ずっとずっとLISPをしたいと思って、かれこれ数年。少しずつ眺めては、よくわからず離れていました。最近になってプログラミングを学ぶということが段々と分かってきました。
新しい言語を学ぶときって、ある種の苦痛のようなものを伴います。いままで慣れた脳の回路ではなくて、新しい回路を拓く感覚。それは苦しくも喜びでもあります。
LISPに限らず他のプログラミング言語を学ぶときにも言えますが、コードを英語として認識してはいけません。新しい記号として認識する必要があります。
たとえば「犬」という関数があったとします。これに「1」を入力すると「2」返ってきます。
「1」→「犬」→「2」
これを日常世界の感覚で捉えると違和感しかありません。なぜ「犬」という関数に「1」を入力すると「2」が返ってくるのか?と疑問に思います。しかしプログラムの中で定義された「犬」という関数にそんな疑問を飛ばしても意味がないのです。
「犬」という関数は、「1」を入力したら「2」を返すものとして定義されているのであり、記号自体にそれ以上の意味はないのです。
意味を気にすれば、堂々巡りの迷宮へと誘われてしまいます。そこに答えはないのですから、意味を求める限り迷宮から出ることはできません。唯一の出口は、入り口なのです。迷宮に入ることそのものが意味がないことに気づくことです。
プログラミングは意味がわからなくても、使えます。パソコンの中身を知らなくても使えるように、赤ちゃんが無意識に言語を学習するように。
以前は意味がないことを無機的だと思っていましたが、意味がないとはそれはそれで静かでシンプルな世界です。環境音楽のような、宇宙そのものを見ているような感覚に近いかもしれません。
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