今日、久しぶりに大きな気づきがあったので、シェアします。
4か月くらい前に、ある人へ怒りの感情をぶつけてしまいました。
今まで、心のことやスピリチュアルなことを学んできて、もうそんなことは自分はしないだろう、となんとなく思い込んでいました。
でも、やってしまった。
ただ、そのことを振り返ると、ぶつけてしまった相手には大変申し訳なかったですが、学んだことがたくさんありました。
まず、怒りはものすごく大きなエネルギーがあるということ。
怒りをぶつけたことはいけないと後で自覚しましたが、とにかく大きなエネルギーがあります。自分の中を駆け巡る、うごめくような、エネルギーの流れをここまで感じたことは初めてでした。
そして、それが、思った以上に快感でした。
怒りが気持ち良かったのが初めてでした。へえー、怒りってっこんなかんじなんだ!エネルギーがどんどん体の外に放出するのを感じました。ドラゴンボールみたいな感じ??
そのあとで、やってしまった、という罪悪感がきて、落ち込みました。でも、それはとことん感じ切って、もう大丈夫、と思える自分に戻ったと思いました。
それが間違いでした。
昨日、幼いころ、理不尽に怒鳴りつけられたことを思い出しました。それは母親ではなく、知らないおじさんだったので、もう顔も思い出せません。
ただ、それがふとよみがえったとき、まだ怒りなのか、すねなのか、あきらめなのか、もやもやとした気分を感じました。
しばらく感じ切って、自問自答すると、「私は悪いことしてないのに、勝手に怒鳴られて、怒られるのが許せない。そして、そのことをお母さんには黙ってなきゃ。お母さんを悲しませたくない。お母さんに愛されたいから。だって、私は愛されないから。」という答えでした。
自問自答も、以前より慣れてきたのか、一つ回答が出てきたら、それはどうしてなの?と聞くと、割とすんなり答えが返ってくるようになってきました。
そして、「私は愛されない。」と思い込んでいた。とわかりました。
それで、「私は愛される。私は愛される。」とアファメーションとしてつぶやいてみました。特に変わったことはなく、こんなものなのかな?と思いつつ、これで終了だと思いました。
すると、今日、たまたまスピリチュアルカウンセラーのみちよさんのYouTubeを開いてみると、まさにドンピシャの内容をお話ししてました。
最近、こういうシンクロは起こりやすくなっています。
私は幼いころに怒られたことで、誰にも言えず、頼れず、どうしていいかわからずに根に持っていて、その感情が未消化のために、その感情をもとに他人を使って同じ現実を引き起こしている、とわかりました。この感情が消えないために、「どうせ私はだめなんだ。こんなひどいことされても、誰にも言えない。どうせ、あなたも私にひどいことするんでしょ。」という諦め、無力感、被害者意識を持っていたことがわかりました。
そこで、怒りをもっと集中して感じました。正直、ものすごく怒っている感じではなかったので、体の中をつかみどころがなくただよっているような感じで、ちょっと難しいなと思いました。がつんと怒りがスパークしているときのほうが、感じやすいですね。
そして、そのまま感じていたら、悲しみを感じて、これが隠れていたんだな、と気づいてそのまま感じていたら、ふと腰骨のあたりから、ざわざわとしたものが背骨を通って体の外に抜けるのを感じました。これが、なんだったのか、今でもわかりませんが、確かにこれが抜けると、感じ切ったんだな、とわかりました。
そのあと、幼いころの記憶を思い出してみても、なんの感情もわかなかったし、怒りをぶつけた相手のことを思い出してみても、なにも感じませんでした。
感情は体で感じる。
これが答えです。
以前は起こった出来事に対して、頭でこれは怒って当たり前、とか判断して怒っていた気がします。
今は逆に、とにかく嫌、とか瞬間的にブワっと湧き上がる感じです。怒ってから、なんでなのかに気づく、こういう流れになっています。以前より短気になっちゃっているかもしれないですが。
そして、最後になりますが、みちよさんのYouTubeは素晴らしいです。こんなにわかりやすい説明があるんだ!と感動しました。興味がある方はぜひ見てくださいね!