太宰 治 【1909年6月19日- 1948年6月13日】
山崎富栄 【1919年9月24日- 1948年6月13日】
今日は、太宰治 「桜桃忌」 ですね
私は、「恋の蛍 山崎富栄と太宰治」 を読みました…
太宰治と共に玉川上水で “入水自殺” した山崎富栄さんについて、
私が知っていたことは、“戦争未亡人” ということだけでした。
![本](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/240.gif)
日本初の美容学校「お茶の水美容学校」の創立者、
山崎晴弘校長の二女・山崎富栄(やまざき とみえ)。
富栄は、この父のもと、
美容、結髪、洋裁、ロシア語、英語など、
学校後継者としての英才教育を受けた。
この本を読んで一番驚いたことは、
「富栄さんが太宰の首を絞めた」
「無理心中だった」
という説があったこと…
「死ぬ気で恋愛してみないか」と言ったのは太宰のほうなのに、
死にたくなくて逃げようとして殺されたってこと?
それじゃ太宰がカッコ悪すぎる…
人の夫であり人の父である太宰を、津島家からうばい、文学界にも多大なる損失をあたえた不肖の子の親として、どんな屈辱にもたえる覚悟だった。だか、これにより晴弘は、人殺しの親とされた。
~ 『 恋の蛍 山崎富栄と太宰治 』
「第十章 残された謎、遺された人々」~
著者: 松本郁子
大切に育ててきた娘さんを失った上に、
“殺人犯” 呼ばわりされるなんて、
富栄さんのご両親があまりにも気の毒です…