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東京で10人死ぬと、
日本が驚く。

ニューヨークで100人死ぬと、
世界が驚く。

だけど、
アフリカで1000人死んでも、
誰も驚かない。

既に命は平等ではないのだ。


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Twitterで出回っているこの言葉。


沢山の人にリツイート、お気に入り、コピーされ、共感や感動を呼んでいる。




一見、何となく納得してしまうように見えるこの言葉だが、




これ、ちょっと違うと思うな。


だって、東京やニューヨークは開発され尽くし、


比較的平和だと言える場所であるのに対し、


アフリカでは貧困、飢餓、病気、紛争がある。



ここで、東京やニューヨークで「普通に」生活していて、突如死ぬ可能性はゼロではないが確率的には低い。

だから死んだら、「え!?(あんなところで)どうして!?」と、言う意味で人々は驚くのだ。


東京で10人死ぬなら、通り魔か事故だと考えられ、人々はそのニュースに驚くだろう。


ニューヨークで100人死ぬなら、大概はテロか何かだと考えられ、卑劣で最低な行為をした容疑者に、世界は目を向けるだろう。



しかしアフリカで1000人死にましたと聞けば、

先ほどの前提で、人々は彼らの死因の大体を想像できる。だからあまり驚く事は無い。


結論を言うと、衛生的で平和な大都会で沢山死ねば、「死ぬ理由が分からないから」驚くのだ。

あまり衛生的でなく豊かとはいえなくて、日常的に血を見るような所で人が沢山死ねば、死ぬ理由の想定が大体可能であるから驚かない。


驚くか驚かないかの理由は、ただこれだけであり、「命が平等うんぬん」の話ではない。



戦争している国で人がたくさん死んでも、周りの人々は驚きはしない。→何故なら戦争をしているから。

戦争していない国で人がたくさん死ぬと驚く。→何故なら戦争をしていないから。


戦争をしている国で、誰一人として命を落とさなかったら、むしろ世界は驚くだろう。


両者とも、命の重さに変わりは無い。



だから私が思ったのは、「驚くか驚かないかだけで、何故命が平等不平等と言えるのだろうか?」と言う事で、その証拠に、どちらも同じくらい、驚いたり驚かなかったりした後でも「悲しい」ではないか。人々は彼らの死を聞くと悲しむではないか!



あー…なんか…


なんだかな。


どなたが考えたんでしょうね。