多様性のあり方とは。
こんにちはスピリチュアルヒーラーもこです元来、もこは思考の多い人間だ「だった」というのが、近いかもしれない。幼い頃から、頭の中がいつも考え事で渦巻いていた。考え事をまるで仕事をするかのように、それに一生懸命になっていた。そうしようとするのではなく自然に。「人間とは考える葦である」——中世の時代に哲学者が言った。ふーむ。言い得て妙だ。と昔のもこは思ったはずである。だが、より真実に近づくと、とても違和感を覚える言葉である。最近、生活環境をガラリと変えてから、どうもこれまでのような集中力がない、というよりは思考にフォーカスできない感覚になった。どんどんと、シンプルになってくる。きっと人間は自分の頭で考えて、そして分かりたい。納得したい。そういう欲求みたいなものがあると思っている。だから、瞑想のような「空」となることをやるのは多少なり訓練が要る。もこがこれまで多くの時間を割いてきた思考というものからインスピレーションを得てきたこと、それを掘り起こして、シンプルになったもこが忘れないうちに文章にしておきたい。誰かの思考の紐解きの参考になれば、と思う。 自分とは一体何者か。自分とは何者であるかということを、他者との境界線を通して認知する。外側の世界の登場人物を見て共感したり、怒ったり、一喜一憂しながら、自分という人間を認識していく。幼い私は、あまりにもこの世界のなかで、客観的だった。そして、強烈に他人と自分との違いを感じていた。小学校に入学した頃、クラスメイトと一堂に会した私は新鮮な驚きを感じたのを覚えている。シャイで他人に対して身構える子もいたが、クラスメイトは子どもらしく、いい意味で「何も考えてない」ことが伝わってくることも多かった。自分が社会の中で、異質の存在であるかのような不思議な感覚であったのを覚えている。まず自分と向き合うこと。もこは感覚受容体が敏感である。最近ではHSPという気質として分類され、認知度が高まってきた。五感が研ぎ澄まされていると言えば聞こえがいいが、これも結構大変である。耳が良いため、大型車のブレーキ音、救急車のサイレンなど大きな音は耳に痛みを感じる。 鼻も敏感で数十メートル先の人の匂いで、気分が悪くなりそうになることもあった。こんな風だから、常に体が様々な刺激を受けて自律神経が乱れがちである。このことも一因だったと後になってわかったが、学生時代に心身症になったこともあった。少しずつ身体からのアプローチとして体質改善を取り入れたことで、心身症は良くなった。身体がストレスと感じる外部からの刺激は常に受けるため、自律神経は相変わらず乱れやすいが、しっかりと自分の身体と向き合うことで、対策もできるようになっている。そのままを受け入れる。大人になったもこは、少数派であることや人との違いを隠すことなく、発言するようになった。スピなコミュニティーでHSPであることをオープンにした時のこと、 「みんなが当てはまることだと思う」という解釈があった。確かに、HSPには弱程度〜強程度までグラデーションがあり、傾向が見られるという人も含めればかなりの人が該当するかもしれない。その発言には、少数派というレッテルを自分に貼ることはなく、みんなもそういうところあるんだよ、という気遣いがあることもわかるからこそ、言葉にならない複雑な気持ちになった。ただ、「そうである」ということだけであって、それがどうということではない。正直、他人のものさしを通して測ることをして欲しいわけではなかった。ただ、「知ること」あるドキュメンタリーを観て深い感慨を受けた。とある夫婦。夫はADHD(注意欠陥多動性障害)で、日常生活において様々な「やり残し」が際立つ。そんな夫のサポートをし、夫の分も1.5倍働く妻。映像の最後には夫婦二人並んで、インタビューに答えていたのだが、大きな気づきがあった。夫は実に晴れやかな表情で、ADHDである自分を否定することはないし隠さない、と朗らかに話す。妻は夫の言葉を神妙な顔つきで聞いている。二人の表情は、一見してとても対照的だった。妻は夫を理解し、自分の出来ることは何でもサポートしたいと言う。深く理解をして尊重しているからこそ、受け止めたいと心からそう思っているように見えた。私がハッとさせられたのは、妻の、隠しきれない疲労感にだった。あらゆるマイノリティーが市民権を得だして、その権利や主張を胸を張って言える時代になってきた。少数派は、社会で数的に弱者になりがちな立場への異論を堂々と言える風潮があることは、誇らしいことだと思う。多様性は違いを知り、認め合い、協調性を持って調和すること、と解釈するが、必ずそこには譲歩がある。これを言っているもこの立場と言えば、生きづらさを感じてきた人口比率で6%の気質を抱えているマイノリティーとしてであるが、権利を主張するのと同時に、表面的であるかどうかに関わらず、譲歩する側があることが内包されている。多くの場合それは、多数派へ向けられる。前述の妻の疲労感に見られるように、性質の異なる人同士の共存は一筋縄ではいかない。夫婦関係のような場合では、一方の譲歩が不可欠である。多様性の行き着くところは、私は「ただ知ること」でいいのだと思った。知らなかったことを知ること、それ自体にも「それぞれの当たり前」から抜け出て違いを受け入れようとする柔軟さや優しさは十分に示されているのだと思った。そして、その人の価値観や主張を入れないで、「そうなんだね」とただ言って貰えることで、マイノリティーにとってどれほどの救いになるかを知って欲しい。多様性はつまり、「知ること」が全て、だと思った。お読みいただきありがとうございましたスピリチュアルヒーラーもこ『「宇宙エネルギーワーク」のご紹介』ご提供中メニューの『 宇宙エネルギーワーク 』のご紹介です宇宙エネルギーワークとは、宇宙からもたらされる愛と光のエネルギーです。…ameblo.jp『レムリアンヒーリング®のご紹介♪』こんにちはあなたらしさを大切に幸せな人生をサポートするスピリチュアルヒーラーのもこです!ご提供中メニューのなかからレムリアンヒーリング®をご紹介し…ameblo.jp今日のa.n1234,1212,234,1515,1717,2121,33,44,333,2020,777,8888