★娘がケータイゲームにはまった。52。cincuenta y dos.

1362~1387

●広島お好み焼き。

1387.2024年9/22 きのう神社の祭礼があった。門前に夜店がでており、人がけっこういた。

 男のうしろをいくことになった。25くらい。この男は私がきていることに気づいた。広島お好み焼きの店へと首をまわして、それがいままさにじゅうじゅう作られているさまを見ているようで、実のところ目の端で私をうかがいつづけた。首は95度まわっている。それで私が左にそれるや、この男はようやく駅の出入口をむいた。

 こんな男のあとから下りエスカレーターに乗る気はしない。エレベーターのボタンを押した。

――これにするか。

 女がそういって、縁日をたのしんだ仲間らとこっちにやってくる。22くらい。

 離れた。せまい箱のなかに、ひとりの自分がいられる?体をむけられ複数の視線にさらされ、ひとりであることを思い知らされよう。

 エスカレーターに乗った。

●中年カップル。②

1386.2024年9/16 女が坂をおりてくる。68くらい。いったん私を避けて、このあとむかってきた。

 あの交差点で待ったこと、および洗面所をつかったことにより、時間をくっていた。次の電車まで8分もある。

 はすむこうにいる男は、足を組んで受動スマホである。スマホなんて見たところで、何も生みださない。19くらい。ひまそうで、顔を上げてはこっちを見ている。またも介護職員か。おりていく。そのとき23くらいにみえた。

 中野駅西の線路沿い、ゆるやかな坂をあがっていく。前方数メートル先を、背番号のように5と縫い取りのある半袖の男がいく。サッカーか野球か。門脇か。右手に赤い、ぽちりとしたものがみえた。たばこの火である。毒の煙がまかれた。自分のことしか考えていない。

 まいばすけっと中野三丁目店にカップルが入ってきた。ともに中年である。その女、48くらいは、私がレジの順番待ちをしているところのすぐうしろにきた。果物類にさも興味があるふりをしているにちがいなかった。私が首をまわしその女をちらっと見てやると、これにあわせて女は私に顔をむけた。果物のどのひとつも手にとってはいない。私がいるからそこにいるとみえた。人を眺めつつ、店員やほかの客からの視線を分散させていたというわけである。

 レジ精算をおえた。でていくとき、その中年カップルの順番がきた。ごほっ。男がそうやった。

 女がケータイ通話をしつつ歩いている。25くらい。紺色ワンピースである。この女が三叉路を左へいくので、私はまっすぐいった。十字路で左に曲がり、すすんでいく。その女が次の十字路にあらわれた。顔をこっちにむけている。私を見定めたというような感情まるだしの表情をしたあと、ようやく南へと曲がった。私は東をとった。これは予定通りである。ゆきずりの女、それも直接性と形而下性をこととするような女に、どんな興味をもてばいいのか。

「ただ束の間にすぎないもの、亡霊、ふるい思い出、所詮は過去になってしまった、そして、ますます過去のものになっていく昔の生活、こうしたものをいまのきみの現実の生活であるかのように思いこみ、その錯覚に負けてしまったのだ。思いちがいだよ、フリーダ。」(フランツ・カフカ『城』)

●ベビーカー。①

1385.2024年9/16 高円寺駅の南を西へとった。細道の先から男がふたりならんできているのがみえた。ううっ。そのひとりが、すれちがいざま口を鳴らした。22くらい。やりかえすと、またやった。

 優先席六席中、五席があいていた。けれどすわらなかった。一席にいる女に見られるのは必定だったからである。おりる人がいたので、反対側のドア前に動く。このあと、そこにいるのが女ではなく男だとわかった。

 その男、45くらいが、ごほごほっとちいさくやった。私がおりるときには、スマホから顔をあげてこっちを見つづけた。

 折返し電車を待った。工事用の建物のあいだ、せまいところにいた。おりて歩いていく女がこっちを見た。別の女もそうやった。発車待ちですわっている女が、顔をあげている。48くらい。私が目をむけると、巧みに目をそらした。ひとところにいる私は、人に餌を与えているだけだった。

 両ドア空間の左に女がいる。55くらい。この女がこっちを見ていると、ガラス窓の映りでわかった。かゆくて背中を掻いていた私の隙に乗じたのである。

 ベビーカーが乗りこんだ。うっとうしさは拭えない。席をかえることにする。

 車両をかえた。こっちにもベビーカーとその夫婦者が乗りこんだ。夫は乳児を抱いて、妻と席をいれかわった。ドア脇に、すなわち私を見ることができるほうにかわった。

 最初のベビーカーの女が、顔をこっちにむけた。連結部の二枚のガラス越しに、私を見つづけている。まただ。

 駅前で女が道を横切って、だんだんむかってきた。65くらい。それで歩道へあがった。すぐそこにいるカップルの男が私を意識して、女と抱きあいだした。見せつけである。だれもが人の存在を利用している。 

●ミスタードーナツの女。

1384.2011年5/28 東中野のミスドにいた女は、こじゃれた、いかした雰囲気をたたえた細身の、胸乳のちいさな若い女であった。トレイの片づけをおえるや、通りすがりの私を見た。が、すぐにそばの男に体ごとむいて、親しげな一体感をただよわせた。自分を人目にさらして赤の他人たる男の反応を楽しんでいたにちがいない。

●息子は前妻の家に。

1383.2011年5/25 ある45才の男性は、40才の妻と暮らしている。再婚であり、前妻とのあいだに娘13才、息子6才がいる。この子らは前妻が親権者となって引きとっている。

 離婚したのは二年半前である。性格の不一致から協議離婚をすることになり、子供ふたりをどちらが引きとるかは調停委員の意見をもとに決まった。そういうものかというくらいであった。当時3才半の息子の意見が俎上にのせられることはなかった。なによりそんな意見の表明は、年令からしてできようもなかった。

 息子は週に一回はやってくる。泊まっていくこともある。パパが好きだという。ママはすぐに怒るという。

 息子にケータイ電話を渡してある。よく電話をかけてくる。パパのところに住みたいという。これにたいして、前妻はむろんそうはさせない。

 人権侵害ではないか。日本国憲法に、何人も居住の自由を侵されることはないと明記されている。裁判をおこすことも射程にいれている。

 相談者は加藤諦三の著書を読んだ。加藤が父の圧迫をうけて育ったことを知るに及んで、息子を母すなわち前妻の圧迫から逃れさせてやりたいと思う。

 弁護士氏(坂井真)は次のようなことをいった。

「憲法のべき論からするなら、あなたのいっていることには何ら瑕疵はない。だが実際に裁判になったとき、地裁で決着がつかないとなると高裁、さらに最高裁までいく。となると五年も六年もかかる。この間に、前妻とのあいだの亀裂は決定的になる。息子さんの心情は揺れに揺れる。どちらをむいていいのかわからなくなる。

 法律の実務家として総合的に勘案するならば、当面のところはケータイと泊まりの淡い関係をつづけたらどうだろうかとなる。四六時中いっしょに生活するようになって、それでもパパが好きといってくれるとはかぎらない」

 加藤はいった。

「こういうことをしたらママは怒ると予測がついて、この文脈では安定を得ています。それにケータイ電話の使用を目の前で許すということからすると、すくなくとも権威主義的な母親ではありません」

 子育てで大切なのは予測性と安定性ですと、加藤はしめくくった。

●パークハウス玄関前。

1382.2024年9/14 きのうパークハウスの玄関前に、何かの業者の男がいた。25くらい。道に体をむけてスマホに見入っているふうにみえた。そのふりをしていただけだとわかったのは、私が三叉路を曲がってすこししてふりむいたときだった。男はこっちに体をむけたまま、目をあわすことなく伸びをしていたからである。このあと、日東マンションとはちがいオートロックのマンションのエントランスに入った。

 きょう、かーん、かーんと近くの女がまたやった。茶碗をおさじでぶったたいた。なにもしていない女のストーカー体質は、かわらない。本日も本領発揮である。

 バスが終点に着いた。通路をはさんでむこう、先頭ひとりがけの女は、スマホを見ていた顔をこっちにむけた。私の予想の域内のことをした。私はすばやくというように、いの一番におりた。

 小竹向原で中年男女が乗りこんで、空間のすじかいにすわった。女は50くらい、顔をこっちにむけ私を見ている。これがわかって、私は席を立った。

 右ななめ先の男が、ううっ、ううっと口で音をたてた。53くらい。ううっ。またやった。

 んんっ。右むこうのどこかで女が口を鳴らした。

 地下鉄の通路を歩いた。うっ。右むこうからきているベビーカー男が、すれちがう前に口を鳴らした。

 ホームが長い。遠くに女がいた。黄色い服である。この女がこっちに体をむけているとわかったけれども、ほかにいられそうなところはなく、とりあえずホームドアをむいていた。

 左から女がきた。45くらい。私の手前で立ちどまってスマホである。私が遠くのあの女のほうへ歩きだすと、この女も私のあとをくるように歩きだした。人にあわせているだけだった。

 気づくと、あの黄色い服の女がこっちへきていた。ななめうしろで、体をぴたっと私にむけて下をむいている。そうでありつつも私を視野にいれていたのにちがいない。

 坂がすぐそこというとき、道の反対側をきていた男がいた。23くらい。この男は道の中央に寄りつつむかってきた。こうして私を見にかかった。

――こっちきてるっ。

 いってやると男は、何にでも反応しそうな顔を私にむけた。

 ごほっ。私の姿がカーブで見えなくなる頃、その男がふりむいてそうやった。

 道の左を女がきていた。そのうしろ右に、自転車の灯りがみえた。この灯りがむかってきそうに思えた。そのとき顔は照らされると予想できた。

 運送会社の敷地内によけた。女と自転車がいってしまうのを待った。

 中野駅ホームの階段の降り口付近に男がいた。50くらい。スマホ、坊主頭。私が右へいくと、この男も右へきた。左へいくと、左へきた。うえっ。私を追いかけるつもりだ。

 エスカレーターをつかうことにした。

 まいばすけっと中野駅三丁目店に男がいた。25くらい。店内カゴも商品ももたず、通路を経めぐっている感じにみえた。私はこの男のいないほうへ動いた。この男は私に避けられていることに気づいたもようである。このあと立ちどまって首をまわし、目を見開いて私に目線を押しつけた。

 レジ会計の順番待ち先頭に立った。清算中の男28くらいは上体をひねって、その体勢で顔をこっちにむけて財布から小銭をとりだしていた。ばかだ。

 会計中、あのうろうろ男が私のうしろをとおって出入口へむかうのがみえた。何も買わずじまいである。人を、女を、眺めにきたのだろう。

 犬の散歩の男が遠くにみえた。あいつか。

 もどって道をかえた。

「いま話していることはちっとも大事なことじゃないが、その言葉の下でもうひとつ別な会話をしている、そして、この話のほうが大事なのだ、といわんばかりの話しぶりであった。」(フランツ・カフカ『城』)

●いつもの珈琲2カップ。②

1381.2024年10/5 ごっほっ。すじかいの女がわざとやった。65くらい。よくやるよなあ。本読みにふけっているふりをしている。

 男が立ちあがった。67くらい。すぐにドアをむくことなく、全身をこっちにむけた。うえっ。

 女が乗りこんだ。63くらい。私をひとしきり見つづけ、見定め、しかるのちにようやく腰をおろした。

 乗り換えのため階段をおりていく。あがってきている女がいた。60くらい。上目づかいに私のズボンを見ていた。うえっ。

 右をとった。壁際に女がいた。22くらい。じゃまだな。男を待っているのか。この女から目をそむけて、すぐ前をいくと、女は首をまわして顔を私にむけた。うえっ。

 人がいないほうへ、ぶつからないようにいく。エスカレーターをおりてきた女がむかってきた。50くらい。能面のような顔である。

 セブンイレブン中野桃園店に入った。あしたの朝用に紙コップのコーヒーが無性にほしくなったからである。店内をまわってみた。どこにあるのかわからなかった。店員女性に訊くと、そこへ導いてくれた。そのときだ。あたりに潜んでいたような男が、私を見つつこっちにむかってきた。ビニール傘を私の脚にあてた。あたったというのに男は無言だった。人を見ることに必死のていにみえた。またも介護職員か。やっぱりコンビニなんて入るものではない。

 桃園通りを歩きだす。何人もがきていた。小劇場からの帰りにみえた。ひとりの女は雨傘の縁をまぶたすれすれにおろし、要するに顔を隠してまったくよけずに私とすれちがった。23くらい。まただ。

「あなたみたいな人は、論理に対して必ず脅迫と暴力で反応するんだわ。」(P.D.ジェイムズ『策謀と欲望』)

●喫茶店あろうむ。①

1380.2024年10/5 住宅街の、なんの変哲もない十字路の角に、喫茶店がある。交差する道はどちらも細い。車一台がどうにか通れるくらいである。集合住宅の一階、広さは四畳半か六畳くらい。あろうむ。それが店名である。

 そこをよく通りがかってきた。いつも人が入っている感じだった。近所の常連の溜まり場くらいに思ってきた。したがって入ろうという気は一毫もなかった。だいいち喫茶店でコーヒーを飲もうだなんて、いまとなっては狂気の沙汰にひとしい。

 ある日、二十代前半くらいの、いかにも今どきというようにみえるカップルが、その十字路にむかっていた。ふだん着のジャージ姿の男のほうが、店の扉をあけた。

 ごめんねー、いっぱいで。店の女がそういった。時間ずらしてきてね。店の男がつづけた。それは経営者の夫婦である。 

 ネットで調べてみた。なんと人気店だった。

 それから何日もたったきょう、土曜の昼下がり、助平根性からその店を初めてのぞきこんだ。カウンターにぎっしり四人がおり、二人がけの席も埋まっていた。なるほどね。

 あろうむ。どんな意味かはわからない。

●牛乳500ミリリットル。

1379.2024年9/13 高南通りを歩く。裏道へ曲がった。すぐそこに四五人の男らが立っていた。何をしているのだろう。うっ。そのうちのひとり、たばこをすっている男23くらいが私を見てそうやった。ちんぴらである。

 細道で自転車の男がむかってきた。25くらい。うっ。またやった。やりかえした。

 緑道脇の道をいく。スマホ男がきていた。45くらい。緑道からも男がきていた。だから、そのままいくと、スマホ男がスマホを見つつむかってきた。まただ。

 JR高架沿い南の道をとった。左側を男がきていた。右側から女がきていた。おれは真ん中か。

 もどった。ガード下で待った。男につづいた女が、顔をこっちにむけた。うえっ。

 環七の歩道橋をあがろうと思っていた。男がきていた。28くらい。私を見つづけたのち、先に歩道橋をのぼりだした。私はこんな男から見られないところにいて、男がむこうへいってしまうのを待った。

 まいばすけっと高円寺駅北店で食料を買う。レジの店員は女子大生ふうであり、持参したレジ袋ふたつに反応した。

「どのように分けますか」

 答えようがないので、こういった。

「ふつうでいいです」

 途中のどこかでペットボトルの飲料を飲み干すつもりでいた。とりだそうとするとき、それがレジ袋の底で横倒しになっているのがわかった。とりだすのに難儀した。こんな入れ方って、ありか。

 帰宅。日々摂取必須の牛乳500ミリリットルも横になっていた。「ふつう」への応対がそれだった。

「もちろん、わたしは、あの子の失敗を償ってやるのに役だつとあれば、だましたり、嘘を言ったり、ぺてんにかけたり、その他ありとあらゆる悪いことを平気でやってのけます。」(フランツ・カフカ『城』)

●杉並学院男子生徒の場合。

1378.2024年9/12 杉並学院の正門前をいく。下校時である。男子高校生ふたりがでてきた。うっ。そのうちのひとりが私を見てそうやった。目がぎょろっとしていた。茶髪ふう。ヘアスタイルは美容院でカットしてもらったようにみえ、きのうごほごほっとやった帝京平成大か明治大の学生のものと似ていた。両人とも一様性をこととする独裁国家の手先にみえた。閉域では多様性は蹴散らされる。

 初発のバス停にいた。中杉通りにとまったタクシーの運転手は、上体を乗りだして窓に顔をむけ、私を見つづけた。55くらい。まるで水槽のなかの生物をのぞきこむかのようにみえた。

 いったいどっちが水槽内にいるんだ。

 乗りこんだ女68くらいは、私の左耳のところでぱちっと財布をしめた。うえっ。よくやるよなあ。

 ベビーカーの女がきていた。30くらい。若干間を詰めてきている。ごほごほっ。女がわざとやった。やりかえした。

 改札をでようとしていると、ごほっと男がうしろのほうで口を鳴らした。25くらい。この機を狙いすましていたのにちがいない。まただ。

「野心や功名心は、お城では仕事のなかに満足を求めます。そうなると、仕事のほうが優位に立つようになりますから、野心のほうは、すっかり消えてしまいます。子供じみた願望が入りこむ余地なんかないのです。」(フランツ・カフカ『城』)

●青空駐車場。

1377.2024年9/30 十字路を突っきった。ごほっ。思いっきりの口鳴らしがした。左ななめうしろである。23くらいの男が下をむいてきているのが、角の青空駐車場越しにみえた。まただ。居酒屋店員か。そんなわざとの口鳴らし音がなければ、顕界[げんかい]にそんな男がいることに気づいてもいなかっただろう。

 初発電車を待った。となりのホームに、これも初発の、行き先のちがう電車がとまっていた。すわっている女22くらいが、私の存在に気づき、スマホ目八分をとった。28くらいの男が、すいているというのにこの女からひとつおいたところにすわった。そこを狙ったのである。

 うっ。そんな口中音をたてつつ男が近づいてきた。50くらい。私の目の前で、連結部への引き戸をあける。意識過剰だ。

 とあるマンションの敷地内にいた。出入口の先、廂の下である。ごほごほっ。わざとらしい咳の音がした。犬の散歩女がこっちに顔をむけてそうやったとわかった。48くらい。不意打ちは、この日二度目である。やりかえした。歩道にでようとすると、女は目をむけて私を見た。ばかか。去っていく女の背中に、もう一度やりかえした。

 高層ビルの敷地内をいく。近道だからである。犬の散歩の女がこっちに体をむけた。18くらい。まただ。

 女が十字路を曲がってうしろにきた。20くらい。まいばすけっとにいくとか何とか、ケータイで話している。ごほごほっ。そうやった。二人の男が、まいばすけっとの明るい出入口に体をむけてガードレールに腰をおとしているから、牽制の意図でそうやったとみえた。

 車内がすいてきた。これは、あぶない。

 犬の散歩男がいた。35くらい。黒っぽい大型犬である。男はリードを手に脇目もふらず、わざと伏し目で、道の真ん中をきた。またこの男だ。傲岸さを押し立てた。何様?

 P.D.ジェイムズの『策謀と欲望』にこんな会話があった。――人とつき合うより一人でいる方が心安らかでいられる幸せな人たちがいますけど、そういう方だったんでしょうね。そういう自足なさった方の生活に割り込んでゆくのは、とても厚かましい気がいたします。あるいはあなたもそういうタイプなのかもしれませんね。

 あの犬の散歩男や、あの咳真似女、あのストーカー根性だけで動く冷血女のことが思いうかぶ。厚かましいやつらである。

●教会通りの靴店の女。

1376.2011年5/21 もうすこしいくと教会通りを出はずれる。そのあたりに靴店がある。そこに入っていこうとした。時間がまだあったからである。

 通路に女がいた。そこは避け、手前にあるもうひとつの通路へとまわりこんだ。ずんずん奥へと歩いた。買いたいと思うウォーキングシューズが奥にあると知っていたからである。通路の途中の切れ目で、その女が顔をだした。先のほうにいる男の子にむかって「□□、帰るよーっ」と、大きな声でいった。

 それは私を警戒しての、聞こえよがしのものだった。たちのわるさに色付けされていた。

 女はちいさな子を野放しにしておいた。陳列棚の靴を見つつ誰か入ってくるかと気にして、私を恰好の標的としたわけである。この間の心理過程の委細について、女はつゆ分析をしていないにちがいなかった。赤の他人を蹴散らし、自分を守った。こういう女が買う気で店内にいることはない。

●ドコモと帝京平成大か明治大の学生。

1375.2024年9/11 交通警備員の男がいた。首を90度まわし、歩いてくる私を見つづけた。

 ドコモの前に横断歩道がある。そこを渡って、中野駅北口へと歩く。右端をとった。ごほごほっ。まったくわざとの咳真似がきこえた。学生らしき三人の男が、並んで左をきていた。そのうちのひとりがやった。ちかくの帝京平成大か明治大か。私がドコモのところからきているのを見ていたのにちがいない。おのれの事に集中できず、目につく他人にかかわる。まただ。このあと、この男は、うしろにまわった私を何度もふりかえって見ていた。わざと咳真似をしたことを明証化する行為をみせた。まだらの薄茶の染め髪はマッシュルームふう、お金をかけて美容院で切ったのだろう。普遍の世界への回路をもたないthe日本人であり、その親もそういうものであり、この男は純粋培養されたというわけである。

 セブンイレブンでSuicaのチャージをしようと、レジ前を歩いた。ごほっ。うしろからきている女がそうやった。19くらい。女はレジの並びの奥へいく。そこは洗面所である。

 角に男がおり、45くらい、こっちに体をむけてジュースを飲んでいる。この男に見られつづけまいと足先をかえ、道を渡ろうとした。ごほごほっ。道のむこうからきている別の男がそうやった。私がまっすぐむかってくることを予想し、これを嫌ったのである。

 真ん前に白杖の老婆が、その横に介助者の女45くらいがすわった。介助者は顔をあげて、こっちを見つづけている。

 十字路のむこうから自転車の女がきていた。35くらい。茶色いレンズのメガネ。顔を90度そむけていたのは、私を見ていたことの明証化である。それで私は右手をかざし、こんな女を見ないようにした。自転車は私の右をいくのかと思いきや、目の前にきた。あくまで近づいてきて、左へと横切った。またこんなのがいた。

 優先席の通路で吊り革につかまった。右にいる男25くらいは体をこちらにむけ、スマホを見つつも私の顔を見ていた。

 ホーム上に女がいた。45くらい。ふだん着ではない。ホームドアの前に立って、体を20度、顔をさらに10度ずらしその右目を、歩いてくる私にむけつづけた。私がその目を見て、いったん切り、ふたたび見たとき、まだ私を見ていた。ずっと私を見つづけていた。精神空洞のばかだ。あの帝京平成大の学生と同じ地平にいる。

 改札口ちかくに二人組の男がいた。ともに欧米系外国人にみえた。このふたりは私がきていることを、わかっていても気にもしていないふうだった。その目を私にむけることはなかった。the日本人のありようとは根底からちがっていた。

 小橋に制服の女子高生がいるのがみえた。何をしているのだろう。

 いつものように小橋の手前で、車通りの信号が青になりそうなのを待った。時がきて歩きだす。と、当の女子高生がまっすぐむかってきた。私は右手をかざす。川沿いの道の安全をたしかめつつ小橋へむかった。

 両ドア空間の左むこうに女がいる。25くらい。顔をあげ、私を気にしている。

 うぜえ。席を立つ。となりの車両で、すわれた。

 フランツ・カフカの『城』に、こうある。「お役人たちは、非常に高い教養を身につけていますが、まったく一面的なのです。自分の専門分野のことだと、ひと言聞いただけですぐさま全体を見ぬくのです」と。かれらにとって、かんばしからぬ噂すなわち獲物のにおいが「三度の食事よりも好きでたまらない」。

●メイプル超合金。

1374.2024年9/9 工事中の緑道をいく。狭いところを通るとき、折しも工事エリアに入った作業員23くらいは、体を私にむけた。うえっ。

 阿佐ヶ谷一番街において、左側に車がとまっていた。それで右をいく。前方左から男がきていた。68くらい。私にまっすぐむかってくる。それで車の前で左へいくと、この男は切り返すように足先を私にむけた。からっぽである。またいた。

 ごほっ。男がうしろからきてそうやった。やりかえした。ごほごほっ。またやった。やりかえした。

 中杉通りから阿佐ヶ谷パールセンターへの連絡路をとった。サンジェルマンの脇である。同センターをきている女が、首をめぐらし私を見た。30くらい。ついで、男、68くらいもそうやった。私は目をあわせないようにした。

 ニューデイズでSuicaのチャージをしようとすると、店員男性がいった。券売機のほうが速いんで、と。私はうるさがられた。それはそうだよなあ。レシートをもらって、その残高を見たいばかりに駅ナカの同店を利用してきた。次はセブンイレブンだな。

 口笛がきこえた。通路を二人連れがくる。ともに19くらい。すわっている私を見ながら連結部にむかってくる。目の前を通った。どこまで生きても俗世間の人でしかなさそうにみえた。

 中野駅ホームにいた。線路のむこうにいる女子高生が、私に目をあて、ねめつけるように私をとらえた。

 場所をかえることにした。

 片側二車線の車通りに横断歩道がある。信号の色にしたがって渡りおえたとき、同じく渡りおえた女ふたりが子犬の散歩中だとこのときわかった。このふたりに近づかないように反対方向へいく。もどると、信号待ちの男がいた。50くらい。散歩中の女らが、バス停のほうへいったのかと思いきや小橋にきた。私はふたたび背をむけた。さっきよりも時間をとってもどろうとふりむくと、あの男が体をこっちにぴたっとむけて私を見つづけているのが目に入った。またこんなやつがいた。右手をかざして視界をせばめた。男は小橋に入りこんだ。そこを渡っていく私に背中をむけて、どぶのような川面を見ている。なんのためにそんなところにいるのだろう。

 すわれた。けれどもドア脇に男がいる。体をこっちにむけて、私を視野にいれている。

 ごほっ。真ん前の男がわざと咳をした。27くらい。顎鬚をはやしている。髪はぼさぼさである。

 改札をでた。右をとった。すぐそこに男がいた。赤い派手な服を着た男が、建物を背にしている。金髪。背が高い。メイプル超合金。カズレーザーだ。だれかを待っているふうで、スマホを見つつ、通りがかる人を気にもしていないふうだった。さっすが。

 まいばすけっと中野三丁目店に男がいた。35くらい。棚にたいして体を45度にし、ちかくにきた私を目にいれた。そのうえ、私が何をとるのかを見た。体をむけて人を見ることを、恥ずかしいとも何とも思わないらしかった。俗間のthe日本人そのものだった。

 70くらいの男がいた。上体を買い物カートに折り曲げて、スマホを見ている。じゃまなところにいる。食パンをとろうとする私を見て、カートをすこしばかりひいた。それでもこの男は左肩をパン棚にむけているのだから、依然としてじゃまなのであり、この無神経さといったらなかった。

「これまでお話しくださったことは、ここの村の人たちの無思慮な小心さ、隣人の不幸を喜ぶ意地わるさ、あてにできない友情など、要するに、どこの土地でもお目にかかれることにすぎません。」(フランツ・カフカ『城』)

●児玉さんとラジオと。

1373.2011年5/18 児玉清が昨日77才で亡くなった。胃がんであった。俳優にして、近年は書評家として名が売れていた。

 彼はここ八年間、ニッポン放送のテレフォン人生相談のパーソナリティをつとめていた。四十数年の歴史のある番組である。起用のきっかけは〈ラジオチャリティーミュージックソン〉でメインパーソナリティをつとめたことにあった。その司会ぶり、人生経験の深さに番組関係者が、児玉さんにぜひともと、たっての出演依頼をした。彼はことわった。自分は誇れるような人生の軌跡を残してきていない、と。だが、ラジオ作りにたずさわる人たちの熱意は、十二分にうけとっていた。熱意にほだされ、依頼に応じる。もっとも条件があった。ギャランティーの話は一切しないでほしいというものであった。そのときの彼は自身のマネージャーであった娘さんを、胃がんで亡くしていた身であり、自分でマネージャーも兼ねていた。

 児玉は娘の死のことを、公的な場で語らなかった。そんな彼が一度だけ口にしたことがある。ニッポン放送のうえちゃん、上柳昌彦の番組にでたときである。思わず語りだした。娘の供養にもなる、と。合間のコマーシャルのとき、児玉の目からもうえちゃんの目からも大粒の涙がこぼれ落ちた。ふたりは、かたい握手をかわした。

 翌日、児玉のところにマスコミが押し寄せた。だが、児玉はすべての取材を固辞した。ごめんなさい、と。

5/20 作家の山本一力は、児玉清と仕事を通じて五年余り交流があった。文芸評論家の縄田一男を含めての三人で、鼎談形式で、もっぱら朝日新聞の社屋で会っていた。ある日、児玉がふいにいった。

「孫が来るんですよ」

 山本はそのとき、児玉の発言の真意がわからなかった。お母さんがいないんですよ、と児玉がつづけ、山本は児玉が鍾愛の娘に先立たれていることを知るにおよんだ。

 児玉は晩年、口髭をはやしていた。長きにわたって司会をつとめる〈パネルクイズアタック25〉で、私はそれを見て、快を覚えなかった。だが、これにも裏の意図があった。口髭に孫が喜ぶというから彼はそうしていた。

●中島みゆきの“杏村から”。

1372.2024年9/26 列が長い。U字に人がいる。まわりこんで最後尾についた。ごほっ。真ん前の女がそうやった。19くらい。バスがきたとき、うしろの女子高生は私のあとに続かなかった。立ちどまって私がまわりこんでもどってくるのを待った。私を見ていたのである。

 予定にそって次のバスを待った。すぐにきた。横にいる女25くらいは私に体と顔をむけ、ドアがあくまでそうやっていた。

 ううっ、ううっ。後方にすわっている女が何度もそうやった。50くらい。終点ですぐには席を立たず、私が先におりるのをうかがうばかりだった。

 19くらいの男が45くらいの女のうしろをきていた。私と女とのあいだに割りこむつもりとみえた。私は脇の駐輪場に入りこんだ。やっぱり男は女を抜かした。

 駅の階段をつかった。人が多いので避けていると、男が目の前を横切っていきざま、ちっと口で音をたて、人を愚弄した。60くらい。

 バス停に並ぶ。うしろに女がきた。25くらい。並ぶでもなく、二メートル離れたそこからじーっとこっちを見ていた。そのあとどこかへいってしまった。もどってくるとき、横目で私を見つづけた。

 まいばすけっと高円寺大和陸橋店に23くらいの男がいた。私に顔をむけ、私を見た。うえっ。

 レジ順番待ちの女の次につく。22くらい。この女は首をまわし、うしろの私を見にかかった。もとより私はこんな女に体も目もむけていなかった。

 環七の歩道をいく。とろとろ歩くカップルを抜かした。

 セブンイレブンに入った。ドーナツなどが用意されるのを、レジ前で待った。ななめうしろに女がきた。20くらい。やたら近づいてきている。棚にたいして45度になって私を視野にいれている。女の性を押したて、私をからかっているとみえた。案の定だった。もうひとつのレジで会計をおえた男とならんででていく。私が抜き去ったカップルだった。

 お店で揚げたカスタードドーナツを食べる。きょうで二回目である。味は?やっぱりアメリカンドックの味だよね。うへっ。

 渡辺満里奈MUSIC10を聴く。木曜はこの人がパーソナリティである。メタボリック何々というラジオネームの人からのメールを読んだ。こういうものである。

 中島みゆきが深夜のオールナイトニッポンをやっていたとき、毎回最後にリスナーからの葉書きが読まれる。ある女性はブスといわれ、鼻をつまむ仕草を見せつけられていた。そんな彼女に中島はしんみりといった。醜いのはあなたではない、あなたをいじめたほうです、と。その言葉が忘れられない云々。

 中島みゆきの“杏村[あんずむら]から”が流れた。・・・杏村から便りが届く。きのうお前の誕生日だったよと。

 それはB面コレクションの一曲である。

「もっと美しい髪の毛を想像することができたということでさえも、彼女が実際にもっていたものにくらべたら、取るにも足りないことだよ。こういうつまらぬ欠点をとやかく言う人があったら、もっとりっぱなものにたいする理解力に欠けているということをみずから証明したことになるだけだ。」(フランツ・カフカ『城』)

●グルメシティの女。

1371.2011年5/22 店内で私を追い越していく女がいた。ジーンズの腰つき、長く垂らされた髪からして、運動をやりつけている風情にはみえなかった。

 レジにつく。この女は私のあとにつづいた。私が精算のお金をだすのに手間どっていると、どんどん近づいてきた。それも私と向きあう体勢だった。窓際の詰め台で、買ったものをレジ袋に入れようとするとき、この女が私の近くにきた。ほどもなく、私と女とのあいだに男が入ってきた。この女の男が、私への警戒心もあらわに割りこんだというわけだった。

 はなから、そんな女に興味などもっていなかった。胸くそわるいものを感じた。男の、ついで女のうしろを通って、遠くへと移った。

 女は私に目をつけ、初めあのジーンズの尻をみせて私をからかったのである。たちのわるい女とは、こういう女をいう。日頃何もしていない。

 こんな女にくっつく男も男である。この男は女に負けず劣らず品性醜陋である。

●生活音。

1370.2024年9/7 からんからん、からーんっ。男が浴槽の蓋を思いっきりしめたか、風呂桶をタイルにぶつけた。こっちが帰ってきたと鍵の音でわかったからである。またやった。とまらない。

9/10 ドアのあいた音がした。ごみ出しだ。その女は、ただのばかだ。

 灯りを消したら、ごほっごほっと細道で男が咳真似をした。あいつだ。また外にでている。

 外にでた。流し許の水の音がする。もどった。あいつが待ちかまえている。

9/11 ある41才の女性は離婚して中学生の娘と暮らしていると、自分ではそういった。悪夢を見る。

 弁護士の野島梨恵は次のようにいった。――自分も悪夢を見ることがあった。こんなに幸福なのになんでそういう夢を見るのだろうと不可思議だった。

 幸福、何、それ。家族?職業?傲慢か。世界の相対性に気づいていない。

9/14 ドアをあけた。かーん。また音をたてた。「かーん」といってやると、かーんとまたやった。心田索漠。他人とかかわることだけで生きている。女ストーカー根性まるだし。

9/19 がらっ、がらっ。お茶碗の音がした。こっちがでることを予想してのことだろう。

 その流し許で水の音がする。何かやりつつ、私がでてくるのを待ち構えている。

 思いあたるのは、何かのはずみで櫛を床に落として音をたてたことである。こんなことへの報復なのだろう。生活音に反応しているのは、ほかにすることがないからだ。

●セブンイレブンの、お店で揚げたドーナツ。

1369.2024年9/15 何日か前、ローソンにゴミを捨てようというとき、そこに男がいた。30くらい。じゃまくさくスマホを見ていた。どいてくれないかなあ。そう思いつつ近づく。どかない。

――すいませーん。

 小声でいうと、はい、はーいといって少し動いた。ゴミ箱にゴミをいれやすくした。いいやつじゃん。

 きょうドアがノックされた。名前が呼ばれる。それはプレートようのものでわかる。だれだかわからない相手にはでないことにしていた。

 ハンディのぴっぽっぱという音がきこえた。小荷物の配達だ。不在通知表が差しこまれ、靴の上に落ちた。

 こっちからドアをノックし、相手をひきとめた。服を着るのに時間がかかった。JPの男は待たされても、ごほっと嫌味な口鳴らしをするようなまねはしなかった。前回の同社配達人とはちがった。

 大久保通りから環七へ入った。歩道橋を渡って交差点で右をとった。

 ごほっ。

 ななめうしろのほうから咳真似の音がとんできた。私の姿を目で追いかけている男がいるというわけだ。ふりむいて、やりかえした。だが、その男、おそらく30くらいがどこにいるのか皆目わからなかった。そこのランドリーに引っこんだのかもしれない。

 カープ監督の新井貴浩がガラケーをつかっていることを知る。ヤクルトの高津氏もタイガースの岡田氏もスマホである。「ライン、やってないの?」と岡田氏が訊いていた。

 新井氏は体の固さを練習で克服して二千本安打を打ったのであり、何ごとであれ一途なのにちがいない。目移りしない。

 阿佐ヶ谷パールセンターのサンドラッグに入った。むろん、購買目的があった。レジがふたつあいており、それぞれに客の女がいた。遠いほうの女は24くらい、黒の、ノースリーブ、ムームーふうのぼてっとしたものを着ている。顔をこっちにむけ、私を見定めようとした。こういうことを私は重々予想しており、始終別方向に顔をむけていた。

 手前のほうの女、33くらいも同じことをした。どちらの女も形而上性なくして、抽象性にとりすがって生きているとみえた。

 買ったものをナップザックにいれるために、別の通路に入ろうと思った。ごほっ。商店街を女ときている男28くらいが、私の目の前ちかくでそうやった。私がでてくると思ったのである。単純なやつがまたいた。

 通路に女がいた。30くらい。私がいるとわかると、どんどん近づいてきた。まただ。

 Suicaのチャージをどこでするか。駅ナカのニューデイズでは嫌がられる。券売機でやってほしいといわれている。それでセブンイレブンに入った。レジはひとつだけあき、カップルがいた。その男22くらいは体を60度ずらし、棚の商品の隙間からこっちの通路にいる私をうかがっていた。時間がかかっていた。中南米系の外国人女性店員がレジ横のガラスケースから、店で揚げたドーナツをとりだしている。カップルがそれを頼んだのである。私はその男の視線の外にでた。

 話題のドーナツはこの前、ためしにカスタードを買ったけれど、生地はアメリカンドックの味と同じだった。あれれ。

 まいばすけっと高円寺駅北店に入った。奥の牛乳のあるところに男がいた。23くらい。店内カゴをもっていない。スマホを見ている。そのために入店したのか。

 別の男、22くらいも、店内カゴをもたずパン棚のところにいてスマホを見ていた。私がしゃがんで食パンをとるとき、体をぴたりと私にむけていた。スマホカモフラージュで私を見下ろすことに余念なしというふうだった。うえっ。

「中傷なんて、かなり無邪気な、とどのつまりは無力な防衛手段さ。」(フランツ・カフカ『城』)

●エトアール通りの女。

1368.2024年9/8 ふとした拍子にふりむいて、日傘の女がきているとわかった。25くらい。うしろから見られつづける。これを避けて緑道へむかった。この緑道を高円寺通りまでいくつもりだったが、二三人の男女がかたまっており、女が体をこっちにむけつづけているのがみえた。

 さっきまでの道へもどることにした。右を見ると、あの日傘の女が縁をまぶたまでおろして、日傘で顔を隠さんばかりにきていた。逸早く、ぬかりなく私を見とがめたという次第である。

 早足で歩いた。十字路に女がいた。23くらい。私がきているとわかると、道に体をむけこっちを見つづけた。

 もどった。それでエトアール通りをいくことになった。カップルがきていた。女は多少着飾っている。口元を両手でおおう。ごほっ。まただ。

 やりかえした。この女の男とすれちがったあと、もう一度女にやりかえした。その女の心内に、どんな花が咲いているのだろう。野花の咲きほこる肥沃な土壌をもてていないのにちがいない。

 杉並学院の正門近くに、高1くらいの女子生徒が立っていた。初め正門をむいていた。だが私がきているとわかると、背丈よりも高くパイプを組みあわせたキャスターようのものに身を隠した。目の端で私を追いつづけた。そのいやらしさといったらなかった。

 いったい何のためにそこにいるのだろう。ぶつぶついってやると、顔をこっちにまわして目で私を追った。

 こんな女子高生から逃れようと、JR高架下に入った。中年の女がふたり、べちゃくちゃしゃべりつつとろとろ歩いていた。うゃあー、またストレスだあ。

 ガード下をくぐる道で左に曲がった。緑道をめざせばいい。歩いていく。そっちからも三十代らしきふたりの女が並んできている。だめだこりゃ。

 ガード下で待つことにした。そろそろいいかと思い、杉並学院の西側へいこうとすると、ごほっとまたも口鳴らしがした。男女がきていた。35くらいの男が女と話すことなく私をまじまじと見ている。やりかえした。

 ビルから阿佐ヶ谷パールセンターへでようとした。人通りのようすを見るともなく見て、人の多さに背をむけた。ごほっ。まただ。ふりむくと、通りがかっている男45くらいが、こっちに60度顔をむけて私をうかがっていた。うえっ。

 馬橋通りを男がきていた。65くらい。首をめぐらし、同通りへつながる道をいく私を見つづけた。

 まいばすけっと高円寺駅北店がすぐそこというとき、外国人男性がいた。歩くでも止まるのでもないとみえた。この人をよけると、彼は「Sorry」といった。日本人ならうっと口鳴らしをしたにちがいない。

 JR高架沿いの道は人が多い。だから裏道をとった。男がきていた。60くらい。すれちがおうとするとき、うっと口を鳴らした。まただ。

 女が曲がりこんできた。立ちどまった。22くらい。私が右へいこうとしているのだから、私から見て左をとればいい。だが女はすぐには動かない。人を見ることにとらわれたthe日本人である。これから出勤する風俗嬢にみえた。

「わたしたちを軽蔑しない人があるでしょうか。わたしたちを軽蔑しようと決心するなり、それでもうごりっぱな人たちの仲間に入れてもらえるのですもの。」(フランツ・カフカ『城』)

●孫の不登校。

1367.2024年9/16 ある73才の女性に、女の子の孫がいる。小6である。その子の不登校を気に病んでいる。父と母は別居しており、その前後から不登校になった。

 夫の土地に婿が家を建てた。となりである。娘は婿たる夫をちかくに住まわせたくなかった。

 マドモアゼル・愛氏はこんなことをいった。不登校の子がいちばんやさしい。その子が家庭の問題を劇的にあらわしている。お父さんがきらいだというのは、ちいさな社会の思惑を見ての発言である。

 加藤諦三はいった。不登校の子がいなくなったら自分たちの不満のもっていく場がなくなる。孫は被害者なのに加害者にされている。この子が心理的な掃きだめになっている。まわりの病理がこの子にあらわれている。

 自分が喜びにみちているときだけ、人は人のために生きられる。シーベリ。

●黒川何々女史。

1366.2024年9/20 この朝、アメリカ大リーグで大谷が三打席連続のホームランを打った。今シーズン51本となり、加えて盗塁も51個にふえた。このニュース速報をうけて、NHKR1のパーソナリティー、黒川何々女史はこんなことをいった。――すばらしい。お母さんはどんなお気持ちなんでしょう。わたしも母なんで。

 母になりたくてなれない人への逆撫で発言である。同時に、自身を母という枠にいれ、母という鋼鉄の甲羅を身にまとった。この人は自身の臨界を突破できない。

「時は縮まっている。今からは妻のある者はないもののように、泣く者は泣かないもののように、喜ぶ者は喜ばないもののように、買う者は持たないもののように、世と交渉のある者は、それに深入りしないようにすべきである。なぜなら、この世の有様は過ぎ去るからである。」(「コリント人への第一の手紙」7.29-31)

「わたしたちは、何者かであることを捨て去らねばならない。それこそが、わたしたちにとってただひとつの善である。」(シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』)

「愚かな凡夫どもは、真実には実在しないわれ(自己)について<われ(自己)>であると妄想分別して、苦、楽や通達の智慧を[考えている]。かれらは、これらすべてが真実に存在するとみなしている。」(中村元『龍樹』)

●パチンコ店のソファー。

1365.2024年9/6 杉十小プールの券売機に人がいる。父と子。33くらいと、5才くらいの男児。ずっと操作をしている。ようやくふたりが、脱水機のほうへいく。泳ぎおわっていたのである。

 貴重品ボックスをつかっていると、その男は体を私にむけつづけていた。the日本人がまたいた。

 青梅街道へむかう。女が買い物カートをひいている。68くらい。そのうしろをいくことになった。女は顔を横にむけ、私をうかがった。

 植込みの左にでた。こんな女を、植込みをあいだにぬかしていく。女は立ちどまって私を見つづけた。

 青梅街道をいく。歩道のまんなかを男がきている。25くらい。耳にイヤホンでありスマホを手にしている。顔を90度そむけて口笛を吹きだした。またこんなのがいた。

 はすむこうに人がいる。女?男?隙あらばというように、私をうかがっている。

 真ん前に黒人がきた。その人からひとつおいたとなりである。その人は顔をあげつづけている。黒人をうかがっている。

 パチンコ店のソファーにいて、テレビを見ていた。ごほっ。となりの男がそうやった。65くらい。ばかだ。これを書いていると、こっちを見ていた。うえっ。

 背中に虫がいそうで、かゆい。ソファーから立って二階へいく。下をのぞいた。その男はもういなかた。人を利用してそこにいたのであり、ひとりではいられないのである。個我ゼロ男がまたいた。

 ごほっ。自転車の男が歩道をきつつそうやった。48くらい。ピンクのポロシャツを着ていた。やりかえした。もう一度やりかえすと、男は私に顔をむけた。弱い頭のなかが分散するばかりにみえた。

 ひとつおいたむこう、連結部寄りに男がいる。70くらい。首をめぐらし、私を見た。まただ。ぱちっと音たててスマホをしまった。またこっちを見た。ペットボトルの水を飲む。あはあーっ。あくびだ。この男の真ん前があくと、男はそこに移った。なにせ落ち着かない。はすむかいのそこから私を見ている。あほだ。

 その男がいたところに別の男がきた。足を組んでスマホであり、るるるっと鼻水を音たててすすった。運動靴の靴底を、まともにこっちにむけている。

 この足組みスマホ男は、スマホ目八分でこっちをうかがう。るるっるるっと何度も鼻をすすった。体を30度こっちにむけている。ずーっとそうやっている。よくやれるよなあ。介護職員か。

 左すじむこう、長椅子の端からふたつめにいる男が、顔をこっちにむけている。23くらい。うえっ。こういうのって、とまらないんだな。

 終点中野に着くとき、右はすむこう、一刻さえも落ち着かなかった男が席を立って、連結部のドアのむこうへいく。私を意識したうえでの行動である。

 桃園通りを歩いた。女が道の反対側をきている。顔をあげて私を眺めつづけている。結句、むかってきた。

 女のいたほうへ動いた。

――むかってきたぁ。

 いってやった。女は私に顔をむけた。形而下的にして即物的、そんな女にしかみえなかった。昼間青梅街道にいた口笛男と、あらわれ方はちがえど同類である。

「あんた[オルガ。姉]は、アマーリア[年下の妹]を愛しているので、すべての女たちよりも高いところに彼女を祭りあげたい。ところが、アマーリア自身のなかにそうしてやるに十分なほどの美点が見つからないものだから、やむなく、ほかの女たちをけなすという手をお使いにならざるをえないのです。」(フランツ・カフカ『城』)

●もっちり食パン。

1364.2024年9/5 行人の目につくところに女がいた。23くらい。スマホを見ながら立ちどまっている。私はこの女に見られたにちがいなく、その前を右へいく。

 まっすぐいった。気がかわってもどった。遠くであの女が元いたところへ動くのがみえた。してみると、女は小道にでて私をずーっと見つづけていたのである。からっぽthe日本人がまたいた。

 阿佐ヶ谷ビーンズは駅ナカ商店街である。中杉通り側からそこに入ろうとするとき、でてきた女がいた。22くらい。横断歩道の信号の色を見て駆けだすや、ごほっと口を鳴らして私の顔の横を通りぬけた。まただ。やりかえした。

 駅前のバス停にいた。すぐうしろの女は50くらい、私が目を離すと私を見ていた。この繰りかえしだった。うえっ。

 ごほごほっ。信号でとまっている車のなかから女が口を鳴らした。

 女が歩道の真ん中をくる。58くらい。ごほっとやった。譲ろうだなんて思っていないとみえた。

 駅二階の改札へむかった。うっ。すれちがうカップルの男22くらいがそうやった。

 駅のホーム上にて、これを書いていた。男がむかってきた。25くらい。しかも階段のある左からではなく、右からである。私を狙ってきたのである。

 中野行きのバスのでるほうへいく。時刻表を見ていると前方から女がきた。40くらい。この女は私の目の前で立ちどまり、首をまわして時刻表をのぞきこんだ。やらずもがなのことをしているとみえた。わざわざそうやったのである。

 待つことをあきらめた。もどろうとふりむく。その女が三メートルも離れたところで私にぴたりと体をむけスマホに目を落としているのがみえた。この初発バス停をいつも利用しているのにちがいなかった。

 まいばすけっと高円寺大和陸橋店において、しゃがんでもっちり食パンの日付を見ていた。右むこうに女があらわれた。25くらい。体をこっちにむけ、私を見おろした。私のようすをたしかめて反転した。人を見たいだけの形而下女である。

 ローソン100に入ろうとするとき、通路に女がいた。私に体をむけてドア越しに待ち構えていた。23くらい。私はこの女のいないほうへいく。元々買うものは決めてある。それがあるところに別の女がいた。25くらい。私がきたとわかると、私が視野に入る通路でそこにあるものなんて買う気などさらさらないのに棚をむいて固まりだした。私がいなくなるまでそこを動く気はないといったさまである。

 ほしかった商品をひとつとった。レジへいく。ほどなく、女が横にきた。55くらい。あいだ五センチくらいまで接近し、買おうとしているいくつかのものをレジカウンターにおいた。せかすだけの女がまたいた。

 でていくところをこんなやつに見られたくなかった。それで、なかの通路に入りこんだ。ごほっ。最初に見た女がまだいて私の気配に口を鳴らした。購買行動をまったくとらずにそこにいた。男と待ちあわせでもしているのか。いけずうずうしいだけの排他女に、やりかえした。

 この国の大多数の人は、抽象性を身にまとっている。目に映じる他人をおおざっぱな抽象性で囲み、瞭たる行動にでる。

「ぼくを待ちうけているのは幻滅ばかりで、その幻滅をつぎつぎに最後の一滴にいたるまで飲みほさなくてはならないというような予感がするのだ。」(フランツ・カフカ『城』)

●新渡戸文化短大の女ら。

1363.2024年9/4 高円寺庚申通りにおいて女が曲がりこんできた。23くらい。日傘で首から上をかくしてすれちがった。

 角に男が立っていた。22くらい。何をしているのだろう。そこを左へ曲がった私のあとをきた。これを待っていたのである。

 ドコモの前にある横断歩道をわたった。バス停のちかくをいく。ごほっ。うしろのほうから男が口を鳴らした。まただ。

 中野通りの三叉路に近づくと、ごほっと口鳴らしがきこえた。五六人の女らが、きゃっきゃしながらJRガード下のほうからきていた。新渡戸文化短大の女らか。そのうちのひとりが、こっちへくるなといわんばかりにそうやった。もとよりそっちへいく気など、これっぱかりもなかった。

 うっ。中野ブロードウェイからでてこようとする男が、西へいく私を見てそうやった。55くらい。

 初発の電車において、すいているのに男がふたりがけすじかいにきた。75くらい。体を私にむけて飲み物を口にした。そのあと、体勢そのまま手提げカバンに手をいれている。

 席を立った。

 うとうとしていた。うっ。両ドア空間すじむこう方面の男がそうやった。眠りを妨げた。まただ。

 ふたりがけ真ん前に女がきた。22くらい。眠りかけて目をさますと、女が足を組んでスマホを見ているとわかった。定型の法則にしたがっている。

 右なななめむこうに男が立っている。30くらい。同僚らしき男とふたりでいる。吊り革につかまりつつ体をぴたりとこっちにむけている。

 真ん前に別の女がきた。35くらい。そのとなりに女68くらいがきた。この68くらいが連結部の窓ガラスに顔をむけ、ごほっとやった。わざとである。

 その女の夫らしき男70くらいが、私に体をむけて紙袋を網棚におく。このあと私の右横にすわった。ぱちっ。そんな音をさせてだしたのは、老眼鏡である。

 改札外のビルにエスカレーターがある。私の前方で、女がそこにあがろうとしていた。23くらい。右手のスマホを見つつも、左手を腰の後ろ側にあて、服がはみでていないかこれ見よがしにたしかめつづけた。髪はシュークリームのクリームのような色に染めている。どんな値札のついたものを買ったのだろうというおしゃれっぽい服を着ている。外見だけは人並み以上にととのい、心内空洞、攻撃性だらけ、こんな女がまたいた。

 いつものように脇階段へいく。

 ドア脇に男がいる。65くらい。椅子のパイプに背をあずけて、顔をこちらにむけた。その目を私の靴やズボンに這わせた。これを私に気づかれているとは思わない厚顔ぶりをみせていた。

 人がおりて席があいた。ふたりがけのドア側にすわる。やがて女が連結部の横にきた。22くらい。私にぴたりと体をむけてスマホを見ている。まただ。おりていく人がいて、この女は私の真ん前にすわった。スマホ目八分で私をうかがいつづけた。

 桃園通りの起点にセブンイレブンがある。そのむこうからワイシャツ姿の男がきていた。38くらい。私はまともにすれちがわないように賃貸マンションの敷地内すれすれをいく。すれちがいざま男は私に目をむけ、私を見た。うえっ。

 まいばすけっと中野三丁目店に、セルフレジをつかっている男がいた。50くらい。私は会計中、カゴに入れそびれたアイスをとりにいく。この男の背中側をとおってもどるとき、ぴしーっと男はマイバッグのファスナーをしめた。

「いまわたしが話しているのは、この人の独立した人格についてではありません。ちょうどいまがそうであるように、クラムの同意を得ているときのこの人について話しているのです。」(フランツ・カフカ『城』)

●娘がケータイゲームにはまった。

1362.2011年5/13 ある54才の男性は46才の妻、子供ふたりの四人家族である。長女14才がケータイのゲームにひと月140万円もかけていたことを知り、驚き、愕然とした。どんなに使っても月額4600円の契約をしており、金額の問題ではなかった。

 そんな時間があるならピアノの練習に励め。父たる彼の気持ちはそれだった。

 長女は3才のときからピアノを習い、いまも先生について個人レッスンをうけている。中学校は音楽専攻のところである。成績は一番、二番をとってくる。友だちはたくさんいる。

 ゲームをやめろと叱責した。すると次月には、明細上の金額は大幅にへった。それでも多かったので、ケータイをとりあげた。長女は夜、父や母のケータイをつかって、ゲームにのめりこんだ。それを母に打ちあけ、ことは父に伝わった。長女はあけっぴろげで、実におおらかである。

 加藤諦三はいった。「学校にも両親にも友人にも、みんなにいい顔をするのがつらくなったんです」

 妻は、ゲームくらいいいじゃないのと、寛大である。

 彼は娘に、いい音楽大学に入ってほしいと願っている。ついつい文句のひとつもいいたくなる。

 彼は会社を経営していた。だが倒産させてしまい、家をとられ、いまはアパート住まいである。こういう苦境も、娘をケータイゲームに走らせた一因になっていると彼は思う。

 大原敬子はいった。「川は抵抗があるから流れるんです。反動で流れます。人は流れるんです。生きることは、苦しくない。流れがあって生かされています」

 加藤は次のようにいった。

「あなたのなかに、私はこうであらねばならないということがあるんです。それを内的強制といいます。内的強制が自分ではなくて他人に対するプレッシャーとしてあらわれることがあります。意識のレベルでは励ましですが、無意識のレベルでは相手にプレッシャーをかけることで自分の内的強制から逃げています。

 人生、いいときもわるいときもあります。今回のことを契機に、お嬢さんとの絆はつよまるでしょう。」

 つらい現実から目を避けて走る先が依存症です。加藤はそうしめくくった。