その日は、父の退院を待って、母と交代し、
私は大洲に荷物を取りにかえり、夕方、施設に戻り、
24日まで泊まり込む予定にミーティングで決まった。
このまま、和歌山には戻れないかもしれない。
私は切迫した感覚で不安を抱えていた。
母は父が亡くなった後のために葬式の準備をしなければ
と変なスイッチが入っているかと思えば、
「金、土、日、月は父といるが、残りは体がもたないので、大洲に帰るパターンにする」
とか、
今後も続くようなことを言ったりしていた。
私はそんな母を理解しかねていた。
(弟は急遽、父を退院させたことに関し、
母の意向をないがしろにし、
私が思ったようにことを進めようとしている
と思っているようで不信感を言っていたように思います。
母は難聴で、情報量が少なくなり、
刻一刻と変化する父の容体に対する判断が遅れがちになっており、
母の希望通りにすれば、
最期は施設でという母の望みは叶わなくなるかもしれないというジレンマの中、
本当にこれで良かったのか?
弟が言うように私のエゴを押し付けたのではないか?
という自責の念が余計にいら立たせていたかもしれません。)
父は施設にもどってきました。
「先生おかえりなさい!」
父の顔の間近で満面の笑みで職員が何人も声をかけてくれます。
その度に
「なんだろう?」
という感じで目を見開き、
耳をそばだてて、
状況を理解しようとしているようでした。
調子がよい時は その職員さんの顔を見て
父も満面の笑みになっていました。
こんな笑顔になるんや。
死にかけの人は、感情の抑揚がないもので、
ましてや相好を崩しニコッと笑うなんて、
思ってもいなかった。
ケアマネが
「先生、明日から、おいしいもの食べましょうや。
山田屋まんじゅう食べましょうや。」
何度も声をかけ 指を口元に近づけると
やはり父は何か食べたそうにしており、
声はかすれて聞き取ることもできない状態でしたが
口元は
「はい」
と言っていました。
できるかぎり父と過ごし、
夕食を食べ、
一旦、個室にもどり、お風呂に入りました。
一段落して、
父が寂しくないようにと父のベッドがあるデイの大部屋に戻りました。
すると、てっきり暗くなっていると思っていた部屋の明かりは
煌々と輝いていました。
見ると、殆どの職員が揃っており、
専門の講師がいて、
ワークショップ形式の講座が開かれていました。
私はカーテンで仕切られた父のベッドにそっと誘導され、
カーテン越しに聞いていました。
ワークの時などそれはそれは賑やかで、
笑いもあり、冗談を聞いているとこちらの口の端も緩んできました。
講師の先生の講和が終わると、社長の話しになりました。
「看取りを嫌がる施設もあるが、うちは看取りを積極的にしている。
そこにいる藤岡さんもそうだ」
と父の施設に入るまでの経緯や父のこれまでを話してくださり
母が渡した父の自分史と父が大事に引き出しにしまっていた紙に書いた言葉を
ケアマネさんが読んでくれました。
自分史は父が教員の時に生徒とお互い理解しあえるよう、
どんなに情熱を傾けて教員になったのか?
これまで、どんな生徒や保護者と交流してきたのか?
やぎを学級で飼育した話など、
これまでの教員としての父が活き活きと描かれていました。
以下は父が大切に引き出しにしまっていた紙に書かれていた言葉です。
からだはおとろえるけど
心は死ぬまで成長する。
そのためには今をしっかり感じて
生きることが本当に生きること。
悲しみや苦しみもだいじ。
全て感情は尊い。
どんな感情も味わいきる。
「心に雨が降る日は」
落ち込むのも
あなたの大切な人生の彩です。
それをただ見守る
そこから見えてくる景色は
穏やかで優しい景色かもしれません。
心に雨のふる日は
自然に
自然と
心とともに…
すすり泣く声はひとりやふたりじゃありませんでした。
現在、認知症で死にかけた80歳の老人として優しくケアするのは
どの施設でも病院でもしていることですが、
それまでの父の歴史やアイデンティティを含めた上で
一個人として扱うことを大切にしていることが驚きで、
それと共に心が揺さぶられ、
そこまでしてくださるのが嬉しくて、
私はたまらずカーテンの外に出ていました。
認知症になってからの父との交流。
母と大ぴらには言えないけれど、
「認知症でよかったね」
と言い合っていること。
認知症は大変で、
でも、厄介な人、困った人として扱うとそれだけの人になってしまうけど、
その人の本質は?と思いを馳せ接するとその奥が出てくる。
皆さんは素晴らしい仕事をしていると、
心から湧いてきてあふれ出得た職員さんへの感謝と応援する気持を抑えきれず話しました。
見ると男性の方も涙を流していて、
すすり泣きもあちこちで聞こえて、
今、なんて温かい、なんて嬉しい場所に私と父はいるんだと思いました。
全体のミーティングが終わり
カーテンの中を何人もの職員さんが訪ねてくれ
「藤岡先生!先生!」
と父が目を開けるまで話しかけ、
一人一人が父の反応を確かめながら、父に声をかけてくれました。
南予出身で大洲や父が自分史の中で取り上げていた肱川中学校の出身の職員さんもいて
故郷の話も父にしてくださいました。
「おかえりなさい。先生!待ってたよ、先生!一緒に楽しく過ごそうね!」
みなさんの心から想うそういうエネルギーが伝わって
おひとりおひとりの気持が嬉しかったです。
就寝前 父の様子を伺いにデイの部屋に戻ると宿直室にヘルパーリーダーの中岡さんがいました。
「ミーティングの途中にしゃしゃり出て、すみません。」
というと
「いや、話していただいて良かったですよ。」
と言って頂き、
前日、母が私に弔辞を代わりに言ってくれと言われたとか、
ひとしきり愚痴も笑いあいながら聞いて頂き、
本質ってなんだ?という話になった時、中岡さんは
「神さまだと思う」
と言われ驚きました。
「私もそうです。プライドや観念やそういったものが削がれていき、父は仏さまになっていると感じていました。」
と話しました。
こんな職員さんに父はお世話してもらっているのか❓
誰しもそう思えるかというとそうではないと実感しています。
けれども そういう考えや感性でリーダーが介護してくださっていることに
改めて感謝の気持ちが湧きました。
