うー、天命ってあるなぁ、
>>ちょこたんちょこちょこ サンのブログから、
やっと見つけたのは、メリッサ&パティのものではなく
それよりもっと古い、1962~1963年(日本公開は1963年)のもの。
だけど、書いてあったキャスト名には、パティ・デュークの文字。
ん?何だ?と手に取ると、なんとパティ・デューク・アスティンは子役スタートの女優で
しかも、その子役時代に全く同じ映画でヘレン・ケラー役を演じていたと!
歴史と云うか、時代を感じますねー・・・
ヘレンを演じた少女が、大人になってサリバン先生を演じる・・・
後々知りましたが、パティがヘレンを演じた際、ヘレン・ケラー本人に直接会ったとか。
うーん…何か凄いなー・・・
+++++++++
ちょっと、おばかな、
鏡を覗き込む、そんな感じのワクワク顔
楽しみに敏感になろう。 楽しい一日、さて、雨降りだし、 読書といこう
自分で顔を見ている。自分を見るって意欲 なんだなと、、、
ところが、さわったら映ったってときは、意識、、、意思。。。気持ちが 無い顔だ
きもちがわるい。って、気持ちが無い に、近いかも寝、、、 ねってつけるとなぜ?
言葉のカンジ、、、かわるのかな。 英語のニュアンスは、 ゆーのぉーて、よく使う
あなたしってる。 って、もちろんあなたが知っているのを、私は知っている。。。
こんなセリフで、和やかに成るのだろうか? 英語の会話は、、、 ???
こんなのもオレの顔、って、、、だいたいこんな顔であるいているんだろうなぁ、、、
+++++++
さて、そろそろ、1000字に小説がまとまって完成しそう。
まとまってきたが、どう? ヘレンケラーって小説にしていいの? そんな気持ちも、、、
書くか、かかないか、踏ん切りをつける。 ちょっとお休み。 まあ、オレの気持ち、、、
読む人が多いわけではないからね影響はオレのなかで、、、の、こと、だな。。。
++++++++
時代の主役 著者 小説作家になろう (ペンネームを引き継がせて頂きました)
0 30 42
ヘレンケラーを知っていますか?
幼児期に視覚と聴覚を失い言葉も学習できなくて、見えない聞こえない話せない、という
三重苦の女性です。 そのヘレンは世界中に知られ世界中を旅して講演してニッポンにも
、3回講演、ヘレンの訴えは盲学校の必要でした。自分のやってきたことではなかった。
そのあと日米は戦争になった。2回目の来日公演は凱旋将軍の閲兵のような歓迎に迎えられ
大成功だった。
7
戦前の日本に盲学校はなかった。
ニッポンの教育熱は実は蹴落とす身分教育。。。ではないだろうか?
学力できびしい差をつけられトコとがない。 が、学校の名前で景色羽って、声にでる人
~いたなぁ。 一度ならず。。。 その大事な学校が名前どころか盲人のための教育がない。
アメリカの力強い発展の時代にうまれたヘレンは裕福な両親と幸せな誕生のあと発熱で
日本を訪れたヘレンの訴えは盲学校の必要でした。
戦前の日本に盲学校はなかった。
ニッポンの教育熱は実は蹴落とす身分教育。。。ではないだろうか?
学力できびしい差をつけられトコとがない。 が、学校の名前で景色羽って、声にでる人
~いたなぁ。 一度ならず。。。 その大事な学校が名前どころか盲人のための教育がない。
そのあと日米は戦争になった。
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ハリウッドの見たヘレンケラーとサリバン先生
+++++
出典 >http://mangochoco.jugem.jp/?eid=285
>ちょこたんちょこちょこ
> 犬とか手作り作品とか、要は趣味ブログです
>
> 映画感想文 2012.02.19 Sunday15:06
>
ただ、ケラー家にやって来たサリバン先生が
ヘレンに自分が来た事を知らせる為に
持っていたトランクを思いっ切り床に叩き付けるシーンは
ちょっとどうかと思いましたw
玄関前で、そよそよした風に吹かれながら佇むヘレンに
サリバン先生はゆっくりと近付き、その接近に全く気付いていないヘレンの隣で
荷物を詰めたトランクを、おもっくそ床にダンッ!!!
物音ひとつしないような、静かなシーンだっただけに、その音がやたら響いて
判っていてもビックリしちゃったんでしょうねw
メリッサは明らかに、【音】に驚いていましたw
しかし、吹き替えで映画を見ると、吹き替えなしも見たくなる・・・
でも、幾ら探しても、中古でさえも見当たらない。
やっと見つけたのは、メリッサ&パティのものではなく
それよりもっと古い、1962~1963年(日本公開は1963年)のもの。
だけど、書いてあったキャスト名には、パティ・デュークの文字。
ん?何だ?と手に取ると、なんとパティ・デューク・アスティンは子役スタートの女優で
しかも、その子役時代に全く同じ映画でヘレン・ケラー役を演じていたと!
歴史と云うか、時代を感じますねー・・・
ヘレンを演じた少女が、大人になってサリバン先生を演じる・・・
後々知りましたが、パティがヘレンを演じた際、ヘレン・ケラー本人に直接会ったとか。
うーん…何か凄いなー・・・
こちらのサリバン先生は、アン・バンクロフトとか云う女優さんで
今は既に故人ですが、若い頃はなかなかの美人。
しかも、二度目の旦那さんはメル・ブルックスだとか・・・
映画でも本でも、ヘレン・ケラーの話を見聞きする際、気を付けたいのが
あれは事実半分、フィクション半分だと云う事。
ヘレンはとても聡明な子供だったようですが、耳と目が不自由だった為
両親の躾が行き届かず、かなり我儘で癇癪持ちだった…と云うのは
事実でもあり、映画などでも描かれていますが
一番の問題は、やはりクライマックスにある『WATER』を『ワーワー』と叫ぶシーン。
聾唖の方と接してみると判るのですが
生まれつき、或いは、まだ言葉を覚える赤ん坊の頃に耳が不自由になると
発声の仕方を覚えられず、声を出して話す事は困難になります。
今なら聾学校等へ行き、発声の仕方を学んだりもできますが
それでもやはり、声を出して会話する…と云うのは難しいかもしれません。
言葉を発声出来る聾唖の方は、耳が不自由でなかった時期があり
ある程度の言葉を、声として発する事が可能であったから
耳は聞こえなくなってもちゃんと話せるのです。
そう考えると、あのシーンは不自然で仕方ない。
ヘレン・ケラーが高熱の為、視力と聴力を失ったのは2歳の時。
声をあげて泣いたりはしたかもしれないけど
成長したヘレンが言葉を発声出来るかどうかってなると、かなり疑問です。
声を出していた体の記憶から発声は出来ても、言葉を知らずに育つので
『WETER』と云う単語が表すものも、【WETER】と云う言葉自体も
サリバン先生に教わるまでは知らなかったはず。
ヘレン・ケラーの伝記等には
彼女は生後間もなく、拙い言葉ながらも言葉を話す聡明な子だったとあります。
『Weter』とか『Flower』とか、その程度のものだったようですが
高熱を出すまでは、大変お喋りな子だったとか。
2歳になると幾つかの言葉を覚え、ある程度のコミュニケーションは可能になりますが
人として言葉とコミュニケーションを覚え始める大切なこの時期に
聴力と視力が失われたら、覚えた事を成長しても記憶出来ているのだろうか?
日本には『物心がつく』と云う言葉があります。
幼児期を終え、世の中や周りの事が、何となく理解出来て来る年齢の事で
子供や環境等で個人差もありますが、だいたい3歳~10歳位までには物心がつき
記憶として様々な事がインプットされますが
ヘレンはその物心がつく前に、視力と聴力を完全に失っている訳です。
サリバン先生と出会う7歳の頃には、もう物心はついていたでしょうが
代わりのそれ以前の記憶は失われているので
2歳の頃に覚えた言葉なども、恐らく覚えてはいなかったと思われるのです。
健常者が、見える事も聞こえる事も、勿論喋れる事も体が自由に動く事も
出来て当たり前だと受け入れているように
ヘレン・ケラーは見えない事も聞こえない事も
そこそこ当たり前のように受け入れていたのではなかろうか?
ただ、両親を始め、周りの人たちは喋ったりしてる訳ですから
何故自分は喋れないのかと云う疑問ともどかしさはあったでしょう。
何故自分は目が見えないのか
何故自分は耳が聞こえないのか
何故自分は言葉が喋れないのか
お父さんはどうなんだろうか
お母さんはどうなんだろうか
そんな思いも、あったと云えばあったでしょう。
これから人として成長し、大人になって行こうとする手前で
ヘレンは全ての疑問を答えにしてくれるサリバン先生と出会うのです。
サリバン先生は、ヘレンは特別な子でも何でもない
耳と目が不自由なだけの、頭の良い普通の子供。
悪いのは彼女の障害ではなく、ヘレンを特別視して
どうにも出来ないと放置していた家庭にあると
ケラー家にもヘレンにも教えて行きます。
ヘレンが【WETER】を覚えた時も、彼女の理解の仕方は
『水!これが水なのね!!これが水なのねーっ!!!ドーーーーーン!』と云う劇的なものではなく
まして、映画や本に描かれているような『ウォー!ウォー!ワー!』と云う
障害を持つ前の、『weter』を『ワーワー』(日本語で云うと「おみじゅ」みたいな?)と云っていた
幼き頃の記憶が蘇ったかのような『weter』の発声は一切なく
手のひらに注ぐ、この冷たい液体を【weter】って云うんだ…
と云う、実に静かな理解の仕方だったようです。
そこで『そうか、ものには全て名前があるんだ』と知ったヘレンは
あらゆるものを指して、サリバン先生に名前を尋ね歩き
結果、サリバン先生はその日の内に、30もの単語をヘレンの手に綴ったそうです。
『この人は何?』
『MOTHER(MAMA)』
『この人は何?』
『FATHER(PAPA)』
『これは何?』
『PUMP』
『これは何?』
『GROUND』
『これは何?』
『GLASS』
『あなたは何?』
『TEACHER』
映画では、ヘレンが全てのものに名前があると理解出来た場面で終わっていて
その後のヘレンの事は、一切描かれていません。
(あてが初めて読んだヘレン・ケラーの本も、ここがクライマックスではありませんでした)
ヘレン・ケラーはその後、サリバン先生の教育を受け
ベル博士等、様々な方面の人の力を借りて、声の出し方や発声の仕方も学び
素敵な女性へと成長して恋もしますが、結婚と云う話が出た時
両親に猛反対されて、結局婚約は解消。
障害者の為、平和と自由の為に働き、50代半ばの時に
ヘレンに半世紀もの生涯を捧げたサリバン先生が、70歳でこの世を去ります。
実はサリバン先生は、39歳の時に結婚をしています。
11歳年下のジョン・アルバート・メイシーと云う方で、ハーバード大学講師であり
ヘレンの自叙伝のエディターでもあった方でしたが、1914年頃から別居状態。
でも、1932年にジョンが亡くなるまで、正式な離婚はしなかったそうです。
年齢と疲労から、目の病気が再発し、おまけに体調を崩したサリバン先生の代わりに
ヘレンはホリー・トンプソンと云う女性を秘書にしていました。
そして、サリバン先生亡き後、ホリー・トンプソンと共に来日。
その際、横浜港の客船待合室でお財布を盗まれ
それを知った日本全国の人たちによって、ヘレン宛にお金が集められ
日本を離れる時までに集められたお金は、盗まれた金額の10倍にもなっていたとか。
日本人は何て親切で、素晴らしい人たちなんだろうと感激したヘレンは
それ以来自他ともに認める親日家になり、自宅を日本風にしたり
秋田犬を飼ったりしたそうです。
ヘレンが80歳の時に、サリバン先生の後任として尽くしてくれていたホリー・トンプソンが死去。
その翌年、自身も病に倒れ、以降は自宅に籠る日々だったとか。
そして、1968年6月1日、ヘレン・ケラーはウェストポートの自宅で、87年の生涯を閉じました。
ヘレン・ケラー女史の死を知った日本政府は、勲一等瑞宝章を彼女に贈ったそうです。
(誰が受け取ったんだろう?財団の人?)
サリバン先生とヘレン・ケラーは今、アメリカのワシントンDCにある
ワシントン大聖堂と云う大きな教会に眠っています。
機会があれば行ってみたいですね。
(飛行機が大嫌いなので、そんなチャンスは絶対ないでしょうが;)
ところで・・・・・
ヘレン・ケラーの物語には、【奇跡の人】と云うタイトルが必ずついてます。
英語では【The Miracle Worker】
現在知られているヘレンケラーの話は
ウィリアム・ギブスンとか云う劇作家が、1960年に書いた戯曲な訳で
彼はこの物語でトニー賞を受賞。
そのお陰で、【奇跡の人】は広く世に知れ渡っているのですが・・・
【奇跡の人】と聞くと、誰もが恐らくヘレン・ケラーの事だと思うでしょう。
三重苦を乗り越え(乗り越えてはないですが)、強く生きた素晴らしい女性、ヘレン・ケラー。
確かに彼女も凄い。
でも、英語のタイトル【The Miracle Worker】と云うのは
『奇跡の人』、『奇跡をもたらした人』と云う意味になります。
そうです!
【奇跡の人】って、ヘレン・ケラーの事じゃないんです。
多く存在する【奇跡の人】の映画や本等は
ヘレン・ケラーがクローズアップされているような感じにはなってますが
実はサリバン先生の物語なのですよ。
恐らく、どの映画や本を見ても、サリバン先生の登場は
ヘレンと云う、三重苦を抱えて暴れまわる、凶暴で我儘な少女の存在を強烈に印象付けた後。
ヘレンの野生っぷりに頭を悩ませた、ケラー家の人々から送られて来たヘルプレターの話を
黙って聞きているサングラスの女性。
それがサリバン先生です。
余談ですが、サリバン先生初登場シーンは2種類あり
アン・バンクロフトVer.は、ボストンへ向かう電車の車内で
アナグノス校長先生らしき恰幅のいいおじぃに激励を受けているのが初登場ですが
パティ・デューク・アスティンVer.と、2000年に公開された最新Ver.は
校長室らしき部屋でヘレンの話を聞かされているのが、サリバン先生の初登場になってます。