Nothing Ventured,nothing gained , Will is high -4ページ目

Nothing Ventured,nothing gained , Will is high

志高く=Will is high 冒険なくして成功なし=Nothing ventured, nothing gained

情熱は絶やさず、信念はぶらさず、日々日々仲間と共に進んでいく人間の奮闘記

想像し創造する


そして層を増やしていく。


まずは5つの層を幸せにしたい


●自分の両親

●自分のおじいちゃんおばあちゃん

●自分の彼女または奥さん

●自分と奥さんの間に生まれた子供

●自分を信じてくれる仲間


これが今可掲げている5層


自分がその人たちをHAPPYにするために


努力し、志高く前に進む


その後に、目の前の人がどんな顔をしているか


そんな風に『想像』すると


なんか自然と笑顔になってしまう


なんかどきどきしてくる


この心の躍りを、感情の高ぶりを


冷静に捉え、そして何かの形でも形でなくてもいい


『創造』したい


それをみた、聞いた、触れた人たちが、


僕らの知らないところでなんかそのHAPPYを


一粒のエッセンスでも受け取ってくれて


笑顔になれたら


暖かい気持ちになれたら


『層』はきっと増えていく、強くなる


『想像』を『創造』し『層』を強くする


それがすべての想い


必ず、必ず、形にする

時間は誰にでも平等


何もしなくても、していても


誰か1人にだけ長い時間があるわけでもない


ただ、たった一度の人生


時間に追われるのではなく


時間を追っていくような人生でありたい


『86400』


24時間=86400秒


この瞬間瞬間、少しでも長く目を開けて


見える風景をとことんみたい


昔同じような内容をブログに書いたことあった


1秒間に1つの人生におけるチャンスがあるとしたら


86400チャンスがそこには存在する


掴むか掴まないかはその瞬間の自身のアンテナの高さ次第


掴めるか掴めないかはそれまでの自身の努力次第


すべては自分次第


いたってシンプル


まだまだ、未熟だからこそ、誰にまけない努力を


志し高く


でも、ここで想う


1人で出来ることは小さい


だからこそ、心を開ける仲間が自分の周りにいること


とても幸せなこと


一歩一歩成長いく


必ず


86400秒の中に隠される


86400個のチャンス


それをいつでも掴みたいときに掴み取れる集団


それを目指していく



何においても引き際は大切


そのタイミングは本当に難しい


でも、時には簡単


尊敬してやまない藤沢武夫さんの


経営に終わりはない


久々に読み返した


やっぱりその中にはさまざまな印象的な


ドラマが存在する


当時技術者の中では誰もが知る


本田宗一郎氏


「自力でエンジンをつくるための設備も欲しいが、


資金も欲しいが、浜松では見込みがないから


東京に出たい」


そういう本田宗一郎に対して


「おれは金を持ってないけれど、金はつくるよ。


金のほうを受け持って、一緒にやってみたい」


その想いで引かれ合った2人は


阿佐ヶ谷の竹島弘(後に通産省に入省)宅において初めて出会う


そこで、初めての2人の対面


そして交わした言葉・・・・


「私は商売人だから、これからいっしょにやるけれども、


別れるときに損はしないよ。ただし、その損というのは、


お金ということではない。何が得られるかわからないけれども、


何か得るものを持ってお別れするよ。


だから、得るものを与えて欲しいと思うし、


また、得るものを自分でもつくりたいと思う」


と武沢氏


それに対して「うん、結構だね」


ここで本田技研工業の産声が上がった。


それから25年。


2人はどんな苦しい状況も一緒に歩み


武沢さんはこんな言葉を当時の専務にいった


「かねてから、考えていたとおり、今年の創立記念日には


やめたいと思う。社長は今社会的な活動をされているし、


どうされるかわからないが、私からはいわないほうがいいんだろうから、


専務から私の意向を伝えてもらいたい」


それを、専務から聞いた社長(本田宗一郎)は


「2人一緒だよ、おれもだよ」


と一言専務につたえ


その後、本田宗一郎氏、武沢和夫氏が顔を合わせたときに、


「ここらでいいということにしようとするか」


「そうしましょう」


「本当に幸福でした、心からお礼をいいます」


「おれも礼をいうよ、良い人生だったな」


この会話で引退がきまった・・・・・・・。


創める時は2人一緒


去るときも同様


昭和48年10月をもって正式引退


歴史に残る企業の創業者の引き際


もしかすると創める時から引き際を見据えてたのかもしれない


だからこそ、一瞬一秒を無限のものと錯覚せずに


有限なものとしてとらえ


誰よりも強い信念と情熱を持ち続けた結果なのかもしれない


そんな人間になりたい


そんな集団でありたい


引き際・・・・・


難しいが想像しよう


必ず最高の引き際を創造できるはず