7/14 午後18時何分か....
帝王切開にて娘が産まれました!
大雨の降る天気の悪い日だったのは記憶があります
入院してからずっと天気悪くて病室も暗かったから覚えてる
12日から計画入院開始しました、
バルーン入れて子宮こう広げる、5㎝にまで広がる
その先は陣痛促進剤を使って陣痛を進めていきましょうとの計画でしたが
全然進まない,,,促進剤投与してるので痛みはきます
破水はしました、そろそろ本陣痛くるかなと待っていましたが
何も起きない、子宮こうも5㎝のまま、開かないから何も進まない
1日目は苦しんで終了、破水したのでシャワーは無し、促進剤投与を一旦やめても陣痛止まらないし
痛すぎて、ご飯が食べれない、お水だけ飲む、そして寝れない
このままだと出産のための体力が尽きてしまうと先生が痛み止めを点滴してくれた
けど、全然効かない
ベットに横になっても痛みですぐ起きてしまい寝れないので
座ったままウトウトしてた
明け方に看護婦さんから「ずっと座ったままなの?!」と聞かれたのは覚えています。
2日目
変わらず5㎝のまま子宮こうです、今日も朝からガンガン促進剤使って陣痛を促すとの事でしたが
午後15時過ぎに体力も気力も精神的に壊れた私
促進剤をやめたい、針を抜きたい、もうこれ以上無理、本陣痛に乗り越える体力も何も残ってない
なにも食べなくないし、寝ることもできない、帝王切開してほしい
と大泣きで看護婦さんに
訴えました、初めは励ましてくれた看護婦さん&助産婦さんでも私の嘆きに先生に相談してくれて
子宮こうは変わらず5㎝のまま、でも赤ちゃんの頭はすぐ触れるほど下に落ちてきてる
「これは痛いね〜じゃあ、帝王切開しようか!」と進めてくれました
それからは看護婦さんたちのバタバタ感がすごかったです(当たり前ですよね、急に手術だもん)
心電図,レントゲン、加圧靴下履かせて、飲み物禁止だから没収、17時に旦那が来てくれて
2人で同意書の説明聞いてサイン、17時45分から行けるのでいきましょう!と(その時17時30分)
旦那にも最後に手を握られた気がする、車椅子のまま手術室に移動、銀色の大きな部屋の中に
5、6人の人がいて麻酔医、看護師、執刀医、紹介された、背中丸めて注射3回背中に打たれた
横になったら色々人が動く、先生の声が聞こえる、「今お腹切ってますよ」と聞こえた
15分後ぐらいだろうか「おめでとうございます」と聞こえた後に赤ちゃんの泣き声が聞こえた
天使のラッパに聞こえた(しずかちゃんのお父さんの言葉を抜粋)
この世に私と旦那の血を繋ぐ子が産まれたと思うと涙が止まらなかった
「ごめんね、産んであげられなかった」と泣きながら手を握ったのを覚えてる
1時間後に手術終わりで旦那と合流、褒めてくれた、頭を撫でてくれた、
「ありがとう、お腹切ってまで産んでくれて」と言われた
入院は少しのびてトータル9日間入院していました
看護婦さんの偉大さに毎日感謝しながら、術後のお腹の痛みと後陣痛と悪露に悪戦苦闘してました
退院後の今は慣れない育児にアワアワして
泣き止まない子供相手に自信喪失しちゃったりと色々ありますが
どんなに寝不足で疲れても、ギャン泣きされても、抱っこばかりで腕が疲れても
寝顔を見るだけで全てが消える どんな魔法なの? すごいな、君の持ってる力は
今はまだ小さいけど、こんな時もきっとあっとゆーま
1日1日気づかないけどすごい成長してるから
大きくなったら、一緒にいろんな場所に行こうね
大好きな横濱はたくさん連れていってママと同じ横濱好きにさせたい
ディズニーも行こうね、ユニバも行ってハリポタの世界見よう
沖縄の海も、宮古島の海もまた見せてあげたい
北海道の雪も見せてあげたい
まだママ達も行った事ない四国、北九州も行こう 北陸も行こう
パパとママの思い出のラーメン屋さんも行こうね
遊園地も行こう パパは絶叫系苦手だけど気にせずに連れて行こう
ママがワーホリで行ってたオーストラリアも連れて行ってあげる
あの海も空も空気も食べ物も町並みも全部見せたいから
美味しいものもたくさん食べよう
春はピンク色の桜を見ながら
夏は暑い空の下、蝉の声を聞きながら
秋はカラフルな落ち葉を踏みながら
冬は寒い風に吹かれながら
お雛祭り、子供の日、運動会、夏休み、自由研究、学芸会、お弁当、クリスマス、お正月、入学式、卒後式
そして君が産まれた日お誕生日
全部全部、特別な行事だから1年1年大事にするよ
だって、そう思わないと君はあっとゆーまにママの手から離れて行っちゃうでしょ?
大好きだよ、大好き