靴を買いました。NIKEの運動靴です。運動靴といえば聞こえは格好悪いですが、これはランニングシューズというカテゴライズです。僕はファッションというものにほとんど興味を持たない人種でありますが、なぜだか靴にだけは執着があって、中でもNIKEが好みでして、時々にNIKEのオンラインショップのカタログを眺めては、そのデザインや配色というものに感心するのです。そこで見つけた気になるスニーカーやらをブックマークして、懐に余裕のある時や、グッと胸に刺さり抜けなくなったものを、治療の一環として購入したりするのです。今回購入したものは、そのカタログではランニングシューズと書かれていましたのでそう呼称しますが、ただし、僕から言わせれば、それは運動靴に他ならないのです。どうも気取ったようで、その呼び方は馴染まないのです。理由は他にもありますが、今回の記事では運動靴としてそれを捉えようとします。
その運動靴は紫を基調とした色のようで、しかしよく見てみると赤や青が鱗のように織り交ぜられているので、そう見えるだけのようです。さきほど形容した「鱗のように」というのが僕のキモらしく、僕は無自覚にこういったデザインを好むようで、気が付けば僕の身の回りにはそういった感じのデザインが転がっています。時々、あまりにも好みの靴に出会った時にスマートフォンを持って母に尋ねるのですが、その回答のほとんどが「魚みたい」で片づけられるのです。確かに僕は魚も大好きなのですが、決して「魚っぽいから」といった意見でそれを選んだことはありません。依って、この嗜好はただ一辺倒に魚に支配されているのでなくって、もっと根源的な部分でもって、その延長線上に魚があるのだと思います。
他に例を挙げるのであれば、僕は西洋建築に見られるステンドガラスや、イスラーム建築のミニアチュールのような、細かな色が、しかしそれぞれが個の境界を持ちつつも混じりあう、そういったデザインが好みなのです。中でも、サマルカンドのモスクの色などは言いようもなく好みであり、世界史の資料集で取り上げられているのを見てから、ずっとそこを訪れるのを夢みているほどです。早くお金持ちになって行きたい。
その嗜好を日々に向けるなれば、夕日を眺めるのが僕の趣味なのですが、夕日というのも細かなグラデーションなのです。あまり夕日を見ない人からすればそれは意外かもしれませんが、夕日とはよく見ればそれは、明らかに個のグラデーションであるのです。ただ一見すると茜色、と片付くその色は、実に注視すると赤、朱、青、緑、藍、紫… と、完全なるたゆたう個の集合であると言わざるを得ず、それがやはりなんとも美しいのです。更に、夕日というのは必ず同じ姿を二度と我々に晒すことはなく、常それは変化し続けるのです。仮にアポロンやヘリオス、ラーやヴィシュヌが「あの夕日になれ」と頼んだって、きっと夕日は拒絶するか、あるいは「なれない」と言うでしょう。あるいは、彼らを飽きさせぬように変化し続けるのを神々と契約したかのように、あの夕日たちは気まぐれに、しかし律義に変化し続けるのです。それが美しくって、面白くって、人々は夕日を見るんだと思います。多分、神々も我々と同じような気持ちで、同じ夕日を見ていると思います。この靴は、きっと夕日に馴染んでくれると思います。
さて、靴に話を戻しますと、この靴を購入した理由というのはそれだけでなく(別にデザインが好きすぎて衝動買いしたとか、浪費癖がまた爆発したとか、そういうのでは決して、まったく、本当に、全然違いますからね)、医者から「君は運動をした方がいい」とアドバイスを頂きましたし、僕もちょうど何か運動を、と考えていたものの、それに適した靴というのがあまりなかったので(あんなにいっぱい靴持ってるのに)、この靴を手に入れたのです。僕がこの靴を運動靴と呼称するのは、そういった背景もあるのです。だから、再度強調すると、僕はそういった背景があって、必要であったから、この靴を購入したのです。そういうことにしておいてください。給料入ってたし。
しかし果たして、僕は根っからのインドアですから、靴というものも本来ならばそこまでの必要がありません。しかし、どうしても靴だけは買ってしまうのです。それは僕の根本から来る、外へ出ろ、太陽の光を浴びろという生理的な本能から来るものなのかもしれませんが、結局、気が付けば手元にある靴というのは8足を下らないほどにコレクトしてしまっています。しかし配色や種類というのはてんでバラバラであり、その時々に使い分ける事が出来ているので、決して無駄であるということはないと考えています。僕は今、必死に言い訳をしています。
さて、それ以外では、最近読書がはかどっています。読書の秋とはよく言ったものです。僕が読む本、つまり興味というものが多岐に亘るというのは僕を知る人であるのならば既に周知の事実であるとは思いますが、ここ最近ではもっぱら三島由紀夫の「金閣寺」にハマっています。彼の文章はいい意味でくどくていいですね。より良い言葉を使うならば、彼は描写の緻密が、魔力が、執念が、どうもこれまで読んできた文人とは一線を画したものであると思いました。個人的に彼の思想にも共感するところがあり、金閣寺だけにとどまらず、どんどんと彼の著作に触れたい気がします。
他の本でいうと、僕は各文明の神話や風俗、民話に興味があるのですが、シュメールの「ギルガメシュ叙事詩」と「イナンナの冥界下り」を読了しましたので、シュメールの理解を深めることもしたいのですが、とりあえずは他の文明に目を向けようと思い、エジプト神話とケルト神話の本を新たに買いました。これはまだ懐中にないのですが、どうしても僕はこの手のものから逃れられないようです。言い換えるのならば、楽しみです(語彙喪失)。しかし、先ずは手元にある古事記の攻略を優先したく思うのですが、どうも気になるポイントが多すぎてなかなか進みません(僕は疑問点や覚えておきたいことをメモしながらこの手の本を読むので)。ああ、また積読が増えた…
そういえば、密かに、それはリハビリ程度ではありますが、学業に復帰しようと企画しているものですから、新たなモラトリアムに向けて勉強を少しずつ始めています。本来、この1年は休養の1年にするつもりでいましたが、とある心変わりを起こしましたから、これに従っています。僕の心はいつもこうなのでもう慣れた気でいましたが、なんたって振り回される僕の気にもなってほしいです。まあ、少しばかり考えることがあっての決断ですが。この時期から始めて果たして間に合うかはわかりませんが、レット・イット・ビーは僕の十八番ですから、まあなんなりと受け入れます。どんな運命でも。
陽炎は溶けて、ヒグラシは夕焼けを歓待することはなくなりました。あれだけ憎んだ夏も、過ぎればせいせいするような、少し寂しいような。次には少し冷えた風が山に朱や紅を運んで、物語は終末へと向かう季節。七二候とか二四節季とか覚えようかな。似非雅人になれるし。
あと、オススメの本とか映画とか、何でもいいので教えてください。僕の興味心は今、絶好に飢えています。
以上、駄文、駄日記でした。