波を作っている感じも強い。流行、、、はやり、ズボンが太くなったり細くなったり、
スカートのすそが上がったり下がったり。
むかしはすそが低かったと、見えるが、、、それでも流行の波はあっただろう。
それで世の中変化して人の暮らしに風が通る。
世間には狙われるものと狙うものが居る。まねされる者とまねをする者でもある。
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まねるが勝ち 著者 小説作家になろう
どういった練習してるんですか? どこをみがこうとしてるんですか? と聞いてみたかった。44
すこし違和感を感じた。何か隠しているそんな感じだ。
よくいるんだよね。ピアノを習っていた人とか、ブラバン、合唱団、聖歌隊、バイオリン習った人もいたな。
一番多いケースはピアノ習っていたのに習っていない、という人が多いようだ。
小学生の男の子がピアノの手付きをしながら「習ってません」、といったこともあった。
オレとしてはどんな人なのかなぁ、、、知りたい、、、のだ。
だいたいが音楽をやる人はなんとなくわかる。当然歌っているところへ近づいてくるのだから音楽に興味ある。
そんな人なんだがその中でも音楽の演奏をやってる人はなんとなく分かるのだ。
そして聞いて見ると返事はいろいろ、すごく巾のあるバラエティにあふるる答えの数々。。。
歌を聞くのはダメなのわたしは歌いたいの、と言う人もいた。 でも、、、聞かせてもらえなかったのが残念だ。
10X44 =440
残念だといったら本当に何か無念な気持ちに感付いた。。。歌は心というが心を聞かせてもらえないのだ。
と感じたのだ。ちょっとさびしい。
世界は友達のことだ。という定義があるらしい。そして、さらに双子は離れて別々に育てられても同じ性格同じ趣味
同じ収入になる。 ということだ。
音楽が遺伝で決まるのなら努力しても無駄ということになる。まあ、努力という遺伝子・才能という言い方もあるが、、、
プロの歌手ほとんど歌手はTVで歌っている記憶、ラジオから流れてきた歌声の記憶の、どちらかなんだ。
そういうプロの歌声や姿が誰にも届くのはTVができてからだろう。音楽の姿はここ100年で大きく身近になったはず、
演劇や美術、芸術の歴史はふるいが、音楽の歴史はせいぜい100ねんといったところだ。
音を再生できない時代、まねをすることが出来なかった。
演奏する、なまおと音楽を聴ける人だけ、まねをすることがでた、そんな、聞ける人だけの音楽から、
技術の進化、科学のはってによって変化して誰もがマネをすることができるようになった。100年でもある。
だから、オレもあなたも、まねをする。 そんな、、、マネをしてる人の唄声を聞きたい。
それこそそれが、消化されいちど歌になってから別のだれか一人の別な、音楽、と感じるから。
よく音楽が文字に成る時、ビジュアル系のバンドファンと書かれていることがある。それって、音痴なへたくそでカッコ
のいい、見栄えのいい演奏者の音楽。 と、いうことだ。
なにか、歌を聞かせてもらえなかった話から自分のコトバに乗ってずいぶん移動してしまったように感じる。
耳に残っている。頭のなかで鳴っている音楽と、自分のマネして歌う唄の間にはすごい隔たりがある。
それは、全然違うのにものすごく同じ唄、隣あわせにものすごく近いようでもある。 さらに、記憶の中の演奏・歌手・唄声と、 あらためて聞く歌声はずいぶん違うように感じる。 それなのに、違いの中に記憶の音楽もおもいだす。
なんか、違うことばかりなのに、真似する音楽の練習とか、バカみたいでどうでもいいかな。
唄う事は誉めてほしいだけなのか? 誉めるくらいの価値があるなら誰もほっておかない。
あの人が隠しているのは、あんた下手だよまだまだだよ、ってことばだったのか、 とか、考えた。感じた。
だったら、ますます、あの人の唄が聞きたくなった。
終り。
読んでくださってありがとうごさいます。
楽しい嬉しい豊かだな。愛してるついてる。ゆるします。しあわせ感謝しています。