it's not your fault...
とっくに帰国してますが・・・ちょっと書いてみます。笑

ちなみに写真は久しぶりの学校のラウンジでケニアン料理?をふるまってるとこです^^


帰国は30日(水)の15時の飛行機。


Enoc,Titusと1週間前から火曜日か水曜日のどっちにニエリをでるかって話してた。

もちろん、よゆうを持って火曜日のうちにナイロビに行って、水曜は空港に行くだけってするのがいいって思ってたけど。

Andreっていう別の人に聞いても、火曜が絶対いい、水曜でも可能だけど、riskyだって言われた。


けど、Andreに言われて、火曜に傾きかけたけど、やっぱりイヤだ!って思って、水曜にしましたよね。相変わらず素直じゃない自分^^


そう決めたときから、Enoc、Titusと火曜の夜は仮眠して、遅めに料理をはじめて、遅めの夜ごはんを食べて、ゆっくり話して、それからパッキングして、水曜をむかえるって話してた。


なんで1週間前から、帰るときの話をしてたかっていうと、日が近くなるにつれて、お互いその話がつらくてできなくなったからなんだろーね。とあとから気づく。


で、まぁ結局火曜の夜。

みんなとごはん食べたあと、翌日の子供たちへのちょっと特別な料理をみんなで準備したあとに、みんな寝ちゃった。w


起こしたくなかったから、3時すぎに一人でパッキング。

終わりそうな4時すぎに、近くでうたた寝してただけのEnocが、スーツケースを閉めるの協力してくれた。


ここにこれが入ってるから気をつけてねとか、無理やり閉めたから家に着くまで開けないほうがいいよとか話しながら。


センターを出る前に、Enocがstrong teaを作ってくれた。牛乳がなかったから。

んで、Titusがパンケーキ。パンケーキは誰かが卵を買わないと作れない。週1とかで食べるか食べないか。たぶん彼が準備してくれたんだろう。


完成する前に出ようとしてたら、みさとのために作ったのに食べないで行くのか?って言う声。

泣いているように聞こえて、顔をまともに見れない。

濡れた自分の顔も見せられない。


パンケーキとstrong teaを、いつものように昨晩のことを話しながら、食べるいつもより少し早い時間の、少し静かな朝食。

いつものみんなのDiningで座って笑いながらジョークを言いながら議論しながら食べる時間はない。


おなかが満たされるまで食べ、出発。

こどもたちに少しあいさつ。

Esther,Halim,Wilson,Chris,Reginah,Faith,Hannah,Kelvin,Laban,Vincent・・・。

学校に行っちゃったたくさんの子たちには夜会っただけでちゃんとばいばいできなかったなー。。


EnocとTitusはニエリのタウンまで送ってくれた。

自分の乗ったmatatuが出発するまで一緒にいてくれた。


二人は2ヶ月間長い時間を一緒に過ごした。

なんでも話せて、ときにわがまま言って迷惑かけた。

年はそんなに変わらないけど、お父さんとお母さんみたいってふざけて話してたっけ。

そんな二人に見送られて本当に幸せな自分。


けど、別れのときはきた。

笑ってバイバイ。顔はどんなか知らないけど。

See you some day!って言って。


Goodbyは彼らに言えなかった。
See you laterでもない、See you.


車窓でセンターを見えなくなるまで見た。


2か月前は笑ってセンターを去るのかなーとかしか考えてなかったけど、

2人とこんなに仲良く?なれるなんて全然知らなかったけど、

素直に、理由もなく、

センター、ニエリ、子供たち、スタッフ、Titus,Enocを思い恋しく、悲しく思える自分が、

ツライけど、誇らしかった。


ナイロビで、AndreとRosahっていうセンター関係の人に会い、彼らが空港まで送ってくれた。

2時間前の1時に間に合うか不安やったけど、ちょうど1時くらいについて大丈夫やった!


二人とチェックインの前で別れた。

二人もとても親切だった。


飛行機を乗る直前、前に図書館に一緒にいったMwendeと、Enocに電話。

もう二人に気軽に会ったり話したり電話したりできないんだ、ケニアを出るんだーって実感。。

All passengers!って呼ばれて、出発ロビー?に人がほとんどいなくなるまで話してしまった。


んで、乗り継ぎのドーハ以外は、ほとんど爆睡・・・。

徐々に日本人が多くなる乗り換えで、年配の観光客、新婚旅行客、一人旅、いろんな人をみて、日本ってホントに豊かだよなーって思ったり。


まぁ 無事に関空につき、お母さん、友達、姉ちゃん(大阪在住だから^^)とか電話して、すごく安心。

けど、ケニアの彼らを思い出し、不思議な気持ちと、恋しい気持ち。


羽田で、カズとアイセック1年生(なんと6人!)のお出迎えー。

ブログのコメントだけでもありがたかったのに、なんたる!

ありがとうございました。


羽田から電車に乗る前、電話。

Enocに。

無事着いたよ~。って。

話してたら恋しくてまたちょっと泣いちゃった。


今思い出しながら書いてるだけでも実は涙ぼろぼろです。

学校で書かなくてよかった。笑


新宿で、大好きなOGXの2年メンバーととろさんが待っててくれた。

いつもと同じ元気さでみんなむかえてくれた。

帰って早々みんなに会えてホントうれしかったー!!


けど、もちろんやけど、誰も英語はおろかスワヒリ語を話す人はいない。

だいぶとまどいました^^




そんなカンジで2か月の研修も終了――。

これから、どたばたと授業やらバイトやら日常に戻っていくわけですが・・・。

今後もリインテ(リインテグレーション、研修振り返りのこと)とか、リインテじゃなくても自分でこの研修について思ったこととかあったら、たまーに書くかもです。

たまーに見てやってください。笑


まぁこのブログは基本、あとで自分で振り返れるように作った上に、稚拙な文章で、ものすごく読みにくかったかもしれませんが、

みなさん今までたくさんのコメントありがとうございました。


本当に些細なコメントでも、遠い地ケニアで大きな支えになっていました。

また、コメントを残されなくても、このブログを偶然でも見ていただけた人に、少しでもよい影響が与えられていたら、アイセックメンバーとして、一人の人間として、幸いです。


すべての人にSpecial Thanks!!

Misato Inoue  井上美紗都 2009年10月6日17時(ケニア時間11時)

PS さっきも書きましたが、まだたまにアップしますよー^^

ケニア人はみんな部族のことば、スワヒリ語、英語を話せる。

うちも英語をだいぶ彼らからいろんな言葉を学びました☆

けど、このタイトルは正しい英語…?笑


学級崩壊?以降、モヨ行ったり、祝日やらで、Upperのクラスの授業がなかった。

ほっとしたような、このままじゃダメだって思う自分もいたり。

んで、この前の木曜日約1週間ぶり?に授業に行った。(一人で授業したり、現地の先生と一緒に授業したりすることがあるから、1週間あいても大丈夫らしい。…たぶんw)

前回よりは、だいぶ落ち着いたカンジ。

けど、黒板に落書きしたり、机についてるけどしゃべってたり。

どうにかできないかなぁーって思いながら、彼らと話す。

パーティの話。

パーティとは、センターを去るボランティアの人が自分で開催するフェアウェルパーティのことで、彼らは自分が何をするのか聞いてきた。

ちなみに、自分はあやか、ゆきえのTN訪問以来、少し薄らいだといえ、彼らに何かをあげることに抵抗がある。

んで、普通に話しながら、前から気になってたことを聞いてみた。

いろんなボランティア、研修生がくるけど、彼らを好き?

―うん、もちろん!!

パーティでウガリとかチャパティとかココナッツとかくれるから好きなんでしょ?

―ちがうよ!! 彼らは数学やCRE(宗教の授業)、英語教えてくれたり、一緒に絵を描いたり本を読んだりしてくれて、友達だから好きなんだよ!!

うちのこと好き?

―うん!

ありがとう!うちも好き! やけど、パーティを開かないで帰っても好きでいてくれる?

―…うん!

うちのこと好きなのに、どうして今算数してくれないの?やっぱりパーティしてくれるからボランティアの人が好きなんだ??

―ちがうよ!!友達だからだよ!

(以下数回同じような会話)

ここのセンターの子は、外国からボランティアや研修生を受け入れることに慣れてる。

むしろ、子供たちだけじゃなくてスタッフも、何か寄付とかそういうのを期待してるんじゃないかってときどき疑うこともある。

そこをフリでも子供たちから違うって聞けたのは少し面白かった。

まぁなにはともあれ、その会話のあと彼らは黒板に書いた問題を写して、算数の問題に取り組み始めた。

不本意だけど?こんなカンジで授業にもってけたのは少しうれしかった。

次回は何を話せば彼らをやる気にさせることができるんだろう。って考えてみたいなぁって思った。

その日の余談。

コロッケ作った!

ふだんはEnocとかMikoとかがさくさくっと料理しちゃうから出番のない自分とTitusで。

じゃがいも、たまねぎ、コーン、キャベツ、小麦粉(日本のとは少し違うらしく色つき?)、卵、パン粉のかわりのパン。

お湯あびしてる間に、Titusにじゃがいもマッシュと野菜いためてて-って頼んだりしながら。

大好評!!

Titusに一部任せてたから、彼は作り方覚えたって。

コロッケはもとは日本の料理じゃないやろうけど、ちょっと覚えてもらえてうれしかった!

Titusはホントにいい人―。

もっといろんなこと話したり、いっしょに料理したりしたいよーって思っても、帰る日が近づいてる…。

it's not your fault...


帰って毎日チャイわかしてます^^

今もチャイを片手にアップ中☆


うちのお母さんは、研修に行くかどうか決めるときから、全面的にプッシュしてくれてた。

今が一番いい時期だから行きたいなら行きなさい、保険はこうだよ、飛行機は確実なものを選びなさいとか。

一人暮らしかつ旅行知識は適当なものしかなかった自分に、彼女の長年?の知識を伝授してくれたり、調べて教えてくれたり。

いろんなものに興味があるっていう子ども心満載なとこがあるからってのもあるんやろうけど。笑

って、自分も一緒かw (空港まで見送りにきてくれたとき、彼女に会ったかわなな(うちのかわいい後輩ちゃんw)が「みさとさんのお母さんってカンジですねー」って言ってたしね。)

だいぶ前置き長くなったけど。

うちの研修先がケニアに決まって、お母さんが調べてくれたケニアについてのものの中に、「チョコラ!」っていう映画のブックレットがあった。

「チョコラ」とはスワヒリ語で「拾う」という意味で、ストリートチルドレンを意味することもある。

「チョコラ!」は日本人カメラマンが、ケニアのストリートチルドレンの現状をうつしたドキュメンタリー映画。(詳しくは例のごとくネットで。笑)

出発までに見るひまなかったから、ブックレットだけ持ってって、こっちで読んだ。

そのチョコラの撮影者は、ティカというところの「モヨ・チルドレンセンター」の松下さんの知り合いで、そこを舞台に映画が撮影されたらしい。

ブックレットを読んでると、サイディア・フラハ同様、センターと類似の活動をしてるなーって感じた。

んで、メールしてみたら、訪問OKとの返事。

行きましたとも。

ニエリからmatatu2時間弱。

(けど、ニエリーティカ間は需要が少ないらしく、出発までに1時間近く待たされた。涙 多くのmatatuは乗客がいっぱいになるまで出発しないのね。)

大きなmatatuの乗り場に着く。

にぎやかな印象の街。

スタジアムというところで松下さんと待ち合わせ。

なんだろうと思ったら、市のグラウンドだった。

無事合流。

松下さんは小柄で、想像より年上だった。

ブックレットにも少し話題になってる、ティカでは高級住宅地という彼女の家に、彼女の車でお伺い。

ごはんをごちそうになって、話を聞く。

15年ほどアフリカで活動してる。

ティカの他NGOや学校、児童局など活動の幅は徐々に広がってきてる。

資金は日本にある支える会や企業の支援でまかなってる。

…。

印象的なこと3つ。

アフリカでNGO、生活をはじめるまでは、陶芸家だったらしいこと。

確かに、部屋にあるものをセンスを感じました。

じゃなくて。

元々の職業とか専攻って意外とNGOとかの活動にあんまり関係なかったりするんだよなーって改めて認識。(前からこれは思ってた。OGX(送り出し)の活動の研修生募集のときに、あんまり対象を限定したくないって思ってたし。)

あと、彼女の活動のきめ細やかさは陶芸家だったってことも関係してるのかなぁとか考えたり。

サイディア・フラハの荒川さんと同じ質問。

日本からアフリカに支援する意味って。

個人的に彼らを助けたいって思った。お互いがお互いを必要としてた。

彼女の答え。

同じ答え。国とか人種とかじゃなくて、個人的に助けたいと思ったから。

直接的な活動をするNGOに一番重要な気持ちってこれなんだろうなって思った。

今を丁寧に生きる。

彼女の半生のストーリーを聞き、彼女はタイミングをきちんと見て、逃さず、今を丁寧に生きてきた。

彼女の生き方を映した、とても印象的なことば。

話を聞いたあと、彼女の家のすぐ近くにある、モヨの施設に実際訪問してみた。

彼女が借りて、孤児の男の子が10人ほどで生活している家。

サイディア・フラハ同様にモヨでお世話になってるたきざわさんに案内してもらった。

彼女は1週間前くらいに来て、1ヶ月くらい滞在予定らしい。

松下さんの家と同様の間取り。

センター、サイディアと同様、子供たちがごはんを食べるダイニング、二段ベッドが並んだ寝室、洗濯物、畑…。

ケニア人の寮母さん?とたきざわさんに食事について聞いてみる。

松下さんの配慮で、3食しっかり豊富なメニューらしい。

ギゼリやお米だけのセンター、サイディアと違うところ。

たきざわさんと少し話した。

彼女は数か月前までインドネシアに海外協力隊として2年滞在してたらしい。

去年インドネシア行って、今ケニアにいる自分は少し運命感じたり。笑

話しやすい印象。

協力隊は自分の興味分野で仕事を選んで派遣されるらしい。

知らなかったけど、興味をそそられた。

ちなみに今回は、アフリカに来たかったから、講演会で会った松下さんを頼ってきたらしい。

おもしろい出会い。

数時間の滞在やったけど、とても意味がある訪問だった気がする。

帰りはまたmatatuが出発するまで30分かかって、おまけに途中の街でなぜか乗り換えさせられるというめんどくさい事実はさておき。笑

唯一の心残り。

Enocがセンターに戻ってから、ティカはパイナップルで有名な街なのを言うの忘れてたって言った。

なんで言わなかったんだよ!言えば買って帰ったのに!おいしいパイナップル食べたかった!ってめちゃつっこんだよね。

そういえばパイナップルいっぱい売ってたなぁT-T

くだらない&脈絡なくてごめんさい。笑


it's not your fault...


ちょっと鬱です。笑


1週間の不在のあとセンターに戻ったら、みんなに「あとどのくらいいるの」とか、「いつ帰っちゃうの」って聞かれるようになった。

研修の終わりが近づいてると実感するとき。。

この日、自分の担当の算数の時間にUpper4-8年生、10人いないくらいの男の子)のクラスに行った。

休み時間のあとだったからか、教室で紙やら藁の紐で作られたサッカーボールで遊んでる子、スワヒリ語の教科書をひたすら読んでる子…。

授業で使おうと思ってセンター内のオフィス(職員室?)からもってきた教科書が、気づくとオフィスに戻されてる。

取りに戻る。

何人かは話を聞いてくれて、算数をしてくれた。

何人かはスワヒリ語、サッカー…。

いつもは熱心な子も、サッカーしてる…。

サッカーしたいなら外でやってーとか、算数やろうよーって言ったりしても、あまり効果なし。

こんなとき、ステファニー、ヴァネッサ、カロリーナだったら、もっと英語うまくて、はっきりとした態度で子供たちに注意したり、授業に注意をむけさせることができたのかなぁ。

もう一人のケニア人の先生はなんでこんなに来ないんだろ。

誰かがここはリハビリテーションセンターだから、いいんだよーとか言ってたけど、この状況もその一部なのかなぁ。

でもやっぱ自分の力不足かなぁ。

とか、いろいろ考えてたら、めちゃぼーっとしてた。

それに気づいた子が、サッカーをやめて残り10分くらい少し算数をしてた。

彼らが算数をしてくれたのは同情? ちゃんと彼らの先生になれてない自分が情けなくて、へこんだ。。

けど、自分が小学校のころも先生たちこんなカンジで悩んでたのかなーとかも考えた。

とにかく、少しUpperのクラス恐怖症になった日。。


無事4日前の1日21時過ぎ帰国しましたー。

今、東京の自分の部屋です。

その前に書いたけど、アップできてなかった分をいくつかアップしまーす。

防備録的なブログでもあるんで、ずれてアップですが、ぼちぼちでも見てみてくださいな。


これを書いたのは、55日目とかだから、もう約20日前とかのことですね。


10日前になるけど、書いてみる。

さとし、ゆきえ、あやかのTN訪問?をナイロビでした翌日、ナイロビからmatatu1時間ほどのキテンゲラというところにあるNGO,サイディア・フラハを訪問した。

サイディア・フラハは、日本人荒川さんとケニア人2人によって設立されたNGOで、女性とその子供を支援してる。(詳しくは毎度のごとくネットで検索してみてくださいー。)

んで、出国前にプレパレーションの情報渉外として、サイディア・フラハを支える会の大門さんに話を聞いてて、せっかくだから行ってみようと思って、連絡して行ってみた。

情報渉外と大門さんにいただいた資料とインターネットから、孤児や金銭的な理由で親が育てられない子供をあずかったり、裁縫や大工仕事の技術の訓練をしていたりするところが、センターの活動内容と似てるなーと思ってた。だから、センターと比較できるなーとも思った。

ナイロビで無事荒川さんと合流し、matatuで移動。

荒川さんが道々その地域の説明をしてくれた。

車窓はだんだん乾燥した気候に。

着いたところは道沿いに店や人々、matatuがたくさんある街。

荒川さんに案内されて少し歩く。

だいぶ乾燥した地域。

かわいいカンジの幼稚園みたいなところに入った。

小学校入学前のこどもたちが教室でなにか勉強してる。

15歳前後の女の子はミシンで何か作ってる。

男の子は教室で大工仕事の講義?を受けてる。

その日はサイディア・フラハに泊まった。

荒川さんにキテンゲラの街を案内してもらって、サイディア・フラハに住んでる女の子と話して、一緒にごはんを食べ、食後の勉強をしているのを手伝い、スワヒリ語や部族の言葉を習って…。

サイディア・フラハの内部は日本からの寄付や寄贈されたものがたくさんあった。

けど、センターと同様庭にはスクマウィキ(ウガリと一緒に食べる葉っぱの野菜)やサトウキビが植えてあって、こどもたちも一緒に育ててる。

食事もセンター同様、ギゼリ(何種類かの豆を煮たもの)。けど、少し豆の種類が豊富?センターより少し裕福?

けど、サイディア・フラハ周辺の気候はすごく乾燥してて、ちょっと歩けば、マサイマラで見たサバンナと同じような風景。

印象的だったこと3つ。

大阪外大のまみさん。

スワヒリ語専攻で、1年休学してケニアやタンザニアを旅行したり、NGOに訪問したりしてるらしい。サイディア・フラハでも、女の子やスタッフと流ちょうなスワヒリ語でコミュニケーションをとって、ときに通訳してくれた。

1年休学して、単身アフリカにくるって行動力あるなぁ。

荒川さん。

話をいろいろ聞いてるうちに、1番聞きたかったことを聞いた。

日本からわざわざ(?)アフリカ、ケニアに支援・発展の協力する意味って。

そんなことよりもっと普遍的に「人として」と考えればいいのでは。

穏やかな印象の彼の答え。

気候。

一泊したあと、約一週間ぶりにニエリに戻ったんだけど…。

マサイマラ、キテンゲラで見慣れてた、乾燥した風景と大違い。

ニエリはすごく緑豊か。(実際、matatuでナイロビからニエリに向かうとき、風景が違いすぎて、matatu間違えたんじゃないかってはらはらしてたくらい。笑)

そういえばニエリで水に困ったことってないよなー。って改めて気づく。

ニエリは裕福ってホントだなーとか実感。

あと、Titusがセンターの外に行くのはいろんな意味で意味があるって言ってたけど、これ(ケニア内部にも違いがあることに気づけたこと)こそそうだなーって思った。

前も書いたかもやけど、自分はどちらかと言うと、直接的な支援より、将来的に大きく平和につながることをやりたいって考えてる。アイセックに入ったのもその考えに一致したから。

サイディア・フラハを訪れて、センターと比較しつつ、直接的に対応している部分を感じた。

目の前にいる人を助けたい。そこから活動がはじまった。

サイディア・フラハを支える会の情報渉外で大門さんが言われたことばが頭をよぎる。

センターもサイディア・フラハも、子供たちと話したり、勉強を教えたりするのは本当に楽しいし、穏やかで幸せにも感じる。

けど、それよりもっと大きくアプローチしたいと思う自分がいることに気づいた。

ちなみに、このころマサイマラ、TN訪問、サイディア・フラハで約1週間ニエリのセンターにいなかったから、だいぶニエリシックでしたー。

最初のころはニエリもだいぶつらかったのに、ニエリに帰りたいって思っている自分がいることも新たな発見。笑

このあと戻ったら、残り2週間はまたニエリにいようって思った。ニエリでやれることをちゃんとやらなきゃってね。

ちゃんと振り返ってなかったけど、これを書いてちょっと振り返りできました。

研修中のブログっていいですねー。笑

では次につづきまふ。