私は愛しのおっぱいに
おっぱいを取る手術をさせてあげたい。

毎日毎日、出かける度に
キツいナベシャツを着ているのを見て

やっぱり大変そうだから。

生殖器は取るデメリットも考えて
残しておいて欲しいのだけど

私が愛したおっぱいは
さよならするべきじゃないかと思う。

見積もりしてもらったこともあるから
大体の値段は知っている。

大金を払ってでも
なりたい自分の姿に少しでも近づけたら

きっと自分に自信が持てるんじゃないか。

そんなことを考える。

今までたくさん悩んで悩んで
中途半端だと言われようとも

愛しのおっぱいは十分戦ってきた。

色んな葛藤があると思う。

自分の財力では叶わないことも
本人は分かっていて手術はしないって。

でも

私はそばでいつも見てきて
この人のために何が出来るだろう?

その疑問の内の1つが
おっぱいを取ることなんじゃないか。と。

本人はどっちでもいいって
言ってるんですけどね。

パートナーとして
理解してあげたい気持ちは山々だけど

私も分からないことが多くて。

トランスジェンダーだけど
今のところ社会的に不便していない。

それはとてもありがたいことです。

でも

たまたま受け入れてもらえる環境だった
と言ってしまえばそうかもしれない。

この世の中

LGBTQが認知されつつあっても
果たしてどれだけの人が理解してくれるか。

否定されてもおかしくない中で
私たちは家族として生きています。

誰も何も事情を知らないまま
結婚も出来ず。

せめて

せめて

自分らしく生きることを許して欲しい。

愛しのおっぱいに
おっぱいがなくとも

私はパートナーとして隣にいるから。

何も変わらず

愛しているから。