私は主に信州を中心に登山やトレッキングに
はまっております。国内外の旅を続けている
関係で、毎日スマホの歩数計を利用して体を鍛えております。1階から2階に階段を上がり
ますと1ポイントと計測され、山登りに換算すると3m登ったということになります。一
日50ポイントを目標にしており、山に換算すると150m登ったというようになります。
これを日課にして階段を昇り降りし鍛えております。
最近は「終活」もしなければと思い色々と身辺の整理もしております。ここに持ってき
ましたヨーロッパの地図も整理をしていたら出てきたもので、随分前に旅をしたときのも
のです。特に思い出すのは国境を越えるときの苦労です。楽に越えられる国境もあれば、
大変苦労する国境もあり、今日は「国境を越える」というテーマでお話をしてみたいと思
います。
国境を越えるということで、最初に思い出すのが「アルゴ」というアメリカ映画です。
これはイラン革命(1929年)が起きた時捕まりかけたアメリカ大使館員がカナダ大使公邸
に匿ってもらい、カナダから派遣されたニセの映画ロケ隊に紛れイランから脱出する物語
で、実話を映画化したものです。当時はパーレビ国王の時代で、イランはアメリカとの関
係は良好、経済活動も活発な状況でした。しかし弾圧されていたホメイニ氏の率いる反体
制派グループが革命を起こしました。パーレビ国王はボーイング727を自ら操縦してエジ
プト経由でアメリカに逃亡、アメリカ政府も保護しました。これに反発した反体制派はア
メリカ大使館を占拠し、多くの大使館員を人質にしました。幸運なことに6人の大使館員
だけはカナダ大使の公邸に逃げ込むことができました。この6人を救出しようと、アメリ
カは空母や輸送機、戦闘機も派遣しましたが救出には至たりませんでした。そこでどう助
け出すかということで、映画を作るふりをして、現地でロケをし、大使館の職員を映画ス
タッフに紛れさせ連れて帰ろうと企てられました。物語はシナリオどおり進んでいきまし
た。カナダ大使館が用意したカナダ人としてのパスポートを使い、空港での二重、三重の
検閲を潜り抜け、最終ゲートを越え、搭乗し、やっとスイスに向けて飛び立とうとします
が、間際にばれていまい、軍隊が発砲しながら追いかける。しかし、最終的には逃げ切り
、イラン空域を脱したときに始めて全員が安堵する。このシーンが今も思い出深い場面と
して残っております。今でも国境を越えるときには思い出す場面です。
持って参りましたこのヨーロッパの地図を見ると、若い時にはヨーロッパを駆け巡って
いたんだ」と思い出します。今と違うのは東ドイツがあることなどです。現在では“シェン
ゲン条約(国境検査がいらない国境の協定)”でビザは不要のところも多くなっていました
。しかし戦争している国の国境や、冷戦状態の国同士の間には非常に厳しい検閲がありま
す。ギリシャから北上しトルコのイスタンブールには三日かかりました。全員厳しく調べ
られます。乗客全員、車両全体がしらみつぶしに調べられ、3日かかりました。またイスタ
ンブールからユーゴスラビア、ザグレブを経由してオーストリアに向かった時も厳しい検
閲を受けました。この辺りでは終着駅に着いたら日が暮れており泊まる処もないという日
もありました。駅の片隅に寝ていると警察官が自動小銃を持って見回りに来て調べられる
。時には銃で突かれる。パスポートを見れば日本人であることも分かるはずであるが、こ
ちらも身振り手振りで説明をして不審者でないということを分かってもらうようにアピー
ルをする。身を守る為です。時には領事館の人に来てもらったこともあります。チェコの
国境プラハの近くでは列車全体が鉄条網の中に入ってしまいます。そしてたくさんの検閲
官が自動小銃を持って入ってきて、一つひとつ荷物を徹底的に調べ、ここでも一泊二日を
要しました。国境を越えることは大変なことでありました。
良き思い出として残っている二つのシーンについてお話をします。スペインを通ってモ
ナコに行った時のことです。モナコ国王はアメリカ女優であったグレースケリーを連れて
帰り、王妃にしました。モナコ城の海に向かうバルコニーで、王妃が出て来て挨拶をする
場面に出会えたことは本当にラッキーであり、思い出深きことでした。もう一つは
1974年のことですがスペインのマドリードにおいてフランコ総統が同じように国民に
挨拶される場面に立ち会うことができ、これも良き思い出になっています。
以上、今回は「国境を越える」というテーマでお話しをいたしました。