『桃苑』駅から、歩いて20分くらい。
便利でもなければ、特に不便でもない場所に立つ、小さいアパートがあった。
入り口には、金のプレートでできた鐘の絵を添えて、飾り文字で“Happy Bell Heights”とある。
そのハッピーベルハイツ、302号室には、ただ今ヨッパライが二人いた。
一人は、この部屋に住んでいる斯波祥利(ショウリ)。
年齢32歳の売れない物書きで、主な収入源はゴーストライターとしての稼ぎ。
もう一人はその友人、山形義晃(ヨシアキ)。
同い年で、二人とも独身だ。
それが、男二人で傍から見れば寂しく家呑みをしている。
とはいえこの二人、幼馴染で大人になってからもすこぶる仲がいい。
当人たちにしてみれば、楽しい時間を過ごしていた。
「なあ、今更だがヨシアキ」
ショウリは、日本酒を自分のコップに継ぎ足しながら話しかけた。
「ん?」
呼ばれたヨシアキは、やや小さくはあるが黒目がちの、優しそうな目をTVからショウリに向けた。
「タマって、一人で留守番できるのか?」
そう言ったショウリの顔は、半分くらいが伸びすぎた髪に覆われている。
従って、いつも怒っているようなその目が今はどこを見ているのか、パッと見ではわからない。
付き合いが長いとはいえ、ヨシアキにもその目つきから機嫌の判断は難しい時があり、この状態のほうが話しやすいと言ってもいいほどだった。
「いや、タイクツしたら出掛けちゃうけど、戸締りはよく言ってきたから。」
油断を絵に描いたような顔で笑うと、ヨシアキは機嫌よくビールをあおった。
「・・・嬉しそうに話すもんだ、あんな厄介なモノを。」
「そうだね、ワガママで手がかかる。
でもおれは可愛いと思ってるよ。」
ヨシアキの笑顔から視線をはずし、ショウリはふと遠い目になる。
「あの事故から、もう何年たったかな、ヨシアキ。」
◆
古い造りの家だ。
いくつかの部屋を通りすぎた奥、祖母から入ってはいけないと言われた部屋の前に、ショウリはいた。
隣には、ヨシアキ。
二人ともまだ、小学校にあがったばかりの頃だった。
「ねぇ、やっぱやめよう?
しょーちゃんのおばあちゃん、怒るかも。」
「ヨシアキがいいつけなきゃバレねーよ。
まさか怖いとか言うなよな。」
ヨシアキが止めても、ショウリは聞き入れない。
フスマを勢いよく開く。
窓のないその部屋は、明かりもなく、暗かった。
「しょーおーちゃん、ぼく怖いよぉ・・・。」
その暗さにヨシアキはおびえる。
ショウリはフンと鼻を鳴らし、ずんずん部屋に入って行く。
彼の服のすそにつかまっていたヨシアキは、あとをついて行くしかない。
奥には、仏壇のようなものがあった。
両開きの扉をあけると、中には何かが祭られている。
飾りのついた台に乗せられているのは、ちょうど大人の拳くらいの大きさの水晶。
ショウリはそれをじっと見てから、言った。
「ヨシアキ、見えるか?」
「見えない。」
即答したヨシアキを振り返ると、彼はショウリの服のすそをつかんだまま、怖さのあまり目をつぶっていた。
「・・・目ぇあけないとブッとばすぞ。」
脅されると、ヨシアキは小さな悲鳴をあげて目をあけた。
ショウリは教えてやる。
「ほら、見ろよあの、水晶玉?」
「わあ、でっかいね。・・・あれ?中に、なんかある。」
「だよな、光ってるみたいな、火みたいな。」
ショウリは手を伸ばすと、その水晶玉を取った。
二人で、のぞきこむ。
「これ、高いのかな。だから入っちゃいけなかったのか?」
「きれいだねー。ねぇしょーちゃん、ぼくにも貸して。」
「落としたりすんなよ?」
慎重に、ショウリがヨシアキに玉を渡した瞬間。
「アンタたち何やってんの!」
後ろから高い声が飛んできた。
手をすべらせたのはどちらだろうか。
玉はドン、と音を立てて畳の上に落下し、勢いよく転がって祭壇にぶつかった。
「あぁーっ!」
二人は声をあげる。
「どしたの?!」
後ろの声の主も慌てて駆け寄ってきた。
「っざけんなよキリコ!落としちゃったじゃんかよ!」
ショウリが声の主、6つ年上の姉に食って掛かる。
キリコと呼ばれた少女はキツい目でショウリをにらむ。
「アタシのせいじゃないでしょ?アンタが開かずの間に入るから」
言い争いを始めそうな二人に、ヨシアキが半泣きで訴える。
「どうしよー、しゅぃっ…水晶玉、ヒビはいったよぉ。」
水晶玉は、ひびわれてしまった。
「んげっ」
ショウリが声をあげる。
「水晶玉?」
キリコがのぞきこんでくる。
ヨシアキはキリコに水晶玉を指差して見せた。
その指先に、妙な感覚があった。
空気のゆらぎ。
風は、どこからも入り込んでいない。
「何だ、これ・・・。」
ショウリが、
「何かいる。」
キリコが何かに気付いた。
突然、ぼやけた日本人形のような顔が大きくヨシアキたちの目の前に現れた。
三人は言葉を失う。
つりあがった大きな目、広がる黒髪、赤い服を着ているのはわかるが、ぼんやりしすぎて細かくはわからない。
息を吸い込むような大きな音がして、そのぼやけた何かは猛烈な気流となりショウリたちを通り過ぎた。
かと思うと、すぐ目の前に収束した。
次の瞬間には、そこに女の子が出現していた。
赤い着物を着た、黒い髪の少女。
年の頃は、ショウリたちと同じくらい。
つりあがった目をして、いたずら好きそうな笑みを浮かべた少女には、頭の上のほうに大きな猫みたいな耳がついていた。
つづく