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Re.roadの徒然なるままに

思い付いた事を書きます。

平成3年6月6日

親父が荼毘に付した日である。

 

先のブログで記した通り、6月3日に息を引き取り、お通夜を6月4日だったかな・・・執り行って、葬儀が6月6日であった。

遠方からも御列席を頂けるという事だったのかな?

20歳の若僧は喪主でありながら、詳細は全く分からずに進められていた。

葬儀当日は、北は北海道から南は宮崎まで、全国各地から御列席を頂いた。

 

今日も実家の片付けを独りで行っていたのだが、親父の葬儀の時の写真も出てきた。

御花の数にビックリした。庭いっぱいと外の道路にまで並んでいた。

ずっと親父の側にいたから全く知らなかった。

葬儀は実家で執り行ったので狭かった記憶がある。

今とは違い、セレモニーホールなんて殆ど無く、自宅若しくは手狭過ぎると自治会館で執り行うのが普通で、それこそ自治会の婦人部の方々が炊き出しや参列者へのお接待等を普通に行っていた時代なので、平成一桁生まれでも余り知らないかも分からないかなぁ・・・。

 

葬儀の内容の事は正直殆ど覚えていない。一番前に座り、ずっと親父の遺影を見ていた事と棺が実家から出る時に悲しかった事かな。

喪主でありながら、20歳の若僧にできる事は何一つ無く、遺族の挨拶も県議会議員だった叔父がしてくれた。

 

火葬場に着き、最後のお別れを迎えた。

棺に釘を打ち込む事が最後だった事と火葬のスイッチを息子の自分が押した事が一番辛かった。

 

スイッチを押して、御列席頂いた皆様に御礼をした後に、我慢できずに兄弟同様として育ってきた同い年の従兄弟の胸に飛び込み、彼の右肩の上に頭を置いて泣き叫んだ。

従兄弟も父親とは離別していて、自分の親父が父親代わりみたいだったので、全てを受け止めてくれて泣かしてくれた。

 

1時間半くらいで亡骸が遺骨へと変わり、壺に容れておふくろの待つ実家へ帰った。

 

「とうちゃん、ちいさなったね・・・。」

 

この言葉だけは覚えている。

 

そんな言葉を残したおふくろも昨年の6月25日に親父の待つ元へ旅立った。