~ 自分の宇宙を歩く ~

~ 自分の宇宙を歩く ~

「嫁、息子、ワシ、ときどき特撮 」より改題!

主に意識について日々の気付きを書きます。

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達人に学ぶ潜在意識
【体感】「今しかない」どこにいても、今という場所から、生まれてから一度も離れてないんですよ。実はどこにも動いてないのに、動いたと錯覚しているだけなんです。どこに出かけても今は今です。



達人さん
認識変更は、思考の罠から抜け出すことです。

今まで思考に振り回されて、思考の世界に生きていた自分から自由になることです


質問さん
思考と一体化することはなくなりましたが、自分としては「まだまだ先があるな」という感じです。


達人さん
思考から抜け出せたなら、いつまでも「今」しかなく、「今」だけしかないということに気づくことです。

幻想である過去や未来に自分が脅かされないようにすることです。

「今」しかない。
それに本当に気づけるかどうかです。
頭ではなく全身できづけることです。


質問さん
自分の今の状態は、「自分の家に引き返してる途中」という感じです。
家にちゃんと帰り着いた時に、認識変更したと言えるのかなと思ってます。


達人さん
「自分の家に引き返してる途中」と思っていながら、実はもう自分の家の中にいたとしたら驚きませんか?

実際は自分の家にいるのに、「ここは自分の家じゃない」としていたら、何かおかしな感じですよね?

実はもう、ずっと家にいながらにして、狂気を見ているんですよ。
その狂気から覚めることなんです。


質問さん
早く目覚めたいです、あとちょっとな気がします。


達人さん
あなたは家には居ます。
ただ、あなたの家でつけっぱなしにしているテレビやラジオ(思考、想像、記憶)から止めどなくそこに入り込んで怯えているんです。

自分が家にいるのに、テレビやラジオの世界に入り込んでしまうという狂気にいるんです。

だからあなたはテレビやラジオ(思考、想像、記憶)を消して、今この瞬間に戻って家にいたんだと気づくんです。


質問さん
意識しないでもそうなってる感じですか?


達人さん
いや、無意識にテレビやラジオをつけてしまうことはあります。
だけど、いつでも家に居ると気づけば、それを消せばいいだけです。

別に忘れても構わないんです。
ただ、戻る場所は知ってるんだから、安心して色々できますよ。

大事なのはずっと家に居て安心してる事じゃなくて、人生や世界を味わうためだから、いつでも安心な場所に居ると知ってればいいというだけです。


質問さん
あなたの中では、その場所が体感か確信があるって感じなんですね


達人さん
どこに出かけても「今は今ですよね」
ここに、皆さんが勘違いするポイントがあるんです。

どこに出かけても今は今です。
ですが、今というのが頭ではわかっているけど、実際は外側のテレビやラジオに意識がいってしまっているんです。

大切なのは「場所や状況じゃない」んです。
皆、「場所や状況に釣られている」んです。

頭で理屈はわかっていても、実際は磁石のように、無意識に「場所や状況という磁石」に引っ張られてしまっているんです。
だからなかなか気づけない、認識変更ができない状態が続くんです。

どこにいても、今という場所から、生まれてから一度も離れてないんですよ。
ただ思考や状況など外側を見て「そちら」に意識が奪われているだけなんです。

「実はどこにも動いてないのに、動いたと錯覚」しているだけなんです。
実際の行動と、今を一緒にしちゃっていたから混乱してしまっていたんですよ。


質問さん
そっか!ずっと今ですもんね。
いちいち状況や外側の状況に幸せを委ねてたら、落ち着いて幸せになれませんよね。
ずっと外側を基準にしてきたから、認識変更できてなかったってことですか?


達人さん
そうです、ずっと外側を基準にしていたら、幸せは全て外側頼みになりますから、そんな外側頼みでいたら、いつまでも幸せにはなれません。

外側に関係なく、まず今この瞬間幸せであることです。

どこにいこうと、どんな状態であっても、いつまでも、生まれてから、「今ここ」以外には、どこへも行ってないと気づくことです。

どこへも行ってないというのは、どこかへ行動してないということじゃないです。

あなたの意識の話です。
意識はいつも、生まれた時から、今というところから動いてないんです。

外側という目まぐるしいものに、幸せを翻弄されているから幸せになれないんです。

私は外側に関係なくどこへ行っても幸せです。そして外側も幸せです。外側は必ず変わるものです。
それに翻弄されない気づきを持てるといいですね。


質問さん
「いま」は、どうしても捕らえられないですよね。


達人さん
今をとらえられないというより、いつまでも今しかないです。
自分の過去の経験や、未来の予想だけじゃなく、今現在の目の前の認識も含めて、どう判断しているかです。

今、目の前や状況などに関係なく、今自分は幸せであるかどうかです。
今です、今。


質問さん
願望実現についてはどう考えていますか?


達人さん
願望については、やりたいことはやれています。
幸せに生きていれば充実感はあるし、人も幸せも集まってきます。

幸せになろうとは思ってません。
今幸せですから、外側も無理なく幸せになっています。

皆さん、逆です、全て逆です。
幸せであれば幸せはポンポンやってきます。


質問さん
幸せって何でしょうか?


達人さん
今この瞬間、嘘偽りなく幸せと感じられているかどうか。
自分はどこにいても、タフな現場や状況にいても、幸せを嘘偽りなく感じられます。

無理矢理思い起こしたり、なりきったりすることもありません。
場所や状況に関係なく幸せを感じているんで、更に幸せになれたし豊かにもなれました。

外側の幸せは、自分の幸せに沿って変わりましたよ。

引き寄せの法則は「撒き餌」ではなく、自分自身、幸せになるから、更に幸せになれる。

みんなここの落し穴に落ちてるんですよ。
それはどうしてか?
それは引き寄せの法則や認識変更をして幸せになりたいから。

だから落し穴に落ちるんです。


質問さん
放っておいても、内側から自然に幸せが湧くものなのでしょうか?


達人さん
自分の場合はハッキリと気づいてからは、自然と湧くようになりました。
気づく前はあやふやでストレスも溜まってましたけど、状況や外部に幸せを委ねなくなってからは
とても幸せです。
外側もかなり変わりましたね。


質問さん
ハッキリと気がつくまで、長いですよね。


達人さん
長いか、すぐに気づけるかはその人によります。

ただ幸せは外側に依存しないことです。
そしてどこにいても、自分は生まれてから、今からはどこにも動いてないと気づくことです。

どこにいても今からは一切動いてない。
これさえ分かれば、どこにいても幸せになれます。


質問さん
気付きまでの道のりを左右するような、個人の資質のようなものはあると思いますか?


達人さん
当人の気づきによるタイミングはまちまちだろうけど資質に関係なくそれに興味がある人だったら誰でも気づけるはずだよ。


質問さん
思考している私は、本来の「自分」ではないと、知識としてはわかっているのですが、
瞑想しても、思考を止めても何も感じないです。
思考の中に答えを探すのは不毛だと思っていますが、気づくためにはどうしたらのいいのか…。


達人さん
すぐわからないからといってダメ出ししないことだよ。それはやったけどできませんなんて早急に答えを出さないでね。

今というのは場所や状況が変わっても今というのはかわらないんだよ。

外側は変わってもいつでも今なんだよ。
そこを体感として理解できるかだね。

外側じゃない、いつでも変わらない今と自分の関係だよ。


質問さん
「私の人生」だと思っていたことは全部エゴが創造した過去や未来の予想と言うこと?


達人さん
あまり難しくエゴがどうしたとか考えてません。
ただどこにいても何をしていてもどこにも動いてない今にあるかどうかだけです。

思考を観察している動いてない今がそこにいつもあるだけです。

ずっと今なのです。
どこまで遠くに行っても今からは一切動いてはいません。


質問さん
思考や感情も、アテにならないなと感じました。
そして、自己観察などで私と思い込んでいるものを観察する「立ち位置」こそが「今」ってことでしょうか?


達人さん
思考や感情も、私の世界を形成している大切な一部です。
思考や感情の無い人生など味気ないはずです。
思考や感情も、ちゃんと役割があるんです。

今は当然とらえられませんが、今をとらえようとする必要もないんです。
なぜなら、いつまでもどこまでも今しかないからです。

今の中に思考がある。
思考を超えたところに、大いなる自分はあります。

私=今でもあります。
思考というのは、道具と同じです。

今までは、思考という道具を、私であると見なしていたんです。

その思考を超えたところに在る今、「今という自分」といつも繋がっていることです。

大いなる存在の今=私です。
カタチの無い私です。


質問さん
そうなると、今を起点にして、全ては起きている?
ずっと今にいるんだけど、今にいるのを忘れちゃってる感じかな?


達人さん
そうです、いつでも今にいたと気づくことです。
いつでも、豊かで大いなる今に、いつでもいるんです。

でも「今に居ることに何の意味があるんだろう」という人もいるでしょう。
それは、今=あなたという大いなる存在に気づいてないからです。
どこへ行っても、あなたの今=豊かさは、決して変わらないんです。
なのに、外側や思考に目移りして、今にいるのに悪い錯覚を起こしてしまっているんです。

豊かさはあなた自身です。
そこに気づけば、どこへ行ったとしても、豊かな今から世界や人生を楽しめるようになります。


自分というのは思考を超えたところに在る豊かさそのものなのに、誰かと比較しては落ち込んだり、一喜一憂したりします。それは自分の豊かさに本当に気づいてないからです。

今というのは頭にはありません。
それは感覚で言えば胸や全身ででわかると思います。
どこへ行ってもあなたの豊かさ=今。
どこまでも行っても今は豊かさなんです。

これさえ気づけたら引き寄せの法則もできるのと同じです。


質問さん
どこに行こうといつも今、という感覚がなんかわかりました。歩く歩道みたいなもんですよね?
景色は変わるけどずっと同じ場所(平和とか安心とか?)にいる、みたいな。
どこにいても自分=世界だから外側には翻弄されませんよ。ということであってますか?


達人さん
そう。いつでも今。
そしてどこへ行っても今の豊かさは変わらないんだ。
歩く歩道はいい例えだね。
今=豊かさで源泉なんだよ。

外側に関係なく豊かなんだ。
だから引き寄せの法則もその源に反応して豊かになるのは当然なんだ。

どこにいても自分=世界は豊かだから外側から脅かされることもないんだよ。

君のレスで合っているよ。安心していい。
これからあらゆる豊かさを君は必ず受けとるよ。



認識の変更のみを目指すスレ5
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/9650/1517169954/
361 名前:幸せな名無しさん 投稿日:2018/03/04(日) 14:48:28 ID:NNa/VCK20

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何か思考が働き出し、過去や未来に行こうとしたら、「今、この瞬間!」と思って、思考を引き戻してみてください。

何も起きていません。
心配する必要は、何にもありません。

この「何も起きていない」という安心感。
これはまさしく、エゴから自由になった、本当の自分の状態を確認する行為です。

本来なら思考を働かせて心配していたところ、思考を止めて「そうではなかった」事に気づくと安心します。
そしてこの「今この瞬間」の安心感こそが、次の瞬間の安心感を創造するのです。


今この瞬間、安心して満足しているということは、まさに 「安心して満足した状態」を引き寄せる波動の状態であるということです。
何もなくても良いのです。

することは「今この瞬間」に焦点を合わせること。

そうすれば、何も起きていない事が分かり、安心感が訪れます。
それを続けていれば、安心し、満足するような現実が自ずと現れてくる、ということです。
瞑想などしなくても、いつ、どこででも出来ます。
思考するのを止め、今この瞬間に焦点を合わせてみてください。


心配するのをやめれば、そんなことは起こらなくなります。
心配すること自体が、それを現実化するプロセスだからです。

「エゴ以外」の領域とつながる機会が増えると、それまでエゴが作り出してきた 「問題」に対しても、別の領域からの、完璧な解決が与えられる機会が増えます。

「今、この瞬間」の喜びを感じて、それを拡大していけば良いのです。
必要なのは「余計な思考を手放すこと」だけです。

エゴの破壊的思考はどんなところにでも、巧妙に滑り込んでこようとします。
そうさせないためには、敢えて思考を働かせないことです。

「今この時自分の願望は叶えられていない」と感じていると言うことは、「今、この瞬間」を感じていないと思います。

そこには「何もない」のではなく、「願望の達成されていない不足感」があります。

それも手放して、この瞬間だけを感じてください。

この瞬間に自分が「ただいる」ということだけにです。
すると 「本当に、何もなくても幸せなんだ」の次に、「なんだ、全てあるじゃん」という境地が来る瞬間があります。

まずは「この瞬間、ただある」ということだけを感じてみてください。


願望のインプットの必要はありません。

「今、この瞬間」に意識が合っているのなら、それだけで目的達成です。
わざわざ改めて願望を意識することで、不足感を呼び起こす必要はないのです。
それをしてしまうと、せっかく「今」に焦点が合っているのに、また現実的視点に引き戻されてしまいます。

そんな風に「リクエストを出さないといけない」というのは、エゴが 「別の領域」に対して勝手に推定した、イメージ上のシステムに過ぎないのです。

「インプットしないと願望は叶えられない」 という考えも、発想が「不足感」からであることに気づいてください。

「インプットしなくても大丈夫なんだ」という心持ちで、「今、この瞬間」の喜びを感じてください。
それ自体、完結した完璧なインプットなのですから。


「幸せでない今」と思っているということは、「今、この瞬間」に意識の焦点が合ってないということです。
願望や、他のことについて思考を働かせてしまっています。
思考しないでください。
単純に「今、この瞬間」に自分が在ることだけを、感じてください。
シンプルに、 「自分が今ここにいる。そして、この瞬間、何も起きていない」
ということだけに、焦点を合わせてみてください。
思考しないで、ただそれだけを感じることがコツです。


「今の楽しさを感じる」ということではありません。
「今」という、瞬間そのものを感じるということです。

静かになれる時、全ての思考や感情をストップして、 ただその瞬間を感じ続けてみてください。
何も起きていません。

楽しいことも悲しいことも、何一つ起きていません。
楽しいことや悲しいことを感じているなら、今この瞬間を感じてはいません。
まだ思考や感情を働かせているということです。
全く何も起きていない、ということを実感してみてください。
それが「今、この瞬間を感じる」ということです。

そのうち、思考や感情とは別次元で、本当は何が起きているのか分かります。
それが現実という幻想ではない、本当の体験です。


そのことについて、一切考えるなとは言いません。
考えることで、その感情を解放している場合もあるからです。

しかし、現在の状況と見えるものがどうあろうと、あなたはそれと全く別個に、自分自身の属性を決定することが出来ます。
現状と見えるものは、全てまやかしです。
そこに真実はありません。だまされないでください。
でもあなたは、本当はそのことを知っているはずなんです。
何がどうあろうと「自分は絶対的に安全である」ということを思い出してください。

誰でも本当は、エゴとは別の領域と常につながっています。
でもそこから目を背けて、別の部分に激しく反応・注目しているだけです。
苦悩とは、単純に自分自身の精神的態度であるということを想起してください。

全ての思考を手放して「今、この瞬間」だけに意識を集中してみてください。
現状からの強迫観念を全て無視して、気の済むまでそうしてみてください。
必ず、何かに気づかれるはずです。

「今、この瞬間を感じる」というのは、何かを想像したりすることでは ありません。
今、この瞬間を感じるという、単純な経験です。
エゴ以外の領域を充分に経験することがその目的なので、そこで何かしようとか思う必要はありません。
むしろ何もせず、何も起きてないということを感じ続けてみてください。

それをたびたび行っていると、普通に暮らしていても、 その感覚があなたの現実に頻繁に進入してくるようになります。

「インプットしよう」「リアルに想像しよう」「間違いなく伝えよう」
これらのことを考えず、エゴ以外の領域の安全を、ただ経験してください。
現実が変化していきます。楽しいですよ。


*******

私はチケット以前から『今を感じる』ということをしていた者で、
もしかしたら108氏とは違うのかもしれないけれど、書いておきます。

まず、「今今・・・」という言葉に意識を集中することはしません。
集中しすぎると、自分で作り上げた「今」に執着してしまうためです。

このメソッドでは、完全に思考を停止させて、思考の持っている執着や観念を黙らせることを目的にしていると理解しています

では、具体的なやり方です。
まず楽な姿勢で座り、目の前にあるものを壁でも置物でも良いので見つめます。目の焦点はあっていなくてもかまいません。

この時点で、思考を停止させます。そして聞こえてくる音を認識します。
音に集中するのではなく、ただそれが聞こえて過ぎ去って行くのを感じるだけです。
上手くいっていれば、自分の『存在』が薄らいで感じられるはずです。

この段階で『今』に身を置いているので、
目を閉じるなり、転がるなり好きにしてください。
そして、『今』の安心感に満たされてください。
以上ですが、私も独自のやり方なので、
ご自分に合うように工夫してみてください。


*******

今この瞬間に焦点を合わせるだけです。
ネガティブになろうが今この瞬間に焦点を合わせるだけです。

思考や感情を働かせないで、単純に今この瞬間に自分が在ることを感じればいいだけです。感じるんですよ。特に瞑想などをする必要はありません。

メソッドをすれば現実が変わるというわけではなく、メソッドをして内面が変わると現実がかわるわけです。安心感をかんじることが大事かと。

いまのあなたの認識が、いまの自分の環境を精査して、感覚や感情を自分で作り出し、体感していることに気付くことです。
いまのあなたの意識の持ち方、考え方があなたのこれからを作っていきます。
なのでそれらを理解して、これから自分はどういういまを作っていきたいのか?を考え、決めていくことです。


今今メソッドは現状に満足するということではありません。本当に今この瞬間に焦点を合わせるだけです。そうすると安心感が感じられるはずです。今さえあれば誰でもできます。簡単です。

今に焦点が合えばなんでもいいですよ。言うのもありですし、言わないのもありです。ポイントとか特にないです。今さえあればどこでもやれます。

今今メソッドを難しく捉えない方がいいですよ。すごく簡単ですので。難しく捉えてしまうからできなくなってしまうのです。

今今メソッドとは別の領域を感じることです。別の領域に常にいるんですよ。だけど、エゴによって気づくことができません。実践してみて自分で試行錯誤することが大事です。


*******

抵抗を取り除くもっともてっとり早い方法はリラックスすることなのである。そのコツさえ習得できれば、あらゆることに応用できる。
鍵はただリラックスして自分を解放し、目の前にあるものだけに対処することだ。ほかのことを心配する必要はない。


ここで試していただきたいのは、一日を通してできるだけ頻繁に「思考のない気づきの中で休息する」ということを、毎日繰り返すことです。
初めはほんの少しの時間で構いません。一回につき三秒から五秒ほどです。でもそれを繰り返してください。何回でも思い出した時にそうしてみてください。

思考のない気づきを認識することによって、思考をそれほど頼る必要はないことがわかります。
私たちは気づきとして単純に存在することができます。それはこの上なく単純で努力のいらない生き方です。


*******

今あなたの意志で苦しくない自分になれます。そんなバカなと思うかもしれませんがやってみてください。簡単です。またすぐ考え出して苦しくなるかもしれませんが、その都度あなたの意志で苦しくない自分になってください。

すると気づくはずです。いつでも苦しくない自分になれるのに、わざわざ自分で苦しみを選んでいたんだ、自分でやっていたんだと。

最初が一番しんどいですが、その繰り返しです。自分のクセに気づいて直していく。そんな感覚でやってみてください。

この「苦しくない自分になる」という在り方が別の領域といわれるものです。そこは「幸せ」とか「楽」とよく表現されてますが、あまりそこにこだわらなくてもいいです。「ふつうな感じ」「特になんでもない感じ」くらいがいいです。


自分を苦しめているものに気づいていくことの繰り返しです。やり方はそれぞれに違うと思います。
自己観察や自愛をするのも1つの方法ですし、「何もしない」ことを自分に許せば何もする必要はありません。


*******

この10年、本当にいろいろ苦難がやってきました。それを乗り越えてきて、はっきり言えるのは、
問題が起きた時、、一番早く解決する方法は、
「自分の機嫌を取ること」
「自分の中心に戻ること」
大変だと思う出来事が起きて、
どうしよう~、とオタオタするのは当たり前ですが、
問題を解決しようとして、色々策を練っても、
結局うまくいかず、却って複雑にしてしまうことは多々ありました。
結局、今までの経験上、一番早く問題が解決されたのは、
「自分の中心に戻り、落ち着くこと」
それに集中してると、物事が勝手に動き出し、自然に問題が解決される。
頼んだわけじゃないのに、助っ人が現れたり、必要な情報が現れたり、状況が変わって、問題ではなくなったり。
このやり方は、太鼓判です!!


*******

個人的に、気づきを得るのに一番手っ取り早いと感じたのは、思考を止めて、今にただ在ることを、気づいたときにしていたのが役に立ったかなとおもいます。

あとは、自分の体も含め、認識できる世界をただの映像として捉えてみると、体感として、何か気づきがあるかもしれません。

理解しようとせずに、とにかく、ただ「在る」自分でいれば、真実の姿が顔をのぞかせてきます。

真実はめちゃくちゃシンプルです。自分がいるから世界がある、ただそれだけのことです。
だから、世界=自分です。

「ない」という気持ちを持っているから、「ない」という風に見えていて、そのように世界が展開しているだけです。
何かが「ない」ように感じているのなら、とりあえず、そういう世界を「自分がつくっている」ということを、心から認めてみてください!


*******

頭に浮かぶ一つひとつの考えを真実と見なすたび、たくさんの苦しみ・不幸が怒涛のように押し寄せてくる。出来事は人を不幸にすることはできない。人間を不幸にしているのは、他でもない「自分自身の思考」だ。あなたを不幸にしているのは、出来事に対するあなたの解釈、あなたが自分に話し聞かせている私のストーリーなのだ。

「今、自分がこうして巡らしている思考が私を不幸にしているのだ」、この気付きによって、思考と一体になってしまう無意識の習慣から脱却できる。



ただ静かにしていなさい。これが方法だ。これなくして、どこにも平和を見いだすことはできない。行うことや考えることが平和を生み出すことはないのだ。

何もすることはないのだ。ただ在りなさい。何もしてはいけない。在りなさい。

為すべきことは、すべて平和と沈黙のなかで為すことができる。心を乱される必要はないのだ。

もしあなたがただ静かにするように試みるならば、仕事、仕事のための能力、正しい動機、すべてはやってくるだろう。

あなたが全宇宙の深遠な原因なのだ。すべてはあなたが在るゆえに在る。この要点を深く、確実につかみなさい。そしてそれについて繰り返し熟考しなさい。このことが絶対的な真実だと悟ることが解放なのだ。

ただ、あなたが在るということに気づいていなさい。そして気づきつづけなさい。「はい。私は気づいています。つぎは何でしょうか?」と言ってはならない。「私は在る」のなかに「つぎ」はない。それは時間を超えた状態なのだ。

在ることを試みなさい。ただ在りなさい。重要な言葉は「試みること」だ。一日のなかで、充分な時間を静かに座ることに当てなさい。ただ人格と、その耽溺や妄想を超えていくように試みなさい。


結局、あなたが確信できる唯一の事実とは、
あなたは在るということだけだ。

「私は在る」は確かだ。
「私はこれだ」は確かではない。





勝手な思考が世界を創っている。

この世界は、私の想像によって成り立っている。
この世界は私の意識の反映だ。
私が感じていることがそのまま現実になる。
判断は制限を生む。


世界は自分。
全部自分がそう思っているからそう見えているだけ。

世界=自分
お前が世界を苦しく思っているなら、それはお前自身が苦しみを世界にわざわざ付け加えているからだ。
お前が苦しみを選んでいるのだから、その苦しみ、判断を捨ててしまえばいい。
お前が苦しみを張り付けているだけだから、それをやめればいい。
思考や判断を停止して、そこから離れてしまえばいい。
安心も、静寂もお前の中にある。
苦しみをわざわざ選ばなくていい。 

(お前がそう思っているから、そのように見えているだけだ。世界はお前が創っている―。)



思考が世界を創っている。
目に見える光景も、それに貼り付けている解釈も、全部思考が勝手にやっていることだ。別のレッテルを採用し続けることが可能だ。全部お前が、そう思っているからそのように見えているだけだ。まったく別のものを選べるし、「常識」も、お前が勝手に作っているだけだ。お前がそのように思うからそのように見えているだけだ。まったくの「無」に戻って、全部1から、創造し直すことが可能だ。


人の振る舞いも、世界の振る舞いも、それに対するお前の反応も、全部勝手にお前が作り出している。
すでに創造されている、それらの幻はそのままに、現実を再設定、再定義すればいい。その繰り返しだ。


(思考が世界を創っている。離れる。おりる。やすむ。)

外側には何もない。
外側を探しても何もない。

外側は関係ない。不足は嘘。
(私が内側で決めたことが本当になる。記憶を採用せず、望むものを見る。)

私の中の静寂、
私の中の官能、
私の中の喜びが本当。

喜びも官能も、静寂も、私の内側にある。

無。静寂―。沈黙。
本当は何も起こっていない。



「状況」はすべて、思考の夢。
お前がこうだと思っていることは、全部思考が作り出した虚偽の妄想。真実ではない。
そこから離れることが、まっさらな世界に戻ること。


悲嘆も苦しみも、不安も、不満も、思考が勝手にやっていること。
勝手に湧いてきて、それが自分だと誤認させる思考や感情は放っておいて、望むものだけを淡々と決め直していくやり方もある。
思考が勝手に、現実はこうだと決めている。それに乗る必要はない。思考が、今の状況はこれこれこうですよと言ってくる内容は、実は現実とはまったく関係ない。
解釈がお前が味わう現実そのものなのだから、思考が勝手に送ってくる解釈には取り合わず、自分の好きなように再定義、再解釈すれば、それがそのままお前の次の現実になる。


苦しみも不安も、全部思考の独り相撲。
何が起こっても、お前が勝手に苦しんでいるだけだ。
思考が勝手に苦しんでいるだけだ。
お前の解釈以外に苦しみは存在しない。
所詮思考の独り相撲と割り切って、苦しみを味わうか、そういうものだと達観するしかない。
安心が本当で、思考が勝手に苦しみを付け加えている。
静寂と安心が本当だ。
苦しみは単なる独り相撲。お前がお前を殴っているだけ。
現実は、突き詰めればただの自演。
全部自演と分かった上で、何を味わいたいか。 


どのみち思考(エゴ)から逃れられないなら、「自分が望まない現実は全部嘘」「採用しない」でおK 。
所詮お前の言う「現実」「状況」とは、思考がそのように言ってくることを無批判に採用しているだけなのだから。思考が勝手に認定した「状況」を、疑いもせずそのまま受け取っているだけなのだから。

「自分が望まない現実」とは、思考が勝手に判断してお前に送ってくるマイナス判断のリポートを、馬鹿正直にも真実だと思い込んでそのまま採用しているお前自身の問題でもあるからだ。

お前が貼り付けている「判断」が、お前の思う「現実」「状況」なのだから、思考が勝手に判断して言ってくる内容を、「それは真実ではない。私はその判断を採用しない」とすれば、それはもうお前にとっての現実ではない。
あとは勝手に、自分にとって都合のいい判断(思考)を採用すればいいだけではないか?
現実とは単に「お前がそう思っていること」「お前が真実だと思い込んでいるもの」でしかないからだ。

「思考が現実を作っている」「現実とは思考そのものだ」と見抜けば見抜くほど、お前がそこから抜け出すのはたやすくなる。

お前にとって都合の悪い現実認定は、「それは嘘。私はそれを採用しない」でチャラにできる。

それが、判断以前の「まっさらな世界」に戻ることでもある。

思考や現実認定の虚偽性に気付けば気付くほど、それがたやすくなる。

だから「たびたび無に戻れ」「思考から離れろ」と言っている。



***

私を傷付ける現実、私にとって不都合な現実はすべて幻。全部嘘だ。そんなものを信じる必要はない。

お前を傷付けるやつはいない。そんな存在はあり得ないし、そんなのは嘘だ。

お前を傷付けるやつなんてこの世に存在しないし、お前を大事にしない、愛さない人間なんて、存在自体あり得ない。そんなものは幻で、そんなものは存在し得ない。

お前を傷付ける現実なんて存在しない。
お前を傷付ける状況なんてこの世には存在せず、全部錯覚で、何ひとつ、お前にとって好都合に働かない現実など存在しない。

全部が錯覚で、結局のところ、全部お前が思うままに、お前が望むように、叶っているのだ。


お前にとって、不都合な現実など存在しない。
たとえそれがつらい現実に見えたとしても、それはお前にとって、よいように叶っているだけなのだ。望む物の選び方を、間違っているだけなのだ。不都合な状況など、どこにも存在しないのだ。お前の望まない物は存在しない。そんなものは嘘なのだ。徹頭徹尾、お前の望む物しか叶っていない。お前が望まない物の存在を認めるな。望まない物の存在を棄却しろ。

お前を愛さないものの存在を認めるな。そんなものは存在しないのだ。お前を傷付けるやつの存在を認めるな。そんなやつは存在しないのだ。
お前にとって不都合な状況を認めるな。そんな状況は、この世のどこにも存在しないのだ。
この世界には、お前にとって好都合な状況しか存在しないことを知れ。
全部お前が、勝手に決めたことが、そのままに現れているのだと知れ。

お前を愛さないやつなんて存在しない。そんなやつは嘘だ。存在自体が嘘だ。
お前にとって好都合な現実しか存在しない。
「苦しい状況」なんて、嘘で錯覚。そんなものは存在しないのだ。そんなものを信じるなんて、時間の無駄。意味のないことに時間を費やすな。
自分にとって不都合な現実は、信じる必要なし。


お前にとって不利な状況、不足な現実といったものは存在しない。それはただお前の頭の中にだけ存在する。不足だと思い込んでいるその思考(認定)を客体化し、眺め、そこから距離を置いて、何ら色づけされていないまっさらな空間に戻ることが必要だ。それには力みは要らない。単に気付いて距離を取ることさえできればいい。


記憶をもとに、今の現実に不足の認定をしていると気付いたら、「記憶に色づけされていない今という瞬間に、不足は存在しない」ということを思い出し、不足の認定を却下して行くこと。「本当はそうではなかった。今この瞬間、すべてが存在しているのだ」。

ただお前と、世界だけが存在している。そしてその世界は、今この瞬間何も決まっていない。
この空間にはすべてが存在し、ただお前の無意識の認定だけが、事物の「ある」「ない」を決めている。
だから本当は、「今」「全部がある」。
不足は存在せず、「すべてがある」。

「今」しか存在せず、今という瞬間に不足は存在しない。

「足りない」「無い」という、当然の前提にしているデフォルト(=記憶)を、「何も決まっていないし全部ある」というデフォルトに変えるだけ。「何もない今」「何も起こっていない今」、「記憶という付着物を落として」、「今しか存在し得ない今」に戻るだけ。


お前の内側での決定がすべて。
お前が内側で決めたことが本当になる。

外側は関係ない。記憶は関係ない。
今目に見えている光景を信じてはいけない。(今自分が感じている不足の感情すら信じる必要はない。)
常識も信じてはいけない。(常識もお前が勝手に決めているだけだからだ。)


「過去は存在しない。」
「今、この瞬間」しか存在しない。
「過去の、これまでの条件」などは存在しない。
過去のいきさつは関係なく、「今、この瞬間に」望む在り方を決めることができるし、実際お前はそうやって、瞬間瞬間自分の現実を選んでいる。
「今目に見えるものを信じる必要はない。」
過去を引きずれば、そのままの「今」が創造される。
あらゆる状況を0にして、「本当に望むものだけ」を思えばいい。


「今この瞬間」「過去に関係なく」「望むものを望むだけ」「過去の書き換えも含め」「望むこと(得ること)ができる。」「一瞬前の過去はすでに‘無’で、瞬間瞬間‘今’現実を決めているからだ。」


「自分のフリをしているもの=思考」に気付くことができるだろうか?
「自分のフリをしているもの=思考」の虚偽性、「本当はそんなものは現実ではない」ということに気付き、「思考と自分」、「思考と現実」を同一視することから離れて、単純に自分が味わいたいものだけを見ることはできるだろうか?



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今ここへの満足だけがあなたを幸せにすることができる。
欲望を追い求めること(不足感を握りしめ、追求すること)は、さらにより多くの欠落感や欲望を生みだす。

すべての欲望、欠落感、不全感に近づかず、一定の距離を保ち、自然にやってくるものに満足していることは、非常に実りある、満ち足りた状態への移行の前提になる。

(今ここへの満足とは、「今この瞬間、私には何も欠落が無い」ということを知っているということでもある。さらにあなたは、自分が望むものを「今もう持っている」と設定し直すこともできる。)

欲望(=不足)を追い求めないという、これまでのあなたからすれば一見空虚で不毛に見えることに、不信をもってはならない。

欲望を満たそうと、あれこれ思考を巡らしあがくこと(今あなたが感じている欠落感、不全感を握りしめたままリアクションすること)が、あなたに不毛な惨めさを生みだし、それとは反対に、今ここで欲望や不全感から自由になることが至福への道なのだ。
それにはあなたが条件反射的に抱く不足感(不全感、欠落感)から、一定の距離を取ることが必要だ。

(浮かんでくる思考、欲望、不足感そのものは、あなたの内側に蓄積された観念によるものだから、それ自体否定はしなくてよい。自動的に浮かんでくる、内面にこびりついた観念の産物に対して、自覚的に距離を保っていることが肝要だ。あなたは欠落感そのものではない。そこから離れればいい。)

もしあなたが、今ここで(不足を前提として)不必要なものを望まず、欲望や不足感から距離を取り、自由であるならば、必要なものは後から必ずやってくるだろう。

またそれは、今「無いから」、今「不足しているから」といった、誤った現実認識を改めることでもある。


「現状」とは、今あなたがこの場で、「まっさらな現実」に貼り付けている認定のことだ。
真実だと思い込むほどに、今「なっている」設定のことだ。
全部思考の夢なのだ。
「今」「あなたが」決めているのだ。


「今」が不足であるという、お前の認識そのものが間違っているのだから、ただそれをやめればいいということになる。

お前の思考や判断、感情が、それまでの記憶にしたがって、「今」が不足であるという認識を送ってきても、その都度そこから離れたまっさらな場所に戻り、本当は今この瞬間何も決まっておらず、不足などそもそも何も決まっていないし、好きなように状況の設定ができることを思い出すべきだ。

今お前が感じている「現実の状況」は、これまでの記憶に基づいて、お前が勝手に、設定し直しているのだと気付けばいい。
「不足」も「不利な状況」も、お前がまっさらな現実に、「今この場で」わざわざ付け加えているのだと知ればいい。

「状況」や、「現状はこうだ」というお前の「判断」は、そもそもお前が勝手に決めているものだということに気付くべきだ。

もしお前が自分が不利な状況にいる、不足な状況にいると思うとき、それはお前が、その不足な状況に今「なっている」「真実だと思い込むほどに、なりきっている」、自分で自分に深くそう設定しているのだと思えばいい。それに気付けば、単にその設定を、自分の好きなように変えればいいのだと分かるはずだ。
「無い」と思っているなら、「今」そうなりきっているだけ、そう設定しているだけなので、それを解除しようと思えばいいだけだ。「今のこの瞬間」、自分は何を思い込んでいたのかと、気付いて解除すればいいだけだ。


「状況」はすべて、思考の夢。

お前がこうだと思っていることは、全部思考が作り出した虚偽の妄想。真実ではない。

そこから離れることが、まっさらな世界に戻ること。

お前の言う「日常の生活」すべてが「思考の夢」だ。

(この世界にただひとり。)

追い求めるのをやめ(することをやめ)、「ただ在る」。

「無い」を基準に追い求めるのをやめ、「ただ在る」こと。

「思考のまぼろし」を追い求めるのをやめ、「ただ在る」こと。


シンプルに、「思考の夢」から、ただ目覚めること。


日常生活はすべて思考の夢。
すべての精神的努力、することをやめ、ただ在る-。力を抜き、なにもしないこと。
そこに在りながら、すべてからおりること-。
なにもしないことが最良となる。