幸せをよぶ認知症

幸せをよぶ認知症

認知症の父のきらめく言葉
教師として最期まで生きた父の魂であり、一つ一つがこれからの人へのエールでした。

認知症の父が私に言ってくれた言葉です。

(祐子をあなたに変えています)

 

どんなにパニック状態でも電話で話していると落ち着いて

これからの人(祐子さん)に向け、愛と情熱をこめ話してくれました。


それなの言葉は忘れてはいけないと思い数冊のノートや紙切れに記録しています。
(それらの全文はこちらのブログに記録していっています。http://realheart.hatenablog.com/ )

そして、その中から心に響いた言葉をこのブログでは書いています。

これからの人へ教員だった父が情熱をこめて話してくれた珠玉の言葉たちです。


認知症は大変だけれど、不幸ではない。

幸せをよぶ認知症もあるのだと伝えていきたいと思っています。


これらの言葉があなたの人生の助けになりますように…


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その日は、父の退院を待って、母と交代し、

私は大洲に荷物を取りにかえり、夕方、施設に戻り、

24日まで泊まり込む予定にミーティングで決まった。

 

このまま、和歌山には戻れないかもしれない。

 

私は切迫した感覚で不安を抱えていた。

 

母は父が亡くなった後のために葬式の準備をしなければ

と変なスイッチが入っているかと思えば、

「金、土、日、月は父といるが、残りは体がもたないので、大洲に帰るパターンにする」

とか、

今後も続くようなことを言ったりしていた。

 

私はそんな母を理解しかねていた。

 

(弟は急遽、父を退院させたことに関し、

母の意向をないがしろにし、

私が思ったようにことを進めようとしている

と思っているようで不信感を言っていたように思います。

母は難聴で、情報量が少なくなり、

刻一刻と変化する父の容体に対する判断が遅れがちになっており、

母の希望通りにすれば、

最期は施設でという母の望みは叶わなくなるかもしれないというジレンマの中、

本当にこれで良かったのか?

弟が言うように私のエゴを押し付けたのではないか?

という自責の念が余計にいら立たせていたかもしれません。)

 

 

父は施設にもどってきました。

 

「先生おかえりなさい!」

 

父の顔の間近で満面の笑みで職員が何人も声をかけてくれます。

 

その度に

「なんだろう?」

という感じで目を見開き、

耳をそばだてて、

状況を理解しようとしているようでした。

 

調子がよい時は その職員さんの顔を見て

父も満面の笑みになっていました。

 

こんな笑顔になるんや。

 

死にかけの人は、感情の抑揚がないもので、

ましてや相好を崩しニコッと笑うなんて、

思ってもいなかった。

 

ケアマネが

 

「先生、明日から、おいしいもの食べましょうや。

 山田屋まんじゅう食べましょうや。」

 

何度も声をかけ 指を口元に近づけると

やはり父は何か食べたそうにしており、

声はかすれて聞き取ることもできない状態でしたが

口元は

「はい」

と言っていました。

 

できるかぎり父と過ごし、

夕食を食べ、

一旦、個室にもどり、お風呂に入りました。

一段落して、

父が寂しくないようにと父のベッドがあるデイの大部屋に戻りました。

 

すると、てっきり暗くなっていると思っていた部屋の明かりは

煌々と輝いていました。

見ると、殆どの職員が揃っており、

専門の講師がいて、

ワークショップ形式の講座が開かれていました。

 

私はカーテンで仕切られた父のベッドにそっと誘導され、

カーテン越しに聞いていました。

 

ワークの時などそれはそれは賑やかで、

笑いもあり、冗談を聞いているとこちらの口の端も緩んできました。

 

講師の先生の講和が終わると、社長の話しになりました。

 

「看取りを嫌がる施設もあるが、うちは看取りを積極的にしている。

そこにいる藤岡さんもそうだ」

 

と父の施設に入るまでの経緯や父のこれまでを話してくださり

母が渡した父の自分史と父が大事に引き出しにしまっていた紙に書いた言葉を

ケアマネさんが読んでくれました。

 

自分史は父が教員の時に生徒とお互い理解しあえるよう、

どんなに情熱を傾けて教員になったのか?

これまで、どんな生徒や保護者と交流してきたのか?

やぎを学級で飼育した話など、

これまでの教員としての父が活き活きと描かれていました。

 

以下は父が大切に引き出しにしまっていた紙に書かれていた言葉です。

 

からだはおとろえるけど

心は死ぬまで成長する。

そのためには今をしっかり感じて

生きることが本当に生きること。

悲しみや苦しみもだいじ。

全て感情は尊い。

どんな感情も味わいきる。

 

 

「心に雨が降る日は」

 

落ち込むのも

あなたの大切な人生の彩です。

それをただ見守る

そこから見えてくる景色は

穏やかで優しい景色かもしれません。

心に雨のふる日は

自然に

自然と

心とともに…

 

すすり泣く声はひとりやふたりじゃありませんでした。

 

現在、認知症で死にかけた80歳の老人として優しくケアするのは

どの施設でも病院でもしていることですが、

それまでの父の歴史やアイデンティティを含めた上で

一個人として扱うことを大切にしていることが驚きで、

それと共に心が揺さぶられ、

そこまでしてくださるのが嬉しくて、

私はたまらずカーテンの外に出ていました。

 

認知症になってからの父との交流。

母と大ぴらには言えないけれど、

「認知症でよかったね」

と言い合っていること。

 

認知症は大変で、

でも、厄介な人、困った人として扱うとそれだけの人になってしまうけど、

その人の本質は?と思いを馳せ接するとその奥が出てくる。

皆さんは素晴らしい仕事をしていると、

心から湧いてきてあふれ出得た職員さんへの感謝と応援する気持を抑えきれず話しました。

 

見ると男性の方も涙を流していて、

すすり泣きもあちこちで聞こえて、

今、なんて温かい、なんて嬉しい場所に私と父はいるんだと思いました。

 

全体のミーティングが終わり

カーテンの中を何人もの職員さんが訪ねてくれ

「藤岡先生!先生!」

と父が目を開けるまで話しかけ、

一人一人が父の反応を確かめながら、父に声をかけてくれました。

 

南予出身で大洲や父が自分史の中で取り上げていた肱川中学校の出身の職員さんもいて

故郷の話も父にしてくださいました。

 

「おかえりなさい。先生!待ってたよ、先生!一緒に楽しく過ごそうね!」

 

みなさんの心から想うそういうエネルギーが伝わって

おひとりおひとりの気持が嬉しかったです。

 

就寝前 父の様子を伺いにデイの部屋に戻ると宿直室にヘルパーリーダーの中岡さんがいました。

 

「ミーティングの途中にしゃしゃり出て、すみません。」

 

というと

 

「いや、話していただいて良かったですよ。」

 

と言って頂き、

 

前日、母が私に弔辞を代わりに言ってくれと言われたとか、

ひとしきり愚痴も笑いあいながら聞いて頂き、

本質ってなんだ?という話になった時、中岡さんは

 

「神さまだと思う」

 

と言われ驚きました。

 

「私もそうです。プライドや観念やそういったものが削がれていき、父は仏さまになっていると感じていました。」

 

と話しました。

 

こんな職員さんに父はお世話してもらっているのか

 

誰しもそう思えるかというとそうではないと実感しています。

 

けれども そういう考えや感性でリーダーが介護してくださっていることに

改めて感謝の気持ちが湧きました。

 

 

 

 

平成30年622()

 

各部署の責任者と会議。

 

「のりあきさん、相当悪いみたいですね」

 

図星過ぎて、少し戸惑った後、こくりとうなずく。

 

不安で一杯だったからか、

6か月先まで書かれたケアプランを見せられ、

未来に向かって書かれているプランに虚しさを覚えた。

 

けれど、施設の職員は諦めておらず、

それが伝わった瞬間、力強さに変わる。

 

担当医の申し送り書を見せてもらう。

 

父は胆管結石の他にストレスで潰瘍ができ血便が出ていた。

 

母は大洲に帰り、私は一旦大洲に荷物を取りに行き2日間施設に泊まることにする。

 

平成30年621()

 

父を見舞うと、点滴が落ちていない。

 

三人の看護士が入れ替わり何度も針を刺す。

 

とても父は痛がって、

渾身の力で私の手を握り絞めていた。

 

針を刺すところがない。

 

この切迫した状態を難聴の母は理解できていない。

 

すぐにケアマネに早く退院して少しでも食べさせてあげたいとline

 

病院にその気持ちを伝えてもらって退院をお願いしてください。

いつでも迎えにいきます!

 

と力強い返事。

 

母は

「退院は月曜日でしょ。」

とのんきなことを言っている。

 

その母をもう点滴の針を刺すところがないのだから(実際にそう)と強引に説得、

担当医に退院をお願いする。

 

医者は拍子抜けするくらいあっさり了承。

 

治療できないのなら、なぜ、もっと早く退院させてくれなかったのか?

この状況に対し何も感じないのだろうか?

 

医者にとってはいつものことなのかもしれない。

 

21日施設に戻り、ケ

アマネと施設に帰ってきてからどうのように過ごしてほしいか?話し合う。

 

施設に入るまで、施設に入ってから、私たち家族と父との関わりを時間をかけて聴いてもらう。



 

619()

絶食中とケアマネが説明を受ける

早くかえってきてほしい。

それは私もケアマネも同じ気持。

 

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食べること再開した様子。

食べることが進まないと言っていたたが

ケアマネが口元に指を近づけると

口を開け、何か食べたそうだった。

 

胆管結石の影響で肝臓の数値が悪いが

今の状態では何の治療もできない。

と言いながら絶食。

意味が分からない。

 

少しでも早く退院して、

少しでも長く住み慣れた施設で過ごさせてあげたい。

 

最後は母も私も施設で

ということは前回の入院から伝えているにも関わらず、

なぜか退院は25日の月曜日と医者から告げられる。

 

このままでは間に合わないかもしれない。

と思ったが、

母は医者の言葉を信頼しきっている。

 

反論しようがなく、疑問に思いながら、了承する。

もう、父は何日食べさせてもらっていないんだろう?

 

平成30531

誤嚥性肺炎が再発。

大きい病院に入院。

 

69.10日は専門スタッフがいないので、嚥下の練習中止

 

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六さじ食べる。

入浴。

熱なし。吸引三回。

 

 

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誤嚥性肺炎の治療は終了。

食べることが進まないので、13.14日は食べることは中止して、また、再開する。

来週くらいに家族と施設と話し合うとのこと。

 

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なぜか絶食中とのこと。

 

「本当に私たちも残念です」

最後間に合わなくなることが危惧されることはケアマネの言葉の端々から伝わった。

 

このまま食べる意欲や喜びがなえてしまうのではないか?

とケアマネジャーと相談し

弟と母とのカンファレンスが22日だったが、20日に早めてもらい、

思い切って愛媛に帰省することにした。

 

 

母が医者に渡したメモより

 

・気分は特に気になることが起こらなければ、安定しているように思います。

・同時に二つのこと考えなければならない時、二つのことをしなければならない時パニックになる

 そのことを知られたくないためにいろいろ理由をつけて相手をなじる

・「自分が壊れていくようで怖い」と言うことがある

 

「 これからもがんばろう。良い悪いは別にして…

 

人は、「良い、悪い」「幸せ、不幸せ」「できた、できない」と自分を評価しがちです。

私も例外ではありません。

 

このころの父は、時々、さ迷っては帰ることができず、警察の世話になることもありました。

「がんばろう」だけなら、比較的、誰でも言えると思います。

 

大事なのは、良い悪いは別にして…というところ。

評価は別にして、がんばろう。

 

なかなかできないけど、そう言ってくれてたんだなぁ。

 

 

 

 

 

 

※認知症の父が私に言ってくれた言葉です。

   祐子をあなたに変えています。

   どんなにパニック状態でも電話で話していると落ち着いて

   これからの人(祐子さん)に向け、愛と情熱をこめ話してくれました。

   それなの言葉は忘れてはいけないと思い数冊のノートや紙切れに記録しています。

   (それらは、こちらのブログに記録していっています。  http://realheart.hatenablog.com/ )

    そして、その中から心に響く言葉をこのブログでは書いています。

    これからの人へ教員だった父が情熱をこめて話してくれた珠玉の言葉たちです

    あなたの人生の助けになりますように…

 

「色んなことがあるから がんばってみたり 我慢したりして進む。
 一斉にこうだとはいかない。
 あなたはこれからよ。
 ドンドン出したらいい。
 それによって、自分も立ち上がる。
 

 お互いが本気で話しとる。
 ありったけの力で話しとる。」

 

 自分が何者か?名前すら忘れてしまう認知症の父が言う。

「混乱の極み」と母が言っていたその状態から、霧が晴れるように明晰な状態になると喜んでいた。

 

 

「祐子と話すのは嬉しい。

 私もがんばらないけんなーと思う。

 あなた自身が素晴らしい。
 それでいいなぁと思ってやっぱり嬉しい。
 それで頭の中スーッとした。
 ウレシイナ、ウレシイナが頭の中に入りよる。」

 

そう電話で語った認知症の父は その数日後 徘徊して 警察に保護されて 松山の高齢者住宅に移りました。

 

心の中にある故郷を求めて 足腰の悪い父が遠くまで 歩いていったそうです。

私と電話で話す時に父の心ははさまよっていても 次第に今ここに戻って来てくれます。

そのことが毎回不思議でなりませんでした。

 

それと同時に奇跡のようで…
今まで色々と私自身、辛いと感じることもあったけど
そのおかげで 心のことを学び 表面的な父ではなく その奥の父を感じながら話すことができる。

この瞬間のためにそれがあったのなら どんな辛い過去も もちろん 楽しい過去も 過去のすべてを肯定できました。

 

 

 

それくらい 訳がわからなくなって徘徊するような父との電話や実際に会って話す日々はこの上ない喜びだった

 

認知症の父にいつものようにコールした。

 

 

123回…

 

 

なかなか出ない。

 

 

そんな時は父がパニックになって

 

 

母もどうにもこうにもできなくて 立ちすくんでしまっている時が多い

 

 

101112回…

 

 

私も覚悟して誰かが出るのを待つ

 

 

「もしもーし」

 

 

やっと父が出る

 

 

「こんばんはー。祐子よ」

 

 

一番明るい私で言う

 

 

「あー 祐子さんかぁ」

 

 

喜びと安堵が混じった声で父が言う

 

 

思ったよりも明るく元気だったので私も少しほっとする

 

 

「いつもありがとうね」

 

体のこととか心配だけれど 私の心配が父にうつるといけないので あえて体のことはきかずに 父が朗らかでいられるよう感謝を言霊に載せてありがとうを言う

 

 

すると父は

 

 

「祐子と話すのはとにかくうれしいんじゃ」

 

 

と本当に嬉しそうに言う

 

 

「私も嬉しいよ。お父さんと話せて…」

 

 

父は更に言葉を紡ぐ

 

 

「あなたはこれからの人じゃ。いろんなことであなたはこれからじゃ。

 

 

 こんなに話聞きよっても楽しい。『これからがんばるぞー』という気持がうおーんと出てくる。だからがんばれ!という気持ち。」

 

 

心の底からわいてくる父独自の言い回し

 

 

「あなたと話よる間にがんばろうと思う。ありがたいことです。そやけん、心配いらんからがんばらせてください。」

 

 

「お父さんがんばりよるが」

 

 

「がんばりよるよ。それ(私と会話したこと)が頭に入って 自分が自分の頭にしゃんとせいと言うんじゃ。将来の望みがあるからがんばらんと。」

 

 

「あなたの声は激励の声。私の中から元気が出てくる。じゃけんあなたはいいと思いよる。じゃけんあなたはいいと思いよる。」

 

娘としてメンタルコーチとして人として嬉しくて涙が出そうになる。

 

 

「これからもがんばろう。良い悪いは別にして…。」

 

共ににがんばろう!という言葉にしていない父の気持ちが伝わる。

 

「いつも祐子の言葉を『そうだそうだ』と自分の体に聞かせる。自分の目を空に向けて いろんな気持が出てくる。それをごちゃごちゃ言うて自分の気持が固まる。あなたの言うことを受け取って、こうせないけんということが分かって嬉しい。誰まり話せんが自分に『そうか』思うて嬉しくなってきた。私は情けない人間ですが、あなたに教えてもらった。」

 

父の心からの喜びが伝わって 本当に良かったなぁと感じて 一人ではそれはできなくて、それを創ったのは父で…私で…

何ともいえない想いがこみ上げてきて 涙ぐむ。

 

「涙が出そうなが…」

 

父に言うと

 

「涙が出るということは嬉しいことぜ。」

 

と、涙を承認してくれる父

 

「まだまだ考えんといけんことが一杯あるなーと思うた。あなたと話しよったら少しずつ分かるから嬉しい。嬉しいというかありがたいというか…自分で自分を考えることができる。
あなたが電話してくれることは非常に嬉しいこと。後で自分の気持ちを広げて、ああだ。こうだ。と考える。
あなたの話が来だしてから 随分 気持が良くなった。ありがたいことです。話も楽しかった。」

 

「私もよ。お父さん。お父さんは心の芯から聞いてくれるけん私もありがたいよ。」

 

「祐子の話は自分の気持にズーンとくる。そりゃ、嬉しいよ。あなたと話したことは。

こちらから投げ込むこともある。それを色々考えて、一晩中考える。それで自分も成長していく。

きちんと自分のことが話せるのは大事。それによって成長する。あなたのおかげ。」

 

「それは、わたしもよ」

 

「今日、電話してよかった。お互いが楽しいこと悩みを交換せんといけん。

いいことばっかしでもないし、悪いことばっかしでもない。

そういう中でほんとのことが出てくる。」

 

「ほうじゃね。ほんとそうじゃね。」

 

「あなたと話して世界が広がった気がする。

あなたの心はビシッとしとる。色々がんばったことが素晴らしい形に出とる。」

 

「ありがとう。」

勢いよく父は話を紡いでいく

 

「何でも立派で良いわけではない。ガタガタしよるんがいい。そんなんですぱすぱっとはせん。それでいい。

自分や人に思うことが一杯ある。いろんなことがあるから、がんばってみたり、我慢したりして進む。一斉に『こうだ』とはいかない。」

 

いつも以上に熱のこもった父の言葉。

電話をしたのは車の中で、書くものがなく、スケジュール帳に殴り書きをした。

なんだか、一言も漏らしてはいけない気がした。

懸命に父の話しを聞きながら、必死に言葉を書き移した。

 

「あなたとは、なんか知らんけどスリスリスリスリと話しができる。自分の気持ちがいい。
あなたはこれからよ。ドンドン出したらいい。それによって自分も立ち上がる。自然の中で気持ちよく出てくる。がんばっとるなー。と思う。

そして、お互いが本気で話しとる。ありったけの力で話しとる。自分のことは色々あろうけど、空に向かって 答えがあったら嬉しい。」

 

「ほーじゃね」

 

涙をこらえながら書き続ける。

 

「祐子と話すは嬉しい。私もがんばらんといけんなーと思う。あなた自身が素晴らしい思うて やっぱり嬉しい。それで頭の中がスーッとした。ウレシイナウレシイナが頭の中に入りよる。」

 

「うんうん。私もよ。私も本当にウレシイんじゃけん。」


「あなたと話よったら気持よくなる。なんか力が出てくる感じ。がんばってやらないけん。一生懸命考え、自分の気持ちをしっかりもう少しがんばってしなさい。と言いたい。」

 

これまでにない 父からの熱いエールの後、

 

「対等に話して気持ちよかった。ありがとう。」

 

という父の言葉。

 

「私こそありがとう」

 

携帯電話の接続を切った。

 

おかしいと思う人もいるかもしれないが、父に対等と言われ嬉しかった。

認知症で混乱している父も確かにいる。

でも、その奥の父も確かにいる。

 

今いる場所がどこか分からなくなり、母が誰かも分からず、孤独と焦燥感にかられ、時に故郷を求めてさ迷う。

さ迷ったあげく自分の現在地が分からなくなり 帰れなくなり 警察に保護される。

とても、そんな人と会話しているとは思えない。

 

父の魂というものがあるのなら、壊れた脳細胞の奥の父の魂がダイレクトに話しかけているようだった。

魂というものがなかったとしても、辛うじて生きている脳細胞を一つ一つ繋ぎ合わせて本来の父が必死に語りかけているようだった。

 

ただただ これまで以上に熱い父の想いが伝わって 驚いた。

少し呆然として、でも、今日の会話は一生忘れてはいけないものだと確信し、パソコンに打ち込んだ。

これが最後とは思っていなかったけど、父の熱量を感じている今、記録しないとと強く思った。

 

この数日後、父は再び遠くまでさ迷い警察に保護されました。

その後、電話で話しても本来の父は戻ってきませんでした。

 

それまで、どんなに混乱していても、最後には落ち着いて、父が戻ってきたのに…

 

二年間感じたことのない無力感を初めて感じました。

 

年老いた母一人で介護をする限界でした。

父は施設にはいり、そして、それ以降、このようにしっかりと本来の父と話すことはもうありませんでした。

 

父はどこかでこうなることを知っていたのでしょうか?

最後だとどこかで知っていて、ありったけの想いをぶつけているようでした。

 

父の肉体がこの世を去ったのは、二年余り後でしたが、

これは父としっかりとつながった最後の時で、父の私への遺言のように感じています。

 

親と子は近すぎるうえに難しいものです。

物心ついてから、私は父が嫌いでした。

 

でも、その父とここまで深く繋がることができたのは、本当に神様に祈りたくなるくらいありがたいことで

父も私も心から信頼できる人がこの世にいてくれたのは、何よりの喜びでした。

 

「わしゃ幸せじゃ」と父もよく言いましたし、

その言葉を聞いて私も幸せでした。

 

側で聞いていた母も正常でない自分におびえる父が毎日こんな時間を持てて、それがもしなかった場合を考えれば父にとっては幸福なことでありがたいと思っていると心の内を語ってくれました。

 

 

愛音のみなさま

 

在所していた教彰の娘の祐子と申します。

父が大変お世話になりました。

父だけでなく、母や私も慈しんでくださりありがとうございます。

 

「看取り」というのは、ただただ辛く、哀しいものと思っておりましたが、暗闇の中でろうそくの炎が燃えるように、ゆらぎながらもエネルギーを発し、その光に照らされハッとするものがあったり、その炎にこちらが暖められたり、燃え尽きるまでも様々な彩があり、驚きました。

 

 「認知症」に対しても、やっかいで大変というだけでなく、認知症になることでしか触れあうことのできなかった父と出会うことができました。

 愛音に入所するまで一番苦労したであろう母も「無垢な魂の輝きを見せてもらいました。私の人生終盤のあなたからの大切な大切なプレゼントでした。ありがとうございました。」と言いながら線香をあげているそうです。

 

 その父との入所直前の会話を記録したものがあります。加えて、父の看取りの際には、偶然という言葉で片づけられないような絶妙なタイミングで、心ゆさぶられる出来事が重なり、それらが人生でとても大切なことではないかと感じて記録したものもあります。

これは、愛音のみなさまと出会わなければ起こらなかったことであり、ぜひみなさまとシェアしたいと思いました。また、今後の何か参考になるのではないかと考え、母の同意の上、記録したものを送らせて頂きます。

 みなさまの励ましやお役に立てたら幸いです。そうならなくても、父を懐かしみ読んで頂けると大変嬉しく思いますし、あの世の父も喜ぶと思います。

 

 まだまだ、寒い日が続いていますので、ご自愛ください。また、いつかみなさまにお会いできることを楽しみにしています。