結構な頻度の余震もすこしづつ、間があいて、

落ち着いて震災前にしていたこと、日常生活もできるようになってきました。

震災の影響もあったし、大叔母さんが天国に召されたこと。

たくさん悲しい出来事も思い返す時間ができてきました。

原発の放射線との生活もまだ安心はできないけれど、

そんななか、お仕事もいただける状況に感謝しつつ、

できることを一つ づつ、 向き合っていけたらと思っています。

あとは、地元が元気になれることに参加したいな。

がっつりお手伝いできるとすれば、写真だな。。

デジ一眼あればなぁ~。(^^:)

精進、精進。。

メインマシンで使っていた黒MacBookちゃん。
震災の折、大きい人形棚の落下の下敷きに。。。。。。。
ひゃーっつ お仕事ひと段落していたのでよかったのですが、、


無残に液晶割れちゃって。。
ごめんねえ。。ちゃんとカバーしとくんだった。。。

保護材はいってるケースで今度新しく買い替えるときは、
ちゃんと。カバーしてあげよう。

今、つらい状況だけど、

いろいろと、お仕事関係のお話もきているので、

次の目標に向かうのみです。

地元にもなにかできること探しながら。。

優-yu-ちゃんぺたありがとうね! がんばっぺなぃ~!


いわきに住むいとこと連絡つきました。

断水が続いていること、

やっと物資がすこしづつ届いているとのこと。

ホッとしました。

もっと状況が少しでもよくなりますように。。
長かった一週間
今まで一日過ごす時間の早さとは180度違う時間経過の体感速度。

緊張を強いられてますが、冷静になってます。

3月11日14時46分 

あの日の光景は焼き付いて離れない。地鳴りの音。
てこでも動かなそうな頑丈な塀がいとも簡単に崩れる。
車が横転しそうなくらいの跳ね上がり。。

タイミングが少しでもずれていたらと思うぐらい奇跡的な時間差と、
逃げられるスペースがあったこと、ご近所さんとも無事確認できたこと、
家族、親戚ともすぐ連絡もコンタクトも確認できたこと、
いま落ち着いて暖をとれる環境状況に。。この家を建ててくれた祖父と祖母に感謝しています。
とくに天国の祖父が守ってくれたんだと思います。

お彼岸だけど。。もうちょっと様子みさせてね。じいちゃん。

被災初日、家族は家でスペースづくりの中、
5分もたたずしての余震に耐えられず
牡丹雪の降る中、退避させた揺れる車の中で一人でラジオを聴きながら
被害の大きさに涙するしかできませんでした。

電気のありがたさ、ガスの怖さとありがたさ。
断水による、水の大切さをとても実感しました。

普段なら目に留まらない小さなことが大きな問題になる。
お風呂にためた残り湯。それはトイレの水に。
あとは、普段、一見過剰かもしれない、日ごろの備蓄や、
機材の自己投資が不思議なほど力を発揮しました。

だんだんその備蓄も尽きてくる恐怖と闘っている方もたくさんいます。

そして、被災だけではなく、でてきた原発問題。
これは、個人的には、批判や、謝罪・保障を求めるような態度、
今すべきことではないと思ってます。
怒りを覚えるのは当たり前です。持っていないのではありません。
最善を尽くしていただいている方々に託すしかありません。
良い方向に前進することを願うしかできません。

後でできることじゃないでしょうか。

今、生きるためにできることをするしかないと思います。

避難するひとの受け入れに声をあげてくださった県の皆様に
心から感謝です。

ただ、地元福島県の不当な風評だけは許せません。
それだけは、冷静になれません。

特に浜通りのかたに屋内退避地域の方に
医療薬、ガソリン、灯油、離乳食、紙おむつ、マスク、衣類

物資をどうか、運んでください。
どうか、お願いします。