こんにちは。

気づけば師走が始まりましたね。

 

2020年、これほど季節の移ろいを感じない一年もなかったように思います。

しかし今朝、トレーニングコースである井の頭公園で、色づく紅葉を目にしたとき、ふと思ったことがあります。

「世の中でどんなことが起きようと、自然は淡々と、決まったタイミングで決まった変化を遂げるんだな」と。

沸々と、自分の中に、自然への畏敬の念が湧いてきたような感覚を覚えました。

 

ここ最近のコラムでは、この「淡々とした安定感」がいかに尊いものなのかを、お伝えしてきました。

 

何があろうと、どんな状況であろうと、派手さはなくても、普通に淡々と成果を挙げ続ける人が貴重です、と。

 

 

■普通の人たちが持つ強み

 

そんな風に私が思う理由は、他にもあります。

 

それは、彼ら”普通の人たち”が、「傲慢さを排除する力をもっている」という点です。

 

 

私たちは経験を積むにともなって、責任の重さも増えていきます。

周囲からの責任や期待を背負い、それとともにこなせる仕事の量も増えていきます。

こなせる仕事量が増えてくると、次第に周囲に対する影響力も大きくなってきます。

影響力が大きくなれば、周りからの注目や賞賛を浴びる機会も増えていきます(もちろん、それに相応しい厳しい目も向けられますが)。

 

すると、それに比例するように、自分の中にある種の「傲慢さ」が芽を出します。

 

 

■傲慢さが目を出す瞬間

 

この傲慢さというのは厄介で、無意識下で芽生えます。

無意識なので、知らず知らずのうちに自分から放たれる言葉が横柄になっていたり、行動が乱暴になっていたりします。

そして、たいてい自分では、そんな立ち居振る舞いをしていることに気づきません。

 

こうして、周りから見て明らかに「あの人は傲慢だ」と言われる頃になると、

必ずといって良いほど事故やトラブルの類が起き始めるのです。

 

それは例えば、

チームの業績が下がったり、

部下がメンタルヘルス相談を窓口に持ち込んだり、

納品や品質で問題が発生したり、

重要顧客からのクレームが発生したり、

といった結果をともなってやってきます。

 

こうした痛い思いをして初めて、本人は、自分が傲慢だったことに気づくわけです。

 

 

■「なんでこんなことができないんだ?」私が傲慢化した30才のとき

 

私自身の経験ですが、30才になった頃の会社員時代の話です。

 

当時勤めていた会社で私は、明らかに周りが「異常」と思うような昇格を遂げました。

成果による評価が重んじられていた会社であったため、私が挙げた実績に応じて、あれよあれよという間に、30才にしてある事業部門を任されるようになっていました。

部下は30名を超えました。

 

この話の筋からすでに想像できるように、私もこの頃、自分でも気づかないうちに、傲慢になっていたのです。

営業実績では社内の誰にも負けない自信があり、その自信がさらに部下に対する配慮のないい言動や、必要以上の指導の厳しさにつながっていきました。

 

「なんで、こんなことができないんだ?」という類のセリフが、口から出るようになっていたのです。

 

その頃の部門の状態は、報連相を始めとした情報の共有量が極端に少なくなっていて、リーダーである私自身、現場で何が起こっているのかを正直わかっていませんでした。

現場は現場で、自信がありすぎる上司というのは厄介な存在です。

リーダーにとって不都合な情報はなるべく知られないよう、現場のある部分で情報が滞っていたのです。

そのために、私がリーダーとして下さなければならない”情報”という判断材料は、ほとんど手元にありませんでした。

 

「何かおかしい。何かが自分の知らないところで起きている」。

 

異様なまでに静かな現場を日々見ていて、そんな嫌な予感がよぎりました。

そしてはやり、予感は的中し、事故は起きてしまいました。それも、立て続けに何件も。

 

部門内でのハラスメント相談やメンタルヘルス発症が、次々と社内相談窓口に持ち込まれたのです。

挙句、顧客を巻き込む大トラブルまで起きてしまいました。

文字通り、気づいたときには遅かった、という状況です。

 

事ここにいたって、ようやく私はリーダーとしての自分のありようと向き合わざるを得なくなりました。

そのときまで、自分の傲慢さに気づくことができなかったのです。

 

 

■傲慢さは情報を遮断する

 

その後、上司や部下、果ては顧客にいたるまで、多くの人たちに力を貸してもらいながら、なんとか状況を回復させることはできましたが、それにしても支払った代償は大きかったといのが実感です。

この経験を通して私が学んだのは、ひとつの真実です。

 

傲慢は情報を遮断する

ということです。

人は影響力を持ち始めると、知らず知らずのうちに傲慢さが芽生えます。

その傲慢さは、今後は周りに”負”の影響を与え始めます。

傲慢な人には、報告や相談、あるいは提案が極端に減ります。

 

こうして、情報の流通が滞ってしまうのです。

 

情報の通通量が減るということは、リーダーしての意思決定のための判断材料が減る、ということになります。

当然、意思決定には大きなストレスがかかりますし、下された判断に常にリスクがつきまとうことになります。

乱暴な言い方をすれば、「当てずっぽう」や「理由のない勘」で、意思決定しなければならなくなるのです。

 

そんなリーダーに巻き込まれるチームメンバーは、迷惑でしかありませんね。

つまり、「傲慢さ」もまた、みずからの状況を結果として不安定に陥れる要因になります。

傲慢さはその人を、周囲からの忠告や提言に耳を貸さなくさせ、独りよがりに仕立てていきます。

情報を遮断し、目の前の物事を、ひとつの方向からしか見えなくさせます。

 

こうなると、仕事も人生も多様な見方が失われ、色あせ、陳腐なものにしか映らなくなります。

 

結局、傲慢になったリーダーは、みずからの意思決定を鈍らせ、仕事を陳腐化させていくのです。

自分で自分の首を絞めるとは、このことですね。

 

 

■謙虚さを取り戻すなら

 

あらためて謙虚さについて、私たちが考える機会になればと良いですね。

 

そしてこの謙虚さを取り戻すには、私は2つの方法があると思っています。

 

1つ。「感謝をする」こと

1つ。「フィードバックを受ける」こと

 

そして、この謙虚さによって、受け取れるメリットは多くのことがありますね。

まず何より、ものごとへの見方が多様化できること、に尽きるのではないかと思います。

 

なぜ上記二つが謙虚さを取り戻すために有効なのかは、次号以降で触れたいと思いますが、

物事への新鮮な感覚を失われない、ということは、どこまでも自分なりの創意工夫の余地が生まれ続ける、ということです。

 

つまり、

 

謙虚さにによってみずからが成長し、持続的な能力開発も可能になる

 

と思っています。

 

 

今さらながらですが、

 

身の回りのことに感謝し、

耳の痛いことを言ってくれる人からフィードバックを受けましょう。

 

 

 

 

◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆
(ラ・ロシュフコーより)

 

しばしばらわれわれは、

 

われわれの最も美しい行為をも恥ずかしく思うことがある。

 

その行為を生み出したすべての動機を他人に見られた場合には。




引用元:「傲慢さ」のメカニズム