先週末。自宅で無気力に何も考えず見ていたTV

週末の昼過ぎはチャンネルクルーズが当たり前になっていたが

とある番組にハマった


3年前?に放送された菅野美穂のインドの旅

ヨガに取り組み本場へ行ってみたいと言うところから始まった企画


友人、知り合い渡印した者皆口をそろえて言う「人生観が変わる」

聖なる川ガンジスは生活に関わる全ての「水」をここから頂く


以前、火葬場が中心となり、この町で人生の最後を迎えれば必ず天国に行けると信じられている「ベナレス(バラナシ)」の特集を見たことがある

「火葬場が中心」とは街の中心は勿論の事、火葬場の為に町や寺院が建てられている


ガンジス(ガンガー)の畔で沐浴をしている横で、消える事がない火葬の為の火

そして、まさに火葬されガンジス川にそのまま流してしまう光景は言葉で説明するにはあまりにも失礼な感じすらした


「この町で死ぬ」

これが人生最後の望みとして数千キロ離れた町から来る家族

それは先にも述べた「天国へ行く」ただそれだけ

街にある宿にいる客ほぼ全員が「死」を迎えるためにいるのだ


殺生をせず、生物(動物、魚)を食さず神への信心を欠かさず数十年の人生をこの場で終える

俗社会でヘラヘラしてる自分には衝撃的だった


そんなインドの話以来に見た今回の番組

今やスポーツ、ダイエットとして取り入れられているヨガと言う精神修行法

その聖地を巡る旅


ヨガは詳しくないので割愛するが、この旅の最後に彼女が出会えた「スワミ・チダナンダ総長」

この人の、いやこのお方の人の大きさ・・・・それも違う表現するにも躊躇してしまうほど

何が?

この方はシバナンダヨガの創設者故シバナンダ氏に次ぐ方

92歳と言う高齢と体調不全の為最初は面会を断られるも、番組最後に御対面を果たす。


体は細く、ベッドに横たわり療養中のその身のから日本のクルーにかけられた言葉

「What can I do for you?」

なぜ?

貴方のその状態からなぜその言葉が出てくるのか

半ば無理に面会を許して頂いた(であろう)相手に対してまで気遣う姿勢。しかも当たりまのようにだ

涙が止まらなかった

拭うこともなく泣いている感覚ではなく勝手にあふれ出てきた


シバナンダアシュラムと言う道場

この場にはありとあらゆる神が存在する道場

つまり宗派は問わない。しかし一神を奉ることで他の宗派の信者が来れなくなるというものではなく

「ヨガ」と言う「修行」である事を示してるのだと

人それぞれ信じる神がいても修行するには宗派は関係ない


当たり前の事を当たり前に普通にしている

その精神は自分からはかけ離れている

見ていて色々な事を感じた。しかし感じただけ。感じる事は大切だ、しかし感じたものを活かさなければ感じた意味はない。行っているだけなら誰でもできる。そんな事を思うこと自体現実逃避なのでは。今の自分は何のために生きてるのか。自分でも人からでもウザいと思うような事しか考えられなかった


情けない


これが今の自分

途中町の小学校により、小学生の集団に囲まれていたがその小学生の瞳の美しさに自分を恥じた

今更全てを擲ってインドに修行などそれこそその意に背く愚かな行為だろう

世界は広い

自分に責任を持った生き方をしていかなければ、この広い世界のどこに行っても真摯に向き合えないだろう


俗世界が嫌いでも、抜け出したい訳では無いが、他人に対して偉そうに語る自分の言葉を自分の耳で聞いてると一行一句が「お前のことだよ」と思えてくる今日この頃


つまりはテレビで見てること自体「俗世界」から抜けられない証拠なんだろう