目下無敗の侍に対して人並の関心を発揮せず、
そのくせ普段は野球への興味が満更でもない素振りをなまじ示してしまってる都合、
いつもの天邪鬼と同類のパターンを当て嵌められるのも少々癪な話。
予め消極姿勢は打ち出してあっただけに尚更。
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野球の世界大会、
皮肉な話だが国内のリーグが盛んな国であればある程、
そちらの成績に支障が出ることを嫌う心理が働いてしまい、
つまりは本戦で各国が真価を発揮してる保障が薄れる。
掛け値なしのガチンコ世界一決定戦の様相が成立してるのかどうか、
という疑いを携えつつも、「この大会はそういうモンなんだ」、
という自己肯定で蓋をすれば、
諸条件あれど世界一決定戦である事自体はまぎれもない事実。
その自己暗示が案外、自分には難しい。
但し書きに目を瞑れば、
どの国もそこまで選手層を出し渋ってるという程でもなく、
各国のオールスター級を一斉に眺める事が叶うイベントとしての希少性、
それ自体は意義を実感したい。
よって、最初から堂々とそれこそが目当てだと公言して観戦してる層は、
ある意味潔くもある。
しかしコレを品評会(≒普段は見る機会の少ない、規格外のパワー野球)めいて観るのは、
ちょっと自分向きじゃないのを経験則から痛感しており、
その上日本代表が勝ち上がる興奮を周りの皆ほど発揮できず、
国民感情として薄情な点もまた痛感せざるを得ない。
前提に、日頃から自分は日本って国(ないし人種)が、
相対的に見て諸外国よりもフィジカルで遅れを取ってる擦り込みが強く、
そのハンデを押して世界トップクラスと鎬を削る競技者は心底スゴイと感嘆できる割に、
こと野球ではその法則をどうにも素直に当て嵌めきれない。
何故なのか、
その答えは幾つかあれど、
競技の特色や適正を存分に活かせてる国自体の少なさがまず第一にある。
国技と称して差し支えない程に盛んなアメリカ日本キューバ、
その歴史のギャップを身体能力+近代化で縮めるには、
まだもう一歩時間と人気が足りてない印象が残る。
というより人気と照らした残酷な現実として、
ポテンシャルはあっても時間の経過がレベルアップと比例しない国もあり、
その点でなんやかんや言っても急激には不人気に陥らない、
アメリカや日本が序列に相当な優位性を持っているかな、と。
これを贅沢に読み取ると、
多少日本人の身体能力が他所の国から見劣りしようとも、
小手先の技術が踏襲&進化を絶やさなければ、
やっぱ日本の野球は全世界的に見てもまだまだ一日の長があり、
如何に外国の選手団が肉体的に逞しくても、白星を取る想像が先行できる。
その先入観を強気に持ってる分、
ホントの強豪国が相手じゃなければ多少ヘマっても勝ちは拾える、
という過信にそうそう裏切られず、
だからこそ他の競技ほど肉体的ハンデを押して勝つ興奮が呼び起こされない、
細かい部分の実態はさておき、自分なりの歪んだ信頼の形でもある。
それでも蓋を開ければスコアボードの上で接戦が展開される現実そのものは、
安直には読み解けないスリリングな面白さ、
と言う形で受け取れればいいのかも知れないが、
死力を尽くした結果<失敗が嵩んだ結果、の傾向をどうにも見てしまう上から目線。
それら凝り固まった目線からすると、
今大会は前評判でさほどでもなかったイスラエルの快進撃が連日報じられ、
試合を見てない立場なりに関心をくすぐる意表が発生した点は、
アテの外れ具合が清々しい材料(嬉しい誤算)としてひとつ記憶にとどめたい。
捨て置けない問題点としては、
主催国でありながら毎回本腰を上げる気概のない、
実質実力世界一を誇れるハズのアメリカチームの取り組み姿勢にある。
個人個人が積極的に手を抜いてる事を疑う前に、
全体練習でチームを纏める段階の問題にも思える。
国際色豊かなメジャーリーグなだけに、
如何にそのクオリティが世界随一でも、
国別対抗で本場が世界一かは定かではないという見解も聞かれるが、
当のアメリカが国の威信を掛けて容赦なく本気のチームを仕立てない限り、
可能性を実証するに至らない。
この状況が続く限り、野球という競技を宛がいつつも、
国として大会に際しての本気度を試し合うイベントである色合いが払拭できず、
競技そのものが達者があるかどうかを競い合う大会としての精度をどうしても損ねてしまう。
根強い不要論もこの見解を少なからず含むハズ。
つらつらと挙げていった項目群、
他所の競技でも当て嵌まる項目は当然あるだろうけど
(五輪よりも明らかにXゲームに比重を置いてる競技群とか)、
残念ながら現時点ではことWBCは実力世界一を真に鑑定する信憑性で、
やや説得力を欠いてる感は否めない。
それでも、それでも最後まで勝ち上がれば、
世界一を名乗れる権利が得られるのは紛れもない事実であり、
純粋にそれを誇れる気持ちを育みさえすれば、
自分も人並に楽しむことが出来るんだと思う。
小さい材料に気を取られすぎる性分が憎らしいと思うべきか(笑
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といった言い訳の数々が、
自分をWBCの側に今一歩奮い立たせない主立った理由。
観始めればそれなりに面白い、という次元を通り越して、
開催日程が決まった段階から待ち遠しいぐらいの心境を、
将来的に生み出せれば是幸い。
んでもって今は、周囲との歩調を重視せずに、
オープン戦のスコアブックをちまちま眺めてはシーズンの展望を日々こねくり回す勢。
野球であれば概ね楽しめる肌ではなく、
結局はプロ野球って在り方そのものが性に合ってるのをすこぶる実感。
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書き出して痛感した。
どうやら自分はプロ野球を純粋なスポーツ観戦として楽しんでる感覚が薄い。
ないし、ない。
定められたルールに則った肉体的活動の光景に熱狂する感触よりも、
目まぐるしく変遷する状況の情報に相当気を取られており、
その後者をよほど楽しまんとしてる。
だからなのかな、
過程よりも勝てば官軍の色が強まりがちな国際大会になると関心を育みにくいのは。
要所要所をかいつまめば多分それなりに満足できるんだろうけど、
全体像を振り返って再度楽しむという部分で色々損ねてしまう。
スポーツの定義は一概に全身をハキハキ動かす事にはない、とされてはいるものの、
世間一般の認識はどうあれ自分の中では客観的に見て取れる身体的な運動量と、
スポーツって表現の純度を関連付ける縛りが大変に強い。
観点が古臭いと言われるのは覚悟の上で。
そこからすると、
野球とて決して運動量や負荷の弱い競技と言うべきではないのだろうが、
野球無関心層から聞かれる
「選手が動いてない時間量の長さ(のつまらなさ)」は、
他所の一線級競技から見劣りするシーンは否めないわけで。
ピッチャーの肩と、インプレー時に打球の行方に関与してる面々は、
紛れなくスポーツと捉える事が自分の中では叶う反面、
それ以外の時間帯はむしろテーブルゲームを眺めてる感覚に近い。
飽くまでセットプレイのフェイズを積み重ねる感じ。
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プロ野球自体は個人としては日頃愛着のある競技だが、
その互換競技を五輪に定着させて、
世界中の人間にスポーツ観戦としての娯楽性を分かち合おう、
ってハナシになると正直引け目を感じるのは、
そういった潜在意識もあっての事と思える。
他の用途で上手く転用しにくい競技場の形状ともども。
慣れてしまえばどうということはなくても、
やはりルールも読み解きにくい。
ここでも主観の基準を出してしまうと、
明文化されたルールブックに目を通すまでもなく、
眼前の光景をしばし眺めてればおのずと概要が掴める競技に、
スポーツの純度で優位性を見てしまう癖がある。
複雑なルールを把握した上で観戦する悦びというのも、
確かに認められる感覚なのだが、
興奮を手繰り寄せる手口としては実際回りくどい。
ありきたりな興奮に麻痺を覚えるとコレはコレで快感であっても、
やはり慣れを必要とする領域である。
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書き出しててもどかしいのは、
無闇に野球をディスる狙いがあるワケではないが、
ここまでの話ぶりではそう受け取られても実際仕方がないのかなと。
心に誓って愛着を持ってる対象を語るに際し、
同じようなミスを繰り返してるきらいがある(笑
もとより、愛好してる材料の長所やメリットばかりを眺めて、
対外に示す語り方ってのが得意ではなく、
客観的に捉えた場合に不都合である材料を併記しないと公平ではないし、
そこを直視せずに嗜むのは愛着が歪んでる実感が滲んでしまう厄介な性格。
表面の輝きばかりに気を取られず、裏面を呑めてこその愛着と思いたいクチ
でも御託を並べようと思う前に、
そもそもどこからどう眺めても隙のない万能性に日頃からアレルギーを持っており、
だからこそ愛着を育んだ対象にはツッコミどころを携えてあった方が嗜み甲斐もある、
という前提が効いてるのは素直に明かしておく。
落ち度は愛すべき欠点にも相当する。
例えば公平性。
天候にも左右されがちな屋外競技なんかだと、
なるべくどの選手にも平等な条件を設けようと工夫を凝らすが、
なかなか思惑通りには機能しないわけで、
スポーツが結構なところ「運」を味方につけてナンボというのが解釈できる、
個人的には憎めない理不尽と位置付けてる材料。
例えばホームアドバンテージ(狭義の)。
ただ単にレギュレーションに準じて競技と向き合うなら必然性が無いハズのこの材料、
しかし実際にはガッツリ喰い込んでて正当化されている。
これもまた割り切りの元で成り立ってる前向きな落ち度。
割り切らなければ純粋に「ズル」なわけで。
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話がちょいと脱線してしまうが、
こうして色々見つめ直すと、
e-Sportsが目指さんとする方向性を素直に評価できない心理が燻るのは、
自分個人の中で独善的に定義してる「スポーツ」の概念に対し、
ビデオゲームが同じ土俵に立たんとする野望への拭えない違和感なんだと思う。
利権の動きを度外視しても。
ビデオゲームのスペシャリストが競技会で鎬を削る枠組みが、
日々骨格を強めて輪郭を太くする事自体は純粋に素晴らしい取り組みだと思えるのに、
それをスポーツという表現に当て嵌める事が、
なかなか自分の中でしっくり来ないというか。
自分がここで何をわめこうが、e-Sportsは現行の在り方で成長を遂げ、
その結果幸せを掴み取る人達が沢山生まれる事には変わりないだろうし、
ゲームの腕前で世間的な評価でもって報われる構図自体は、
一概に悪いとは思うべくもない。
称えられるに値する面は認められるが、
ゲーム好き(対戦型ゲームを含め)を自負するクラスタという立場をしても、
些細な引っ掛かりを棄て切れない偏屈がいるという事実を、
こうして文字に起こしておく多様性が許される事を望みたい
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一旦はTwitterで全部吐き出そうとするも、
思いのほか量が嵩みそうな予感を覚えてコチラの存在を思い出したが、
とはいえ出力形態が「記事」になる割には、
諸情報の収集/確認という手順は結局割愛している辺り、
話の精度を詰める気は更々ないという手抜き姿勢。
示したいのは情報の正確性ではなく、
ものの数時間で恐らくは霧散する一過性の発言欲に間に合ううちに、
後付けの小細工に頼らないなりに気が済む範囲で腹の虫を殺しておこうって具合。
一概にフラストレーションありきで書き始めた内容でもないので、
腹の虫って表現は適切じゃないかもだが。
なのでまぁ、
検索でここに運悪く辿り着いてしまった読者は、
本文の情報の正確性をアテにせずに目を通して貰えれば有難いところ。
手間をかけないなりに不正確な情報の混在やむなしで