6時にモーニングコール、「波があるから行きますよ」

眠い目こすって頭半分ぼけたまま、歯磨いて、コンタクト入れて、大リーグ養成ギブスのつもりで5mmのウエットに袖を通して、小雨の中ポイントへ


胸-肩セットは頭

オフショア強すぎて割れ難いのか、とろ早ワイドが中心な場所にいたのでなかなか波を捕まえられなかった。


ようやく一本レフトに乗って、なんちゃって当て込みを2本

その後ライト乗りかけるも、クローズ気味だったのでワイプアウト


乗れた波、乗れなかった波、乗ったけどあきらめたり、弾かれたりした波。

どの波も一生に一度しか来ない波。


今朝、諦めた一本の後に思ったのは、つぶされても乗り継ぐべきだったのでは?と

以前は、どんなコンディションでも自分かから止めることなどしなかったのに

全然上達しないのに、こ慣れてくると小手先使ったりする


岸から見てる波は、皆最後まで乗り継いでる

いざ、海に入るとワイドにしか見えない

海にいるのに「木を見て森を見ず」な感覚と言葉が思い浮かんでくる


今日は風、うねり共にバッチリ合ったコンディションで、会社さぼって波乗りしてたい日だった

仕事をもっともっともっともっと頑張って一生懸命やっていれば、間違いなくサボっていた。

仕事も、プライベートも、趣味も、恋愛も、人生そのものを中途半端に生きてる今、全てに対して何かをすることは、失礼な行為にしか思えない。


今の生活で波乗りは全て

「すべて」ってどうい意味だ?

意味がないから「すべて」とか言える。仕事でもなければ、お金を稼げる訳でもないただの趣味


それが善し悪しではなく、だから何?なのだ


ここから片づけないとだな