自分自身を「よりどころ」としよう | 私らしい最高のライフスタイルを叶え続ける方法

私らしい最高のライフスタイルを叶え続ける方法

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デトックス&ヒーリング力の高い食やライフスタイルで
『私らしく生きる』土台づくり
最高の働き方や生き方を叶える土台づくりは内側から

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atelier amala(アトリエ アマラ)主宰

香港在住のみゆきです。

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atelier amalaでは、心・体・食の角度から

女性が自分らしく内側から美しく生きる

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日本一時帰国中です。
 
日本を東から西へと転々とし
 
朝、目を覚ますと、今わたしはどこにいるのだったかしら?
 
状態でございます。旅が好き!!
 
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香港は国慶節のお休みで
 
観光名所では、日本にいるのに広東語をよく耳にします。
 
 
 
◆昨日の十五夜の巡り合いについて
 
夕方電車でのこと、 同じ並びにいる女性がパシャパシャと
 
車窓の景色を撮る姿が目に映る。
 
 
 
しばらくすると、またパシャパシャ。
 
 
 
なんだか無性に声を掛けたくなり
 
「観光でみえているのですか?」と。すると彼女は
 
地元の者で、坐禅に行くという。
 
月一回の開催であと2時間後にスタートとのこと。
 
 
 
 
坐禅という単語にピンと面白そうだと感じて
 
「誰でも参加してもいいんですか?」
 
「ええ、もちろん」人懐っこい顔で返ってきた。
 
 
 
 
行き先が同じで一緒に電車を降りると、
 
WFが繋がり、ラインの交換をして
 
「また後ほど」 と
 
軽やかで結びのある流れに。
 
 
 
すっと互いに引き合ってしまった。
 
 
 
 
 

 

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もれなく チョビ(娘)も同行。

 

彼女も私と同じく、

 

好奇心旺盛で、何でもやってみたいオンナなのだ。笑

 

 

(横でチョビが、私が写真を撮ったと書けというので、

これは彼女が撮影しましたと書いておく)

 

 

 

初めましての10人くらいの方と、美しい月の十五夜に

 

同じ空間で座り お坊さんの説法を聴き

 

皆で座卓を囲み、お茶とお茶うけを頂くご縁。

 

 

 

 

坐禅を組みながら ふと浮かんだ言葉が

 

「袖振り合うも他生の縁」

 

この人たちとも、他の時空で出会っていたのだろうなぁと

 

この時を刻む意味合いも込め

 

自ら申告し ありがたく警策を頂いた。

 

 

 

 

 

 

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「本日の禅語」を聞いた昨晩すぐに
 
このブログに来てくれるみんなとシェアしたいと思った。
 
 
 
改めて書いて気付いたけれど
 
私はこのブログに来てくれる人たちを、
 
どこか心の内で仲間と思っているようだ。
 
 
 
自分で仕事をしている割には
 
読者登録も初めだけで 今はほぼ申請しなくなり
 
いいねも地味にしかしていない(笑)起業女子失格かしら?
 
 
 
でもこうやってご縁があって来てくれる人がいる。
 
意識か無意識かどこかで
 
私の発信に共感、共鳴をしているひとびと。
 
 
 
 
 
 
話を戻して、えっへん
説法で頂いた禅語についてご説明を。
 
 
自灯明
法灯明
 
 
お釈迦自らが説いた法にばかり頼らないで
 

まず「自分自身を拠り所にしなさい」

 

「法」を頼りにすることは、外部の決まりごとに従えということであるが、

 

ただ、法に従うことにのみ忠実になってしまって、法の奴隷になってしまう

 

ことの無いように。

 

 

 

「己こそ己のよるべ」ということである。

 

この世では自己こそ自分の主である。

 

他人がどうして〈自分の〉主であろうか。

 

 

 
 
わたしは幼い時から
 
環境からか、生まれついてのものなのか
 
このような真理というか 「絶対真理」 「教え」
 

に心が反応する。

 

 

 

 

 

自分の拠り所は自分

 

一般的や常識、多くの人なんていうのはあなたの感じる指針にもならない。

 

純度高くわたしを生きよう!!

 

と私自身がずっと提唱していることと繋がり

 

禅の教えでもあるのだなとジンと心が熱くなる。

 

 

 

純度高く私を生きよう!と私自身の思いが湧いてくるのには

 

実は今世だけでは説明のできない理由があるのを

 

昨年の高野山でわかってしまったので

 

愚直にこれからも願う形で伝えていこうと思う。

 

 

 
 
こんなマジメか!な文を悦に入って書きながら
 
ふと下を向くと
 
パンツのジップが、気持ち良く全開だったというオチ。
 
心とパンツがシンクロ
 
 
 
これが私。
 
ベクトルはお笑い。