最近いろんなところで
『僕は感謝を大切にしています』っという言葉を耳にする
同時に、『社会貢献をしたくて』っという言葉も
『人のこと幸せにしたいんです』っという言葉も
なんかそこに違和感を感じる
『感謝』も『社会貢献』もとてつもなく大切なことで
人が人として生きていく中で忘れてはいけない
重要な部分だと思う
が、そういうことをいっている人に僕はよくきく
『ご両親大切にしてる?』
『最近両親に自分の給料でプレゼントしたりした?』
『自分の誕生日に、生んでくれてありがとうって伝えてる?』
そういうこと聞くと、大抵の人は・・・・・
『いや・・・・・・』っと答える。
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今あなたが、五体満足でそこに立っていられるのは誰のおかげでしょうか?
今あなたが笑っていられるのは誰のおかげでしょうか?
今のあなたというすばらしい魅力を持った人間に育ててくれたのは誰でしょうか?
そして、あなたが会話もできない、しゃべることすらできないときから今の今まで
愛情を与え続けてくれている人は誰でしょうか?
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そういう一番身近にいてくださっている人=両親を大切にしないで
『感謝』『社会貢献』『幸せ』なんて本当にいえるのか?
冒頭にいった『違和感』というのは、言葉の軽さである。
軽々しく言わないでほしい。
年齢なんて関係ない
知識・経験なんてどうでもいい
5歳でも、10歳でも、20歳でも、30歳でも、何歳でも
できている人はできている。
感謝に大きい小さいもない
ただ、感謝すべき人に感謝もせずに雄弁を振るうのだけは
心からやめてもらいたい
これを読んではっと思った人
今からでもできることは何でもある。
電話一本いれて、『いつもありがとうね。正月かえるね』
そんな一言で両親はどんなに喜んでくれるだろうね?
どんなことしても、両親の方が早く死ぬ
時間は残酷なものだから
『もっと親孝行していればよかったな』
そんな言葉は言いたくも聞きたくもない
墓参りをしたときに『ごめんね』なんていいたくない
そんな言葉両親は聞きたくないでしょ?
『いつも見守ってくれてありがとう』の方がうれしいんじゃないかな?
今からでもできることがたくさんある。
たくさんの親孝行を通して親からもらう
『ありがとう』
愛情を注ぎ続けてくれた人からもらうその一言の喜びをしって
人は本当の『ありがとう』という『感謝』をすることの大切さと喜びを
知るのかも知れない
一つ一つの言葉の大切さと
その重さ
一つ一つかみ締めることの重要さ
けして、自分をよく見せるために使う言葉じゃない
それは、心にしまっておく、
心の奥底にしまっておく
大切な大切な言葉
そんな気がする