自分のアイデンティティーとは何だろう??

 

ずっと、その事を探し求めていたような気がします。

 

生まれてから四半世紀は親の宗教に属していました。

キリスト教系の新興宗教で、大変厳しい教えでした。

 

自分にとって当時のアイデンティティーは神との関係だけでした。

他には何もない。何もいらない。

進学もせず、就職もせずバイトをしながらの宗教活動。

一般の世には何も持たず、自分が持つものは神との関係、そして組織との関係、そんな世界だけだった。

 

でも組織宗教の限界や矛盾に気づき、その宗教から一切離れた僕は、まるで社会に一人裸で放り出されたように感じました。

キリストも聖書も神も、何の役にも立たなかった!!

絶望と空虚感を抱えて、なんの学歴も、職歴ももたず二十代半ばで社会に改めて、いや初めて出ます。

 

その後、死に物狂いで働き、また勉強し、一般の社会のレールに乗り遅れないように必死でした。

普通の人の用に働き、普通の人の用に家族を持ち。

 

やがて普通の人以上に稼ぎ、普通の人以上に成功する事。

その事がなんとなく自分のアイデンティティーになり。。。

 

そうやって生きていく事で自分のアイデンティティーはいつからか外面的に確認できるものになっていたと思います。

そして、その価値観は奇跡講座に出会う最近まであり、今でもそれは少なからずはあると思います。

 

なにか、自分の外面的な行為、成果、活動を通して自分のアイデンティティーを確立したい。

それが、社会的なビジネスでの成功という面だけでなく、精神分野における自分なりの一つの理念の確立でもなんでも。。。

 

しかし、奇跡講座に触れた時に、そうした外面的なアイデンティティーはもろくも儚いものである事を突き付けられ、僕のアイデンティティーはまた一つ溶けていきました。

 

つづく