。

※もしかしたら、楽天ブログ時代のシリーズネタも載せるかもしれません。

いいねくださったり、コメントくださった方々には申し訳ありませんが、ご理解いただければ幸いです。

新ブログ立ち上げ後は、そちらの方で今後ともよろしくお願いいたします。

 

準備が整い次第、今後の展開をお知らせしたいと思います。

ありがとうございました。

 

岡ぴよ

 

触れもなく突然、

「これからは好きなことをして生きていこう」

と、思った。

 

なんでかな

たぶん理由はいくつかあって

 

急かされるような感覚が薄れたこと

遼の闘病生活に対する後悔が薄れたこと

薄れたのは自分ができることはやり尽くしたからかな

実を言えばその社会的な意味合いでの集大成は

これから表に出すので結果はまだ出ていない

ただ目処がたったということだ

結果はどうあれ自分がすべきであるできることはこれで本当に終わりだ

 

時代はいつも進んでいて

あとはこれからを創っていく次世代に任せるだけ

以前から自分たちができることはもうなにもないと感じていた

必要だったのは途切れなく繋げて行くこと

そういう意味で自分ができることはもうない

 

同じ意味で子どもたちもある程度成長し

自立にはまだまだかかるけれども随分手を離れてしまった

 

そんなことを急に自覚したものだから

これからは好きなことをしようと思った

 

とりあえず……渓流釣りから(笑)

 

かずにはいられないっ!

 

SRが生産終了すると……

43年を迎えて終わりかぁ

 

SR400 Final Edition

SR400 Final Edition Limited

 

グレーもブラックサンバーストもありそうでなかった

いいねぇ……

 

過去の排ガス規制で一端生産終了したときは

技術で乗り越えて復活してたけれども

 

自動車業界は既にガソリン車製造中止が決まっているし

ついこないだバイク屋の店長さんとその話をして

「いや~エンジンバイクはなくならないと思いますよ?」

なんて言われていたけれども

 

象徴的なのは

他のバイクではなくてSRってところだろう

生き物のような鼓動感はモーターではムリってことだ

SRにとって鼓動もキックスタートもなくなるということはもうSRじゃないってことだ

逆にSR以外のバイクはエンジン以外の道もあるっていう意味だ

可能性としては水素エンジンとかどうなのかな?

技術的に難しいのかな?

エンジンという選択肢自体がもう時代に沿っていないかな?

 

う~ん

割とショックだな

喪失感

 

SRは2台を乗り継いでトータルで19年くらいかな

コードネームハルにも書いたしその前の小説にも

 

顔に刺さるような冷気を受けながら

今日も通勤で乗ったSR

遼も大好きだったSR

 

やっぱり時代は変わりつつあるのね

愛をもって残された時間を満喫すべし

 

追記:問題はABSの義務化みたいですね。どの道SRらしさからはかけ離れるということですかね。

虚さだったのかな
必要なのは……

長女を部活動の試合送迎のついで
会場近くの渓谷を散策した

【遊歩道が凍ってる】


【自然は芸術だね~】


【辿り着いた滝】

 

滝にたどり着くためには浅瀬を渡る必要があったけれども
用意していたゴアテックスブーツが役に立った

濡れた岩と苔に足を滑らせないように集中する
キンとした空気も弾む息と化した

この時期に散策している人は少なくて
冬の渓谷は殊勝なり

さて
この世界を形成するに当たり推測されるのはいずれなのか

  • 一定の方向を目指している
  • 常に揺らぎながらどちらかに振れている


大局観からすれば「両方」というコトになるかもしれないけれども

我ながら足りなかったのは謙虚さ(汗)
もともと自信過剰な方で(大汗)

これまでの在り方の中で
公然として権力に唯一対抗できる術は民主的な在り方の上でのお金
自由の国で何もかもが自己責任の上で成功を目指すことは理にかなっていたのだろう
だから能力があると自覚している人たちがとりあえずお金を稼ぐ方向に走ることはある意味健全であったということになる

悲しいかな
手段が目的と化すことは良くある話で
お金が目的になるとそれ以降のシナリオは存在せず
何のために生きているのかわからなくなる気がする……

やっぱりタイミングってあるよね
ことあるごとに日本人がクローズアップされるのは謙虚さ故かなと思ったのさ

 

ですよね確かに……

まだまだ話し合いが必要だよねって

当たり前ですが……

コミュニケーションが足りないよねって話

 

ただこれからはリーダーの必要性は低いんじゃないかって思う

(もちろんケースバイケース)

民主的な在り方はリーダーが突出してはいけない

かと言って無責任な集まりもなんだかね……

権力ヒエラルキーはもう論外だし

 

「岡ぴよくんが次のリーダーになって!」

 

みたいな言葉をありがたくも何度か頂いたことがある

しかし返した言葉は、

 

「リーダーなんて必要ないですよ」

とか

「興味がないからムリ」

とか

 

それは本当にそう思っていたからであって謙遜でもなんでもない

この数年考えていたのは

ひとりひとりの想いがあり気持ちがあり信念があり

それぞれが自分の何かを大事にしながら全体の調和のために話し合いなりなんなり

理想論でしかなかったけどね

少なくともこれまでは

 

リーダーが必要とされる時代とは旧世代だと思う

これからは個人同士の和だよねって信じたい

 

和の根拠は損得や恐れではなくて

互いの心地よさであって欲しいと思う

 

かだと思ったら雪

目が覚めて窓を覗くと牡丹雪が舞っていた

 

明けましておめでとうございます。

いろいろとこだわりを捨てることを決意させるような年末年始です(汗)

 

コロナ禍で要不要の基準が市民権を得た?

この半強制的な見直し雰囲気は神の御業でしかないよね

 

……はるかに目指す夢はどこにあるの?

 

自身を律することの意味が理解できた気がする……

必要悪の存在意義とか

由来の不明な伝統とかカタチに拘ることとか

 

今このタイミングでようやく

それらすべては不要でありまた必要であったと理解できる

それらと共に生きることはまた別な話で

自分ができることをこなすのみ

 

今年もまた

自分なりのベストを尽くしたい

 

ちぼうけの日曜日

 

24日のクリスマスイブ

新しいスマホが突然壊れた(汗)

 

何十回もリンゴ印のサービスセンターへ連絡を入れ

ようやく繋がったあとで30分強のやりとり

保障対象だったので新品交換となった

 

キャリアーショップで代替機を借りることはできたけれど

仕事の用事の電話で使うのみでビジネスメールやLINEは思うように使えず……

今日交換品が届くということで待ちに待って数時間

ちょうどこの文章を書いている合間に届いた

(配送業者さん今日はお歳暮配達でお忙しくされているところおつかれさまです。)

しかし明日にならなければショップの相談予約枠が空いていないためお預け状態

 

さてこの数日間

それまでがいかに情報依存状態であったことかを実感せざるを得なかったよね……

 

今日は待ち時間を活かしてすべきことをひとつ片付けた

こんなときふと顕れるシンクロシニティ……

 

最近は第二の人生について思いを巡らせることが多い

周囲に時々もらすのは「毎日がヤマメ釣りと薪割りでいい」と

 

本当は田舎暮らしが好きで憧れる

子どもが小さいときは年に何度かは渓流釣りに行ったし

妻の実家の山にてチェーンソーで伐採を手伝うこともあった

雪の残った森の中で汗をかくと自分の居場所だと感じる

 

今の場所も田舎ではあるけれども住宅街で生活は便利だ

引っ越してきてもうすぐ3年経つ

この場所を選んだのは子どもたちのためだ

 

すべきことをひとつづつこなして

いつか自然の中で自然のリズムで生活できたらいいなぁって思う

 

昨日は注文しておいた料理道具が届いたので楽しみ

将来の予行演習のために年末年始はのんびりと過ごしたい

 

局はタイトルの通り

何故、ガラでもない論文などを書くのか。

 

歴史を紐解けば

日本は植民地になることなく

常に外部からの異なる風習や知恵を呑んで自らの血肉としてきたわけで

 

今となっては都市伝説的だけれども中近東含め

大陸の文化を受け入れて

もしくは咀嚼して独自性を進化させている

 

明治維新が鮮烈なのは

わかりやすい教訓故に

 

伝統文化を保持することはとても大切だ

故に保守に偏り傲慢怠惰では先細り

盲目的に科学に偏ることと結論は同じだ

 

頑なすぎれば誇りとともに自滅する

合理的であることのみを根拠にすれば収束に至るのみ

 

旧世代ヒエラルキーの存在意義とはなんなのか

伝統の保守だけではやはり終末を迎えるから

だから彼らの知恵を受け入れるべきなのだと思う

 

本当のことを言えば

ずっと持っていた反骨精神の対象は旧世代ヒエラルキーではなくて

頑なさ由来の意地と誇り

 

愛して止まない意地と誇り

でもその廃る様をみることがいやなんだ

素朴な人たちが追いやられて消え去ることを阻止したい

 

異なる価値観に踏みにじられることを許可するのではなく呑む

取り込んで新たな価値を創造する必要があるんだ

可能であれば双方合意が望ましい

 

だから僕は

時には筋道の通った文章を書く

既存の異文化を呑み、新たな価値観を生み出したいと夢を見る。