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Read-bibleのブログ

真理の御言葉である聖書を読みましょう。

https://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=HM7i9oaUQDQ


歌詞

時には 悩みや痛みはあるけれど
ひたすら主を見上げる あなたのたましい
どんなに美しいのでしょう
あなたを通し 大きな栄光 受けられる主
おぉ ハレルヤ!


「あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」(Ⅰぺテロ2:9)


主が貴方とともにおられ、貴方に恵みを施し、主が貴方のすることすべてを祝福される一週間になりますように心からお祈り致します。


「モーセは主に叫んだ。すると、主は彼に一本の木を示されたので、モーセはそれを水に投げ入れた。すると、水は甘くなった。その所で主は彼に、おきてと定めを授け、その所で彼を試みられた。
そして、仰せられた。『もし、あなたがあなたの神、主の声に確かに聞き従い、主が正しいと見られることを行ない、またその命令に耳を傾け、そのおきてをことごとく守るなら、わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない。わたしは主、あなたをいやす者である。』」
(出エジプト記15:25,26)


どうして病気になるのでしょうか。
それは人間の堕落が故に、神と別れているからです。それがつまり罪であり、私たちが病気にかかる原因となります。
先天的であれ後天的であれ、年齢が上であれ下であれ、悪霊のせいであれ何であれ、何れにせよ、その背景にはすべて人間の罪があるのを否定できないのです。


地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くので(創世記6:5)、神の御怒りと大洪水の裁きがありましたし(創世記7章)、大洪水の以降、人間の寿命は甚だ減ってきて(創世記5章,詩篇90:10)、現在医学がいくら発達されたとしても百歳を越えるのが難しくなっています。


今もさまざまの病気と痛みに苦しむ病人、悪霊につかれた人、てんかん持ちや、中風の者などで(マタイ4:24)、病院は門前市をなしており、どうしても病気と痛みを逃れようと必死になっていますが、現代医学で完治できる病気はごくまれな状態です。


「夕方になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れて来た。そこで、イエスはみことばをもって霊どもを追い出し、また病気の人々をみなお直しになった。
これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。』
(マタイ8:16,17)


しかし、喜ばしいお知らせがあります。それはイエス・キリストが私たちに来られたからです。その方はイザヤ書に予言されたとおり、「私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った」方なのです。


「私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現われたのか。
彼は主の前に若枝のように芽生え、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。
彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。
まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。
(イザヤ53:1ー6)


「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」(Ⅰぺテロ2:24)


その方は「病(韓国の聖書で「疾苦」)を知っていた」、即ち病気と痛みとを知っていた方で、またその病を負い、痛みを担った方であり、私たちのそむきの罪と咎を十字架の上で購われましたので、私たちに平安と治療への道、尚且つ救いと永遠のいのちへの道を開かれた救い主、キリストなのです。


人間の罪のために病気になりましたが、その罪がイエス・キリストにあって完全に解決されましたので、もはやその方を信じる人々には病気を直していただく資格が与えられました。イエス様を自分の救い主として受け入れる前までは、神と別れていた者、結局自分の罪の中で滅ぼされる運命を持つ悲惨な存在であった者が、神の子ども(ヨハネ1:12)、神の相続人(ローマ8:17)、神の民(Ⅰぺテロ2:10)、新しく造られた者(Ⅱコリント5:17)としてその地位と資格が全く変ったのです。


ハレルヤ!私たちはこの資格が与えられた者です。


しかし、ここで一つ必ず覚えさせて頂きたいことがあります。病気を直して頂くことはただ得られたことではないということです。
イエス様がご自分でその代価をお支払いになりました(ルカ10:34,35)。それは代価を払って買い取られたのです(Ⅰコリント6:20)。イエス様の限りなく尊い犠牲と血の代価が払われたものなので、私たちはこれを決して軽く考えてはなりません。


神に病気を癒されるために祈る時、私たちもまことに悔い改めて罪から立ち直るべきです。御言葉どおり、罪を離れ、義のために生きるべきです(Ⅰぺテロ2:24)。イエス様が私たちを生かそうと、ご自分の肉と血を裂いて私たちに与えられたのを忘れてはなりません(ヨハネ6:53)。病気を癒されることで、その後はイエス様の御言葉どおりに生きようとする考えを固く決めることが大事です。
それをご覧になって主が病気を直して下さるのです。それが主の御心です。


何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。
私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。」
(Ⅰヨハネ5:14,15)


本当に病気を直して頂きたいのですか。
イエス様の御心が分かりましたら、悔い改めて切に祈ることです。また祈りが始まりましたら、恐れ退かないで切に祈るべきです(ヘブル10:38)。「もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。(エレミヤ29:13)主はお約束されて下さいました!


「するとイエスは言われた。『できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。』」(マルコ9:23)


「イエスは答えて言われた。『神を信じなさい。
まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。
だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。』」
(マルコ11:22ー24)


神は、夜昼神を呼び求めている選民のために、速やかに彼らに正しい裁きをして下さる方であり(ルカ18:7,8)、そして病気を癒されることは神の子どもたちが満腹するためのパンであり(マルコ7:27)、明らかな神の御心、神のお約束なのです。恐れないで、疑わないで、確信を持ち、求め、捜し、たたくべきです(マタイ7:7)。神のお約束に対する固い信仰と確信こそ、神がお捜しになっておられることであり、義と見なされることです(ローマ4:19ー25)。その時、神の癒される御恵みが皆様にもすぐに臨まれると確信します。


私は神の御恵みで、脳性麻痺が治り、盲人や口のきけない人、耳の聞こえない人が治り、足のなえた人が治り、脳下垂体腫瘍が治り、甲状腺癌が治り、胃ガンが治り、乳癌が治り、関節炎が治り、色んな腸の疾患が治り、そのほかにもあらゆる病気や不治の病が直されたことを聞いて知っています。それがあなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからであると聖書には書かれています(ヤコブ4:2)。祈るべきです。

私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」(ローマ8:32)


「わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。
わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。」
(詩篇103:1ー5)


しかし、まだこのような信仰をお持ちにならない方、信仰の弱い方、必ず助けを求めている方々のために神は癒される道を開かれておられます。それは祈りや按手によって、またいやしの賜物によっての治療です(Ⅰコリント12:9)。


「あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。
信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。
ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。」
(ヤコブ5:14ー16)


この時にも悔い改めることは必ず要ります。お互いに悔い改め、赦し合い、愛と信仰とを回復するのは病気を癒される近道です。まことの悔い改めと罪からの立ち直りがない場合、以前の病気よりももっと深刻な病気を呼び起こすこともあります(マタイ12:43ー45)。病気を癒されることより病気を癒された後がもっと重要となる理由です。


「汚れた霊が人から出て行って、水のない地をさまよいながら休み場を捜しますが、見つかりません。
そこで、『出て来た自分の家に帰ろう。』と言って、帰って見ると、家はあいていて、掃除してきちんとかたづいていました。
そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みなはいり込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。邪悪なこの時代もまた、そういうことになるのです。」
(マタイ12:43ー45)


また、按手によって悪霊が移ってくることがありますので(Ⅱコリント11:4)、必ずこれを注意すべきです。にせ預言者がたくさん世に出て来ていますので、按手する人の背後にある霊が神からのものかどうかを、ためす必要があるのです(Ⅰヨハネ4:1)。分別がないため、自分の病気が悪化したり、死亡に至ったりすることもあります。


にせ預言者の分別については下のリンクをご参照下さい。

http://ameblo.jp/read-bible/entry-11978446557.html
http://ameblo.jp/read-bible/entry-11978571601.html


神に病気を癒されるために祈っている方々よ。
悔い改めましょう(マタイ4:17)。神に近づき、罪を捨て、心を清くしましょう(ヤコブ4:8)。
イエス様とその十字架の御恵みを求め、病気が治った後は主にだけ従うように心を決めましょう。
そんなあなたに主の尊い治癒の御恵みがすぐに臨まれるように心からお祈り致します。


「わが子よ。私のことばをよく聞け。私の言うことに耳を傾けよ。
それをあなたの目から離さず、あなたの心のうちに保て。
見いだす者には、それはいのちとなり、その全身を健やかにする。
力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」
(箴言4:20ー23)




https://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=PsSdXT08V-o


千回呼んでみたとしても
私の涙が止まらないのは
十字架のその愛
私を生かそうと
負われたその十字架
すべての水と血
私の汚れた罪を清められました
私に向くその愛
いのちを与えられ
永遠のいのちを
私に与えられたことを感謝します


千回呼んでみたとしても
私の涙が止まらないのは
十字架のその愛
私を生かそうと
神の御座を離れられ
私を愛された方
その方がイエスです


(繰り返し)


「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。」(ヨハネ5:24)