テレビをつければ、毎日毎日耳にたこができるほど銃撃戦のニュースをしている。知らない名前の武器の画像や、知らない破壊された街の名前が毎日毎日記憶に蓄積されていく。


当事者しか分からないものはあるだろうから、それについて多くは語らないが、センソウに比べたら、ということがよくある。言葉のトゲや、拳の暴力とか、まあ、言うなればキリがないのだが、仮に街が破壊されたときぼくはなにを想うか?とよく考える。


たとえば、有名な観光地や、有名な施設を数回しか行ってなかったら、もしくは1度も行っていなかったら、ああ行けばよかったな、と想うだろう。


たとえば、家をなくしたら、もう帰るところがないのだな、と思うだろう。


たとえば、大好きな人を失ったら・・・



とにかく挙げたところでキリはないのだが、人生は1度きりだと仮定するとつねに"後悔のないように"生きるとしたら、行きたいところは行き尽くすしかないし、会いたい人には会い尽くすしかない。


だけど本当に大好きなところや、本当に大好きな人だったら、行っても行っても会っても会っても足りないのを知っている。


それが生きることで、平和の証なのだなと今日初めてわかった。そういうもんだと。


だからぼくは今日も旅をする。今日もいろんな所へ行く。




いつなにを失ってもいいように。