①中風症の全治した話
中風とは、現在では脳血管障害(脳卒中)の後遺症である半身不随、片麻痺、言語障害、手足の痺れや麻痺などを指す言葉のようだ。
タイトルの通り、この中風症が全治した奇跡談であるが、なかなか核心を突いた内容がギュッと詰まった、魂の教科書のようである。
しかしながら、本題に入る前の前置きがかなり長い。
いや、長すぎる。
布教もかねて、大本の奇跡談を披露しているの訳なので、仕方ないのだが、、、
が、所々共感するところもあり、耳を傾ける価値はある。
一部是非とも紹介したい箇所があった。
あくまでも先入思想に囚われ、悪霊に魅入られたる人の子は、いつまでも覚めようとはしない。
これは全く同感である。
あくまでも先入思想に囚われ、悪霊に魅入られたる人の子とは、要は自分の人生を生きていない人だ。
悪魔に魅入られていては、自分の人生を生きたくても生きられないだろう。
しかし、そのことに全く気付いていない人も多い。
あなたは、本当に自分の人生を生きていると言えるだろうか。
本当に自分の人生を生きているかどうかわからない人は、ぜひ、天乃雫の朗読チャンネルを訪問してほしい。
自分がふと興味を持った話からで良いので、順に朗読に耳を傾けてほしいのである。
あの世へ行く前に、目覚めることを祈る。
でなければ、来世は人間ではないかもしれないぞよ(笑)
なにしろ今は、キリスト教で言うところの最後の審判の時、仏教で言うところの末法末世、神道で言うところの闇の夜(病の夜)である。
②盲目立所に開く
こちらもタイトル通り、目の見えなかった人が、見えるようになったという話。
俄かには信じられないような話だが、実話のようである。
ただ、生まれつき目が不自由な人ではない。
別の病気から目にも災いして、見えなくなったのである。
もし、生まれつき目が不自由な人の目が見えるようになったのであれば、まさにサイババである。
この話も、相変わらず説教が多い。
しかし、ごもっともなことばかりで、耳が痛い人もいるかもしれない。
③神の傳言④狂い胡蝶
こちらも二話とも、大本教の鎮魂帰神の法によって、奇跡的に健康を取り戻した人の話である。
「狂い胡蝶」に至っては、現代に最も多い話ではないか。
私は、多重人格、精神の病、あるいは原因不明の病は、ほぼほぼ霊障以外にないとさえ思っている。
自殺、殺人、も例外ではないだろう。
人類が誕生して以来、この世には成仏できない霊が溜まり続けているように感じられる。
なぜ成仏できないのか。
生前、この世の死が全ての終わりだと思っていた人。
死の間際、本当に生きていなかったことに気付いた人。
欲深く、生に執着している人。
そういった悪霊に魅入られることのないよう、自己を確立してほしい。
今回で『神秘の扉:霊界消息』が終了となった。
前半は龍神問答、後半は大本教の奇跡談が主だった。
付録としてあと二話あるのだが、これも大本の奇跡談のため、朗読は割愛した。
毎度言わせてもらうが、私は大本教の信者ではないし、大本教を崇拝しているわけでもない。
むしろ、宗教団体などは一切不要だと思っている。
しかしながら、宗教団体がなければ、当たり前のこともわからなくなっている人があまりにも多い。
それこそが、本当に自分の人生を生きていないのである。
人間は考える葦である。
「カンガエル」というのは、「カミカエル」ことで、「神還る」が「考える」になったものである。「神に還る」とは自己の魂が神の元へ還ることであり、「神が還る」とは自分へ神を迎えることであって、いづれも神と人が一体になる。所謂神人合一の意味を現すのが「考える」である。大切な問題や、難しい事柄に遭遇した時、自己の判断だけでは心もとないので、心を鎮めて神と一体となり、神の黙示を求めるのが「考える」という言葉の持つ真の意義である。神道の重要な修行の一つに「鎮魂皈神の法」というのがあって、自己の魂を鎮めて神と合一する行法で、「考える」はこれを表現した言葉である。ーーー『鎮守の杜の神々』より抜粋
大本教の“鎮魂帰神の法”とは全く別物である。
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