父が脳梗塞でICUに運ばれたのは、11月24日。それから半年。

病院のスタッフさんたちの協力のおかげで、5月26日、半年ぶりに父が自宅に戻ってこれた。

父がまだ文字盤を使って意思表示をなんとかできていた半年前、最後に私に伝えた言葉は、

『うちに・・かえりたい』だった。

それから父は、殆ど目を開けず、意思表示ができない状態でいた。

でも、私は、確信していた。

きっと、いや、絶対に、家に帰って来れたら、父は目を開けて、笑顔すら出してくれるだろう、と。

家族の笑い声や、家の懐かしい匂い、犬の声や風の音。聴覚は失われていない父はきっと何かを感じてくれる。

もし、目を開けなかったとしても、それでも心で何か感じてくれる。このまま病院で命が尽きてしまう前に、

必ず、父を家に連れて返してあげたい。私は、ずっと心に決めていた。

 

5月26日朝、私は、病院に迎えに行き、ストレッチャーに寝かされた父と共に、病院のワゴン車に乗り込んだ。

スタッフさんは総勢4人。看護師さん、介護士さん、みなさんの協力のもと、自宅まで5分の道を車で進んだ。

父は、その間、時折、目を開けていた。

自宅に着き、庭にストレッチャーで降りた瞬間から、父の両目は入院してから見たこともないくらい大きく開いた。

その後、父の大好きな庭を見せて周り、家族で記念写真を撮った。写真を後から見ても、父はしっかりと両目を開けている。

自宅に入り、父と母の結婚50周年の金婚式を行った。プレゼントは病院で着られる夫婦お揃いのパジャマ。

父は家についてから、両目をずっと開き、瞬きしながら、黒目をたくさん動かしていた。

 

その後、病院に戻り、ベッドの脇で父と二人きりでずっと話かけていた。

父のこれまでの人生を一緒に振り返った。父が、決して裕福ではない家庭で育ちながら、大学受験勉強を頑張っていたこと。

就職してからの事。これまで一番楽しかったと言っていた職場の事。

離れていたから、高齢の父がスマホに格闘してきっと目や脳みそを使いすぎて、脳に負担があったのかな・・ごめんね、もっと

手伝ってあげれたらよかったけど・・・なんて話してら、私の両目から大きな涙が父のベッドに落ちてしまった。

その途端、父の顔が泣き崩れた・・・・。私は、びっくりした。目は開けてしっかり聞いていたと信じていたが、本当に、聞いて、見えて、心が伝わっていたんだ。

『お父さん、泣いてくれたから、本当に伝わっているってわかったよ。ありがとう。なんとか一緒に頑張っていこうね。』

できれば、ずっと隣で話していたかった。

でも、どうしても子育てしながら離れて暮らす私には、今はこれしかできない。

でも、すごくすごく幸せな一日だった。