慶應文学部がBUMPと向き合ってみる。

慶應文学部がBUMPと向き合ってみる。

BUMPのこと。散歩のこと。とか。

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僕が、より深くBUMPにハマった曲のお話です。

中学生ながら衝撃を受けました。

 

心臓をえぐられるような歌詞、

不気味そうで優しい、それでいて妙に現実味のある曲調。

 

ここまでの情報でなんとなく分かる方もいますかね。

 

本日は「レム」のお話です。

えぐめな歌詞を見ていきましょう。

 

先に、レムの歌詞に関して、

かつて藤くんが語ったことを載せておきますあ。

 

「レムは、レクイエムのこと」

「殺人鬼の気持ちにならないと書けなかった」

「愛があるからこそのこの歌詞」

「他者がいると、どんな行動が愛のあるもので、どんな行動がその逆か分からなくなる。」

「最後には近づいている」

 

やはり重そうですね、、いざ。

 

狂ったふりが板について 拍手モンです 自己防衛

それ流行ってるわけ? 孤独主義 甘ったれの間で大ブレイク

 

人と関わると苦労することがたくさんあります。

失恋とか分かりやすいですね。友人と喧嘩もします。

気遣うのは疲れるし、空気を読むのも面倒です。

 

「自分は人と違う」

 

こんなことを自分に言い聞かせ、

人と関わる事から逃げる人がたくさんいます。

一人では生きていけないのに。

 

甘ったれです。

 

意味は無いとかごまかすなよ 汗まみれでよくもまぁ

爪先まで理論武装 何と張り合ってるんだか

誰と戦ってるんだか

 

意味もなく誰かが誰かを叩くことも多い時代です。

匿名だったりもします。

 

自分が叩かれたら怖いから、

違う意見の人を面白おかしく叩いてみたり。

自分と同じ意見の人と徒党を組んだり。

 

「自分の意見を述べる」のと、

「誰かの意見を否定する」では、

思ったよりも大きな差があります。

 

ただ叩くのではなく、自分なりの理論を身にまとい、

「論破」を目的とします。

 

なんのためにそんな必死になるんでしょう。

誰も攻撃なんてしてこないのに。

「汗まみれでよくもまあ」って感じです。

 

 

誰かが呟いた 「汚れてしまった」

その肩を叩いた その手も汚れてた

 

 

そういった面も含め、

「汚れてしまう」もんなんです。

小さい嘘もつくし、誰かを傷つけるし。

自分の汚れた面なんて、たくさん見えるんです。

 

その肩を叩く誰かも同様に、

汚れているもんなんです。

 

自分自身なのか、大切な誰かなのか。

 

汚れているのは自分だけではないのに、

自分だけが汚れていると思い込んでしまうと危険です。

 

与えられた餌の味 解らないけど 先ず批評

美味い・不味いの基準は 隠れて読んだ週刊誌

 

世の中の流行、風潮、

自分に降りかかったチャンス、

それらを「とりあえず」批判的な目で見る人が多くいます。

 

素直に受け入れるのではなく。

 

受け入れずとも、公平な目で見てみればいいものを。

 

しかも批判の基準にするのは、自分の意見ではなく、

誰にもバレないように見た、他の誰かの意見なんです。

 

変わったふりを見透かされて 芸術的な言い訳

わきまえた大人の顔 守るモノでもあったの

それとも既に飽きたの

 

「変わったふり」という日本語は、

2通りの捉え方ができますね。

 

「変化」したのか「もともと変」なのかです。

まあ、結果的には似たようなもんですが。

 

人と違う振舞いをして、甘ったれているのがバレると、

大抵の人は言い訳をします。

 

ただその言い訳は理論武装されたものであり、

一見すると非の打ちどころのない、芸術的な言い訳なんです。

 

外面だけ大人の対応をします。

自分らしさを守るためか、

自分らしさをぶつけるのに飽きたのか。

 

 

誰かが呟いた 「忘れてしまった」

その声が聞こえた事すら忘れたの

 

そうして自分の殻に閉じこもるうちに、

人としっかり向き合うことを忘れてしまいます。

 

「忘れてしまった」という心の声すらも、

届かないものになってしまいました。

 

 

冷めたふりがしたいなら もう少し賢くやれ

今更何を恐がる 嘘を嘘と思わずに

人を人と思わずに

 

世の中に妙に冷めたように振舞い、

そう自分にも言い聞かせます。

周りから見たら愚かなんです。

賢くやれと言われても、その声すら届きません。

 

そして皮肉めいた歌詞が出てきます。

 

もう汚れた状況で、今更何を怖がると。

多くの嘘で自分を偽ってきた、甘えてきたくせに。

人から逃げてきたくせに。

 

 

キャンバスに塗り潰した跡 そこに何を描いてたの

生まれた事を恨むのなら ちゃんと生きてからにしろ

 

もともとは夢をもっていたはずです。

キャンバスに理想や夢を描いていたはずです。

そのキャンバスも汚れています。

自分で塗りつぶしたんです。

 

どーせ叶わないと思ったのか、

人に見られるのが恥ずかしかったのか。

 

「生まれたことを恨むのなら、

ちゃんと生きてからにしろ」

 

そのまんまです。ちゃんと生きなければなりません。

 

誰かが呟いた 「気付いてしまった」

慌ててこっそり逃げた それも気付かれたぞ

 

ここまで来てやっと何かに気づきます。

「こんな自分に憧れていた」

「こんな夢を持っていた」

「人と関わらないなんて甘ったれだ」

「今の自分じゃ本当はダメなんだ」

 

慌ててこっそり現実から目を逸らします。

でもどんなにこっそり現実から目を逸らしても気づかれます。

自分自身にです。

 

現実と名付けてみた妄想 その中で借り物競走

走り疲れたアンタと 改めて話がしたい

心から話してみたい

 

自分の妄想を「現実」だと思い込みます。

そして実際にはもちろん現実の世界に生きています。

 

そんな中で「借り物競争」をしているらしいです。

なんのことなんでしょう。

借り物競争って、最終的な場所のゴールを目指すというより、

「次に進むのに必要なもの」を求めて走る競技ですよね。

 

そして「貸してくれる誰か」がいないと進めません。

ここが重要なんじゃないでしょうか。

 

人と関わることから逃げていても、

先へ進むために誰かと関わることは必須なんです。

 

走りつかれた「あんた」と話がしたいと言っています。

ここまで厳しい言葉が並べられていましたが、

最終的には「話がしたい」んです。”改めて”です。

 

よくBUMPでは、自分自身のことを「あなた」「君」と言っていたりしますね。

 

僕はここでは敢えて、BUMPから僕らへの言葉だと思いたいんです。

なぜこの「あんた」を2人称としたかと言うと、

BUMPの歌詞で「あんた」と表現されているものは、

大抵2人称なんです。

(Ever lasting lie/ラフメイカーなど)

 

 

藤くんが僕らに対して、

「自分自身と向き合って、ちゃんと人と関わって生きろ。そうして生きることに疲れたら、改めて話をしよう。」と言ってくれているような。

 

「話がしたい」は「ライブに来い」「曲を聴いてくれ」みたいな感じですかね。最近の藤くんのMCでそんな感じの事をよく言ってくれていますね。

 

 

今回この曲と向き合って、

ますます11月の東京ドームが楽しみになりました。

 

改めて話がしたくなりました。