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この本は、六つの短編が収められた小説集だが、橋本治の思考の感触が残る、評論のような部分がある。橋本治の顔をしたOLや、橋本治の匂(にお)いのする 中年女性が現れる。えぐみといっていいのだろうか、そこに独特の面白さがある。著者の論理には、中継地点が抜けたような、不思議な飛躍あるいはねじれがあ り、即座にはわかりかねて目を凝らしているうちに、読者はそこを入り口として、どこにでもいる平凡な人々の、けれど、誰にも覗(のぞ)けないそのひとだけ の心の内側へ、導かれていくことになる。
 「ふらんだーすの犬」が凄(すご)い。虐待されて死んだ、七歳の孝太郎の物語。これはむしろ、目を疑う ような「普通の」小説なのだ。しかし「橋本治」という固有名を、作品が、木端微塵(みじん)に打ち砕いてしまった傑作といえる。流れる水のように、ひどく 自然に、当事者たちが、事件の結末へと押し流されていく描写が怖い。目をつぶりたくなる。見ないことにしたい。しかし小説はすすむ。蝶(ちょう)のゆくえ を追う、見開かれたままの「子供の目」のなかで、上映されている現実を見るように。著者自身が、そういう目で、世界を見ているひとなのではないか。
  たとえば孝太郎は、「子供らしい直感で、ブリーチを重ねた母の髪が傷(いた)んでいる、そのことだけを見て」いる。「どこかがこわい」そのひとの髪が、 「命をなくした草のように見えた」。なんて悲しい描写だろう。もう一方の加害者、母親の再婚相手が孝太郎を見る目は、「子供が見知らぬ子供を見る目だっ た」とも。
 救われるところがない、と思いながら、冒頭に戻ってみる。川に投げ捨てられた黒いゴミ袋が、ゆっくりと流れていくのを、孝太郎が見送 るシーンから始まる。そのとき、その黒いゴミ袋が、私のなかに入ってきた。孝太郎が見た風景を、読者として内面化する、つまり私が孝太郎を生き直すような 感じだった。そのことでようやく私自身 が、いや孝太郎が、救われたように感じたのだ。
 最初はただ、読み過ごした冒頭 が、結末に至って、俄然(がぜん)光りだす。著者はここで、お経を唱えているのかもしれない。