著:川本三郎
出版:平凡社
゜記者という取材する側になると急に身分は完全な第三者になる。記者は取材する側という安全な立場で、悪くいえばデモを高見の見物ができる。もう警察に逮捕される心配はない。「記者」という特権でデモの現場にいて、学生と警察の衝突という決定的瞬間を‘見物’していられる。なおかつ自分はベトナム反戦でもを取材しているという両親の満足感も得られる。権力側からの特権を保障されながら、気持ちだけは反権力の側にいる。その矛盾が自分のなかでいっこうに解決されなかった゜(P59‐60)
これを本書に出てくるアメリカ人ジャーナリストのスティーヴは「センスオブギルティ」と言っていた。
この「sense of guilty」=「罪の意識」は、記者に限らず、あらゆる場面で人が直面する心理状態だと思う。
中立的な立場を貫くことを命じられたことがある人であれば、感じたことがあるだろう。
ましてや、自分の考えとは逆の立場に立って、意見を通さなくてはいけないことになった場合はさらにつらい。
記者は真実を伝えることが仕事だと言われるが、必ず主観が入る。
そして、他社と記事の内容が似ていることは、主観が取り除かれたと一種の安心感があるのだろう。
それが横並びの報道の始まりなのだろう。
そうであれば、多少は見解を織り交ぜて記事を書いた方が、sense of guiltyの意識も薄れるし、独自報道もできる。
しかし、やはり中立的な立場で報道することが記者でありたいと思うから、葛藤し続けているのだろう。
